2005年06月02日

テレビ番組のネット配信について

こんなことが今起こっています。

著作権周りの整備で加速するか!?テレビ番組のネット配信webdog さんより)


で、たまたまなんですがこんなこともあったんですね。

こんな記事を見つけました。ももしろうさぎのPCの本棚 さんより)

なんとなくですが、微妙なリンク具合がなんとも言えませんね。


この問題はオレも以前一度取り上げています。

特集:私的複製はどこへいく?


前述 webdog さんのコメント欄でも述べてますけど、やっぱり「おっせーわい!」ってのが正直なところか、と。産まれてくるクリエイティヴィティの流れは止めることはできない。古いメディア側はどんどん追い立てられていくわけで、悠長に何か考えている暇など無いでしょうね。

しかしながら、メディアや著作を産むほうの方々や権利保持者の、複雑な立場や心境も痛いほどよく判るわけでして。だからこそ ももしろうさぎ さんの記事で書かれているように、腫れ物に触るような感じで少しずつ着実に、騙し騙し(笑)コトを進めてたと思うのです。それを何も判っとらん部外者のアホが全部ぶち壊してしまった、と。

ただね。ニッポン放送問題の時にも思ったけど、そんなアホに突っ込まれるような隙があった、っていうのは大メディア様としてははたしてどうなのよ?ということに尽きるとも思うのです。これについてはホントに村上ファンド氏の不満もよくわかる。「ド素人はスっこんどけやボケ」という時代でもないでしょ?今は70年代じゃない。ウルウルした瞳の社長に諭すような口調で訴えかけられても、もうオレ達は騙されないのであって、「そんなことはどうでもいいからもっとしっかりしてもらいたい」というのが正直な気持ちでもあるのです。


ということで、下書きを書きかけたまま放っておいた当記事なんですが、ちょうど 創難駄クリキンディーズ2004福岡 さんが「最近、ライブドアってどうしてるんだろうか?と思ったら・・・」で取り上げられてらっしゃったので、加筆修正書き直ししアップすることにしました。


- 追記 -
先の株主総会に実際に出席した方のレポートです。

ニッポン放送株主総会「ダメ!」と言われてメガヒット さんより)


まとめ

リンクで見る第72回ニッポン放送株主総会
写真で見る第72回ニッポン放送株主総会
明日は明日のホラを吹く さんより)


一連の流れ

「ニッポン放送」株式関連〜村上ファンドからライブドアまで
さにぼー@いかんべblog さんより)

2005年04月26日

ライブドア堀江社長のインタビュー

しばらく堀江氏関連記事は書かないつもりだったんですが、なかなかいい記事を見つけたのでお知らせを兼ねて。3月の記事なので知っている方も多いと思いますが一応ね。

明るいおカネ第一主義”の伝道師 ライブドア社長 堀江貴文

オレが 今まで書いてきたこと が、いろいろ具体的に述べられていますね。実に興味深いです。

こっちの 記事 でオレは「そこにゴキブリがいるならば、どこかに巣もあるはずだ」と書きました。表面上に映る部分で人を叩くのは簡単なんですけど、必ずどこかに原因がある筈なんです。そこを見なければ意味がない。まあ、普通の人ならそれでもいいでしょうけど、評論家とか文筆家とか自認してる人ならば、そんな通り一遍の批評なんて意味がないでしょう。洞察力ない人だなあ、と思われるのがオチですよね。その辺皆さんも頑張って欲しいな、とね。

ももしろうさぎのPCの本棚 さんのところで少し 書かせていただいた んですけど(ありがとう)、自分に似た気質を持っていたり、同じようなニオイを感じる人に対して、オレは非常に興味が湧きます。それが若い人なら、これからどう解決していくのか見守りたいし、年長者なら、どうクリアしてきたのか(或いは出来なかったか笑)、自分ならどうしたか、そんなことをいろいろ思います。また、現在の相手の状況を見て「ああオレもかつては通った道だなあ」とか思いを馳せるのも、なんとも言えない感慨があるものです。

具体的に解決方法などをここで書かないのは、かつて実際にそのようなことをやって失敗したことがあったからです。この手のタイプの人は(オレも含め)無駄にプライドが高い人が多いんです。だから(たとえそれが正論でも)他人に言われるのは激しくムカつくんですね。だから逆効果になってしまうこともある。関係をこじらせてしまうこともある。

結局、自分を変えることが出来るのは「自分自身」だけなのですよ。だから自分が気付くしかないんです。オレみたいな他人が出来るのは、何かのヒントとかきっかけを与えるくらい。それでも傲慢な考えだと思うけどね。

先日 トラックバックのこと について書きましたけど、オレはまったく無関係だと思われるような方にはTBしないです。メモライズのスパムも、社長日記とか?人気どころだけど少しでも関連性のあるところを探して打った。
受け取ったほうが、これが自分にどう関係あるのか?と思われたら、それはしょうがないんですけど、まあその場合も「投げた球は採ってもらえなかったな…」と思うだけでね。何かの強制力とかは全然ないわけだから、華麗にスルーしてもらえればいいわけです。読み取れなかった人は、そもそもオレの記事も理解できないだろうし、ということですね。

と、まあ一般論ではそんな感じだけど、かたや堀江氏は一般人ではないし、実際彼が行動を起こすことで波紋とか迷惑とか、いろんな結果が起こるわけですね。だから彼の場合は皆が放って置くというわけにもいかんのだろう、と。しかし説得するとして、いったい誰の意見になら彼は耳を傾けるのか。これは非常に難しいと思う。だから、ムカつく相手かもしれないが、ここはあえて私情を殺し、彼の言葉すべてに真摯に耳を傾け、ひとつひとつ応えて解決してあげるしかないと思う。つまりカウンセリングですよね。彼に対峙するにはそんな視点が必要だと思うのですけど、みなさまいかがでしょう?(笑)
「大人の解決だ」っつーなら、それくらいの度量があっても良いんじゃないかな、と思いますよ。


これでしばらく堀江氏の記事を書くことはないかな。

そうあってくれれば嬉しいけどな。

2005年04月17日

堀江氏理論と反日デモ

…って(笑)。何でも結びつけんじゃねえよ!と言われそうだけど。まあ聞いてくださいな。

オレは子供時代にイジメっ子とイジメられっ子の両方を経験した。今思うとどっちも酷かったね。当時を振り返り、加害者のときと被害者のときとどっちが心の傷となっているか考えてみると、やっぱりイジメた側に回ったときのことだろうな。本当にひどい人間だった、と我ながら思う。

前にも書いたが、オレのオヤジは家庭内では絶対的専制君主として君臨していた。だからオレは堀江氏の生い立ちを知ったとき、自分と似たような境遇だった彼にある種のシンパシーを覚えたのだ。狭いエリアで迫害され、その対象に逆らうことが許されない場合、反逆エネルギー発散の対象は自分より弱いものか、安易に攻撃しやすいものに向く。それが自虐である場合もあるし、動物とかに向くこともある。堀江氏も幼少時に動物虐待をしてたらしいという情報があったが、さもありなんであるね。

誰もが言っていることだから今さら新鮮味もないけど、かの国々でも国内政治や経済の不満を直接政府に向けられないので、矛先が日本に向いてきたんだろう、と。それはそのとおりでしょうね。個人個人を責めるのは簡単だが、彼等はああいう風に教わっているんだから何を言ってもしょうがない。日本は感情的にならず粛々と対応すればいいだけだと思うけど。直接危害がないかぎり放置プレイするとか、器物損壊されたら問答無用でただ訴えるとか。相手に構うと自分もそのレベルになってしまうからな(…って 自分もやってしまったが 苦笑)。

つまり目に見えている事例だけで判断するのではなく、その奥に潜むものを浮かび上がらせてこそ解決に繋がると思うのだ。そこにゴキブリがいるからには巣がある筈だ、ってことだな。

堀江氏は自分が生かせるジャンルを発見、その道を独自の理論で進んだ。実際見たわけではないけど、その姿はなんとなく想像できるなあ。具体的に書くと生々しいから止めとくけど(実際書いたんだけど消した)。一例は「玄倉川の岸辺」さんのコメント欄に書かせていただいた(mrcms名義)。けっこうネタ風に書いたけど、異性に対する感情も人間の重要な要素のひとつだからね。軽視できないでしょう。
異性感情とか堀江氏だったらそれプラス食欲とか。野望とか。ともかくモチベーションの元がある人は逆境にも強いのだ。虐待されててイジメまでされてたら歪んだ人生になってもおかしくないとは思うけど、彼はそれに反逆したのだね。

堀江氏は自分自身の人生に喧嘩を売って生きているのである。

2005年04月03日

ロキノンと2chと堀江氏と

…と、またゴチャゴチャしそうな題材を持ち出したものだ。恐らく支離滅裂になるだろうから最初に謝っておきましょう。

ライブドア堀江氏のメディア論を知ったとき、実はオレは「これって Rockin'On(ロキノン/ロッキング・オン)なのかもしれないな」とぼんやり考えていたのだ。ロック音楽を70年代から聴いていた人なら分かると思うが、ロキノンや渋谷陽一氏の登場というのは当時の洋楽界においてはなかなか衝撃的だった。偉そうな御託ばかり並べる音楽評論家業界(?)に、いきなり学生みたいなあんちゃんが登場し洋楽評論界をかき回し始めたのだ。
渋谷陽一氏のロック評論は、評論というよりはただの感想だった。洋楽評論には欠かせないデータ的な情報も専門的音楽分析もほとんどなかった。また彼自身、日頃「ジミーペイジは神」と公言していることからも分かるとおり、まったく公平さにも欠けていた。
しかし彼の評論は、他のどんな評論よりも共感できたのだ。「なるほどな、わかるわかる」という具合に。もちろん時には「違うよ。こいつはわかってねえな」と思うこともあった。しかしそれも今思うと広い意味での共感だったね。
ロキノンには渋谷氏だけでなく、ほかの様々な読者やリスナーの評論(感想)が掲載されていた。もちろんそれらは編集者によって取捨選択されて掲載されてはいたが、基本的には何でもありという印象だった。ロックというものを自分自身の言葉で好きに語っても良いんだ、とオレは目から鱗が落ちる気分だった。

当時のオレは自分が天才だと思っていた大ばか者だった、と以前書いた。この感情は、こと音楽に対して顕著で、特に洋楽のレコードに付属する日本語ライナーの類をオレはバカにしていた。しかしロキノン関係者や渋谷氏の評論の登場は、そんなオレの感情を刺激した。「こいつらはなかなかやるな…」と(当時)思わせたのだ。前述したように彼等の評論はデータ的にも音楽的にも十分ではなかった。ではどこが優れていたのかというと、リアルな鋭さじゃないかな、と今思う。鋭い人間が直感でリアルな個人的感想を語る。それが共感を呼んだのだろうなと。同時に、天才である筈の自分の考えは実は全然特別ではない、という現実も知ったのだ。
ご存知のとおりロキノンは、70年代ロックと運命を共にし滅亡して行った他の雑誌とは異なり、80年代も90年代も逞しく生き残った。その方法論はロック初心者に対して有効であり続けた、ということだろう。

月日は経ち20世紀最後の年。ロキノン時代に一度現実を知ったはずのオレであったが、経年加齢というのは残酷なものだな。すっかり「自分は大天才であると誤認識した大バカ」に戻っていたのだ。そんな時オレは2chという掲示板を知る。
そこで展開されている、どこの誰だか判らない無数の名無しどもの「鋭い感想」にオレはあっけに取られたのだ。一般人であるはずの奴らの、鋭さ洞察力は半端じゃなかった。しかもちゃんとデータ、音楽的分析も伴い、各アーティストスレッド等は無敵の評論と化していた。これもある意味、リアルタイムで進行していた「情報のオープンソース化」だったんだろうと思う。
この出来事で「生半可な情報では太刀打ちできない、半端な人間はプロとは言えない」と心底危機感を感じた。そうして、自分自身を見直しもう一度ゼロから再出発しよう、とオレは心掛けを新たにできたのだ。

さてライブドア(笑)。あいかわらず堀江氏のメディア論は理解されず、PJのヘタレ具合に失笑すら起きている昨今だが、笑ってる場合じゃないよ。今笑っているその相手はかつての自分の姿と言えるだろう。ライブドアを笑う人々(自分含む)は、かつての痛い自分の姿がダブリ、静観できないから笑うしかないのかもしれない。気をつけたい。

「渋谷陽一 vs 中村とうよう 誌上バトル」を今懐かしく思い出す。

2005年03月25日

ライブドアになったら出ません

続々と著名人が「ライブドアになったら出ないよーん!」と言ってるわけなんだけど、それを見てオレはなんとなく メモライズ事件 を思い出していたわけだ。
いきなりどこの馬の骨ともわからんやつに買収され「お前の店は今日からここだ」と言われた。その場所を見てみると、とてもじゃないが落ち着いて店出せるようなところじゃない。しかも欠陥、不具合だらけの店で、その対処に日々追われ散々な目にもあった。新しい大家に何度掛け合っても返事ももらえなかった。「勘弁してくれよ」とオレはそこに脱糞し去ってきた。
そういうオレからすると、それがプロとしての発言なのかどうかは置いといて、気持ちは痛いほどわかるんだな。確かに だよ笑。

前回書いた記事で「ニッポン放送はライブドアにナメられてたんだろう」と書いた。そういう意味で言うと、メモライズ管理人さんには申し訳ないけど、メモライズも激しくナメられていたってコトに尽きるでしょうな。あの扱いを見ると、はっきり言ってユーザはどうでも良かったとしか思えない。5万人の顧客をただ物として貰っただけなのだ。他の例えば「したらば」とかそんなのと違い、メモライズってのはユーザ同士の絶妙な繋がりがあった。濃くもなく薄くもなく。その辺の微妙さが実にありがたかった。なんとなく落ち着くなーという場所だったなとしみじみ思う。
メモライズ譲渡条件はどうだったのか、知る由もない。だが、後の元管理人さんのコメントやライブドア側の対応を見ると、丸投げだったんだろうなという気はする。ドナドナじゃないが、オレ等は子牛のようにただ売られてしまったのだ。会社なんてそんなもんだよな。だからこそ自分の足で立てねば、と今思うのであって、稀有な経験をさせてくれたメモライズとライブドアには感謝せねばなるまい(半分皮肉)。

さてと。話は長くなったがオレ等はインターネットでただ日記を書いていた素人だよな。同じような次元で「ライブドアになったらラジオに出ないよーん」なんてプロの人が言ってもいいのか。この意見はネット上でも実に多いですね。前回も書いたことだけど、その気持ちはわかるけどその訴え方ってどうなのよ?とは思うよ。とりあえず堀江氏的には、こういうのは最も嫌いだろうと思うし、世間的にもあまり有効だとは思えない。

しかしたとえばアーティストには、来たオファーを断る権利も当然あって、昔の羽賀研二じゃあるまいし、来た仕事をすべてなんでも請ける義務はない。自分のイメージやポリシーにそぐわない場所で無理にやる必要などないのだ。そういう意味から言うと「ワシはあの会社の映画には出んぞ」というのも全然ありでしょう。
のちのち堀江氏が大化けして超メディア王にでもなり「しまったー。あの時請けときゃよかった…」と後悔することもあるかもしれないけど、それは彼等個人個人のアーティストとしての責任ってだけで、別に第三者がどうこういう問題じゃない気がする。擁護する側は「お世話になった人が大変だ。むかし受けた恩は返さなきゃ。」って気持ちなだけで他意はそれほどないと思うな。
タモリ氏にしても今後の人生がそれほど残っているわけでもないし(失礼)、無理に嫌な仕事やる必要などないだろ、という判断でしょう。みんなただ個人のアーティストポリシーを述べているに過ぎないわけですな。

ただ、当事者である社員の発言もそのレベルってのは、やっぱり「どうなの?」だし、そんなことをみんなに言われてしまう会社ってどうなのよ?とも思う。なんだか「情けなー」な気分になります。しっかり亀渕さん!

…ってやっぱりつい言いたくなってしまうな。これ。笑

2005年03月24日

ニッポン放送はライブドア堀江氏にどう見られているか

高裁の新たな結果を受け、インタビューに答えたりサイトで声明を発表したりという形でニッポン放送関係者の方々のコメントが出ていましたが、一言で言うと「う〜ん…」。

まず堀江氏には、ニッポン放送に対するリスペクトがない、と言っている方が多いんですが。そら、そうでしょうよ。あったら最初にあんなことしてないでしょうし。ニッポン放送の番組を堀江さんは少しでも聴いてくれたのか?とか。うーん。多分興味ないと思うけど。
つまりバカにしてたんですよね。逆に言うとニッポン放送がなめられてたんでしょう。ただ、働いている方々がみんな居なくなる、という動きは堀江氏も想定してなかったかもしれない。ただのハコ買ってどうする?大変ですよースタジオは。なんならオレが手伝いましょうか?(笑)

今までいろいろ堀江貴文氏理論について書いてきました(オレの考えは ここここ でまとめてあります)。こういう考え方の人の特徴のひとつに、年上の人を年上であるという理由だけではリスペクトしない、というのがあります。当たり前だと思うんだけど、なかなか理解してもらえない考え方ですね。
たとえばオレなんか、音楽はほとんど洋楽ばかり聴いて育ってきました。テレビも洋物。映画もそうですね。だからやはり国内のそういうもの全般は、洋物の二番煎じでつまらない、とバカにしていました。そう思って長年生きてきたのに、急にその世界と関わりを持ったからといって、手のひらを返したようにリスペクトなんかできません。なので、なるべくその辺は触れないように、上手く避けながら生きていくしかないんですな。そのうち世代も入れ替わって自分たちの時代が来るし。

ところがこれ、実際に現場の人たちと触れ合うとそんなこと言えなくなってしまうのです。なぜなら、そこに居る人個人個人はみんな良い方々ばかりだからです。メディア、というと何か得体の知れない怪物みたいでウザイ感じがするけれども、開けてみればみんな人ですからね。例えば普段、警察はウザイとか思っていても、実際に警官の親友が自分に居たらどうでしょうか。警察ウザイ、とか気軽に言えなくなるんじゃないかと思います。選挙でもそうですね。普段自民党ウザイ、とか思っていたが大学時代の親友が立候補したので応援することになってしまった、とか。ネットでもそうですね。それまで緊張感のある議論が続いてきたのに、オフラインで逢ってしまって、以降馴れ合いになってしまった、とか。

今回、あちこちから出てきたニッポン放送関連の方々のコメントは、その辺の感情を上手く刺激するようにできてるんですな。だからオレは見てすごく姑息に感じましたよ。普段はそういう面を出していないくせに、こういうときだけ使うのか、と。あなたたちは 空腹のときだけ甘えて寄って来るネコ なのか、と。亀渕さんからしてそうですね。あの訴える姿はどこか胸を打ちますよ。実際あの方が上司だったとしたらオレだって応援してしまうかもしれません。そういうことからして既にメディアによるフェイクなのですよ。自身がメディアとして有利な情報をフェイクして流している。
こういうものが最も堀江氏の嫌うものでしょうね。こんなことをする放送局だ、リスペクトなどできるわけがない、って感じでしょうね。

ところで、興味が無く聞いてもいないのにバカにしたりなめたりできるのか。

テレビ等でも報じられていたのでご存知の方も居るでしょうが、実は以前の株主総会でこんなことがあったようですホンゴー侍さんより)。
オレは株のことなど素人以下の人間ですが、それでもこの議事の進行はひどいだろ、と思いますね。大人が問答無用で子供を追い払うようなやり方そのものです。ニッポン放送(亀渕氏)からすると、文句があるならウチの株買うなよ、ってとこでしょうかね。どこかの掲示板の管理人も「文句があるなら書くな」と言ったという噂がありますが、まあそれに近いのかもしれません。ともかく、これで相手を怒らせてしまったというか、その気にさせてしまったんでしょうね。

そうでなくても、ニッポン放送の電波は都内でさえ届きにくい、とか目に見える形での情けなさもあります。確かにおもしろい番組は多かった。しかし地方はネットしてないとか、都内でも聞きづらいとか、リスナーのことを本当に考えているんだろうか?と思うことも無いとは言えなかった。実際オレなんか地方に居てニッポン放送を聴けない時期が長かったし(他のラジオ局はネットされてた)、東京に来てもニッポン放送だけ入りは悪いし、弱小ラジオ局だと本当に思ってましたよ。
それでも、優秀なスタッフの方々やニッポン放送を愛してくれる人々に支えられてなんとか続けてこれたのだな、と今ならわかります。しかし現状を見ると、それに甘えるあまり努力を怠ったのでは?と訝るのも、ある意味当然じゃないかとも思えるのです。

みんな言ってますけど、結果はどうであれ、いろいろ考え直す良い機会にしてもらいたいな、と。心から思いますよ。


-追記-
心の所有者はみなさんです。by 堀江貴文

…と(この応答の意訳)。
なかなかいいフレーズを考えましたね。誰かの入れ知恵があったのか。いずれにせよ堀江氏理論が一般にも理解しやすくなったでしょう。後出しっていうのもなかなか知能的。その気持ち、オレはよくわかりますよ。


-追記2-
更に後出しな人登場。ソフトバンクかー。
堀江氏みたいな行動をしている人の場合、どこにも拠り所がないから、自身がよほどしっかり完璧を期してなきゃいけない。じゃないと今回みたいにいきなり持ってかれちゃうこともある。その辺がオレがここ10年で勉強した部分。その辺はこの一連の話をまとめるときにでも改めて書きたい。
まぁ今回の場合はまだ何かウラワザがあるのかもしれないが。ともかく堀江氏にもがんばって欲しいですな。

2005年03月19日

ブックオフ・スタイルと堀江貴文氏理論

巷ではライブドアとO報道を結びつけたりして大変な目にあっている(笑)人がいるようなので、オレの意見はあくまで個人的感想だから、と一応断って(逃げて)おきます。

オレの考え方と堀江氏のメディア理論に似ている部分が多いと書きました(こことかここ)。前回はちょっとわかりにくい「作曲家と歌手」との関連で語り、全員を引かせてしまいましたが(笑)、今回は「古本屋」で挑戦してみましょう。

実はオレは、むかし古本屋でバイトしていたことがあります。ほぼ1年間やったのですが、今振り返っても本当にひどい仕事だった、とつくづく思います。店主は典型的な頑固オヤジで店内を仕切っていました。頑固なことは別に構わないのですが(オレも頑固だと思うし)、頑固で居る為に不可欠な、確固たる信念とか尊敬できるような人間性とかがそういったものが感じられなかったんですね。偉そうに文学論や古書論を語っていながら、売れ線の悪劣本を値を吊り上げて売ってたり、学生をバカにしていたり、特定のバイト店員を優遇したり。特定のジャンルの相場をどんどん吊り上げた時の自慢話をしていたこともあります。個人経営だから良いっちゃあ良いんですけど、ずいぶん言動不一致な人だなあと感心してみてましたね。

これだけならオレ個人の感想に過ぎないのですが、店にかかってくる電話が、それはそれはひどかったのですよ。第三者の、その人に対する対応を見ればおのずとその人本人がどういう人であるか見えてきますよね。
オレは本当にいろんなバイトで、たくさんの電話応対をしてきましたが、あとにも先にも、こんな態度の電話ばかりかかってくる店は他にありませんでした。かけてくる人かけてくる人、ほぼ全員がとてつもなく横柄で傲慢で、オレは一日中むかついてましたね。古書業界というのはそもそもそういう業界なのかもしれませんが、正直、社会人としてどうかと思いましたよ。

また話が長くなってしまいました。

学生の方々なら、貧窮時代に古本屋にお世話になった経験が多少なりともあると思います。お金に窮して部屋中の本をかき集め古本屋に売りに行き、僅かな生活の足しにする。かつての古本屋はたいへんでした。店主の顔色を伺い、なるべく好印象を心がけ、なんとか1円でも高い査定をしてもらう。なんとか取り入って媚を売ったり。社会の縮図だったんですね。
まぁそれはそれで味があったものですが、こいつ(オヤジ)が果たしてまともな査定とかできるのか?足元見てんじゃねえのか?あとから高額で転売するんじゃねえか??なんて場合も多かったです。

そこでブクオフの登場ですね。今までオレの記事を読んでいただいた方ならお分かりだと思います。すべてをフラットな価値観で提供する。しかも選択肢も膨大。素晴らしいシステムだな、と思ったわけです。

ここでもオレは言ってみたい。価値があるのは古本そのものではなく書かれている情報である、と。もちろん有名作家による歴史的初版とか、そういった史料的なものはちょっと違いますが、それでもそれに価値を与えているのは、作家の書いたコンテンツですね。

オレはアナログ時代を経験した人間ですから、例えばレコードのジャケットとか、本の装丁とか、そういったものの価値はじゅうぶん知っています。しかし、内容あってこそのジャケットであるし装丁である、と。少なくとも内容が(買う側にとって)そのレベルでない限り、外見だけ荘厳な価値があってもしょうがないだろう、とも思う。

ご存知のように現在はデジタルコンテンツが増えてきて、そういった「外見」の意味合いはだんだん薄れてきてると思います。もちろんあっても良いとおもいますし、美しいアートとしても存在意味はありますが、昔のように装丁のみに異常な付加価値をつけることは、今や時代にそぐわなくなっているだろう、というのが最近思うことです。
DLして曲だけ聞きたい、動画だけみたい、箱は要らんという人はたくさん居るでしょうね。

サイトにアップしてあるテキストに比較して、本の文章や文字は読みやすいという特徴があります。ですから、書籍そのものはなくなることはないとオレも思いますが、装丁の不必要な重みとか、無用な付加価値みたいなものはだんだん意味がなくなってくるんだろうなあ、と思います。
と同時に、そこに不要な価値を付加するようなメディア、つまり古本屋とかお宝中古レコード屋みたいな商売も淘汰されていくだろう、と。むしろそうなって欲しいと。

まぁ言ってみたりするわけですね。ていうか、既にもうなっているけどね。


参考カテゴリー
メディア〜ネット・書籍化関連

2005年02月26日

メディアによるフェイクと堀江氏の関連性

たまには音楽屋(笑)らしいことでも書いてみようと思います。

ライブドア・堀江貴文氏の述べた考えは以下のようなものです。
ネットは新聞を殺すのかblog さんより)

我々は「世の中をこうしよう」というような意思を働かせない、本当の意味での媒介者、「メディア」になる。変なバイアスをかけるようなことはしません。発信者の意見をそのまま伝える、それがメディアの使命です。事実かどうか、それは神様にしかわからない。

この考えは(良い悪いは別にして)オレは実によくわかるし、自分と似ている部分もあると書きましたね。この堀江氏の考えについていろいろ考察していたときに、これは自分の音楽の好みについても当てはまるんだな、と気付いたのです。

実はオレは、歌手が勝手にオリジナル・メロディを変えて歌うのがイヤなのです。これを音楽用語でフェイクと言います。フェイクというと難しいですが、たとえば演歌の場合のコブシとかアヤを付けるとか、タメとかアドリブとか、そんなニュアンスですかね(参照)。つまり本来作曲者がメロディとして書いていない旋律を、歌手が「そのほうがカッコいいから」とかいう理由で勝手に変えて歌うのが嫌いなのです。

(実例は長くなったのでまとめて下に書きます)

つまり、ここで言う「歌手」はメディアなんです。そして情報は作曲者の創った曲です。作曲者は、コード進行、和声構成とメロディや歌詞との関係をちゃんと考えて創っています。そのとおりに演奏されるからこそ、その曲の持っている本質がリスナーにちゃんと伝わるわけです。極論すれば、歌手はそれをそのとおり再現すればいいだけのです。この辺を考えてくれない歌手がけっこう多いんですね。本人は乗っていたり、良かれと思ってやっているのでしょうが、そういう時のオレは「頼むから変にヒネって歌わないで、普通に素直に歌ってくれ」と思ったりしています。

堀江氏が情報にバイアスを掛けてはいけない、と言うのと同じように、オレは、作曲家の作ったメロディに変な色を点けて歌ってはいけない、と思うわけです。出来るだけ元のメロディに忠実に、綺麗に歌ってほしい、と。楽曲の本来の姿を正しく伝えることに徹してほしい、と。
ただオレの場合は、まったく否定しているわけでもなく、センスの良い優れたフェイクなら問題ないと思っています。むしろ、良くなるのだったらもっとやって!とさえ思います。こうなると、オレもバイアスをかけることになってしまうのですがね。

堀江氏は音楽をやる人なのかどうか知りませんが、もし彼が作曲家だったとしたら「メロディを自分が楽譜に書いたとおり忠実に歌え!」と言いそうな気がするんですよ(笑)。変な色を付けることは許さん、とね。歌手による恣意的改ざんは不要である、と。

あくまで想像に過ぎませんが、堀江氏のような気質の人は(オレもだが)、本質に出来るだけ近づきたい、と思っているだけなのではないでしょうか。その情報の本質です。誰かの目や声を通してではない、そのものが持っている本当の本質です。その為には全てをかける、と。誰に迷惑をかけても、その実現のためには方法も厭わず実行する、と。

おもしろいことに、クラッシックでも同様の動きがあったりします。近年オーケストラは大所帯になってきており、例えばベートーベンの生きている時代とは想定している人員数が違うので、彼の意図したものが近代オーケストラによる演奏では伝わらない、ということで、わざわざ当時の楽器と編成で演奏してみたりする試みがあります。また、オーケストラの曲は指揮者によっても印象が全然変わってしまうのものなのですが、オレ個人の好みはやっぱり、無用な派手さのないものだったりします。これらの例におけるオーケストラや指揮者も作曲者にとってのメディアといえるでしょうね。

以前の記事でスター・トレックに触れました。全体的に好きですが(オリジナルシリーズ)特に印象に残っているのは映画化第一作目です。機械の惑星に捕らわれた探査衛星が生命を与えられ地球に向かってくる、という内容なのですが、この知性を持ってしまった探査衛星が、人間の感情がどうしても理解できない、というのですね。そして暴れまくるわけです。Mr.スポックは、似たところがある自分と重ねて彼を見てしまい、必死に理解しようとします。

オレは、この生命を持ってしまった探査衛星にどうしても堀江氏の姿がダブってしまいます。その探査衛星はどうやってこの問題を解決したでしょうか。その答えは映画を見てみてください。ニッポン放送が意外にカギかもしれませんね。

今回の記事は、またいっそう飛躍してしまいました。ですがせっかくの機会だし、引き続き考えていこうと思います。本当に堀江氏は良いきっかけを与えてくれたと思います。


- メロディをフェイクする歌の例です -
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2005年02月25日

ライブドア・堀江貴文社長という人 2

その後いろいろ感じたことがあったので、長くなりそうですがまた書いてみたいと思います。

先日紹介した江川紹子氏によるインタビューですが、堀江氏の真意が彼女に上手く伝わっていないようだ、というtsuruaki_yukawaさんの指摘があっていろいろ調べてみました。こちらを読ませていただく限りでは実際そのとおりだと思われます(tsuruaki_yukawaさんありがとうございました)。

やはり堀江氏の考えは、オレの思うことと大変似ています。しかも hotarunoheyaさんの情報 によると、堀江氏は父親による暴力を幼少時に受けており、それが今の性格形成に繋がっているということで、なんとこれも一致していますね。驚いてしまいました…。

前回の記事 でオレは、自分自身の考えを推し進めて行くとどういう人間になっていくのか、堀江氏のインタビューでそれを現実に突きつけられ、怖くなったと書きました。今でもその気持ちは変わらないですが、やはり彼を完全否定はできないのです。

会社は人で動いている、堀江氏がニッポン放送を手に入れたら従業員はほとんど辞めてしまい、放送局はただの箱になってしまうだろう、と、誰かがテレビで述べているのを聞きました。貸しスタジオと一緒だ、と。
放送というのは芸能の部分もあって、巧みな喋り、素晴らしい歌や芝居やダンス、脚本、演出家といった、所謂持ち芸が素晴らしい人だけではなく、音声さんとかミキサーさんとかカメラさん照明さんとか、それぞれの分野でプロである方々が素晴らしい技術を持ち寄る。それらの総合体が作品となるんだと思います。メディアでもあるが創り手でもある、と。そう考えると、そもそもメディアに平等とか平均とか有り得ないんじゃないか、と思いますが。どうなんでしょうね。
最近は番組制作の外注とかも多いですが、メディアということを考えるならば、そっちのほうが本来の姿じゃないか、という気さえしてきます。メディア側が情報の発信でもあると同時に創り手でもあるというのは複雑で判りにくいし、紛らわしくもあると思います。よく週刊誌等の真ん中辺りにある、2ページほどの記事に見せかけた広告がありますね。ああいうのと一緒で、どれが本当なのかわからない、実は本当のことなどまったくないのではないか?という疑念さえ浮かんできます。結局「デパートの大食堂」ってことなんでしょうね。

堀江氏のやりたいことは合法的闇市みたいなことなのかもしれません。場所をやるからおまえら好き勝手にやってみろ、流行るか流行らないかは客しだいだぞ、と。そういうことなら理解は出来る。

さて、そこで問題なのはライブドア(堀江氏)の提供する場所でいいのか?ってこと。

オレはメモライズ事件を今も忘れていません。何度もしつこいようですが、やっぱりあれは典型的な例だと思うのです。自分は「経堂駅前(笑)」にお店を出していたつもりだったのが、いきなり「今日からここは歌舞伎町です」と言われたようなものでした。それほど、ライブドアのポータルの印象は酷いものだったのです。エログや宣伝が溢れるなど、無法地帯然と化していました。
コンテンツをかたっぱしからゲットするのは良いが、その維持をしない、という問題もありました。どうなってるの?と何度訊いても会社側の誰も返答しない、とか、本当に大変でしたね。

テレビで堀江氏を見ていて気になる点があるのです。それは彼が常にイライラしているということ。自分も経験があるので判るのですが、ああいう育てられ方をしているとああいった性格になるんですね(父親の件)。
これは橋本龍太郎(元)首相を見ても思うのですが、メディアに出てイライラしている人はダメです。これは申し開きの余地なし。たとえメディアが恣意的にその部分だけを編集していたとしてもダメなものはダメ。イライラしているトップの下ではろくな人間が育たないからです。これは他ならぬ堀江氏自身が証明していますね。彼の父親がそうだったから彼もそうなのでしょう。ちなみにオレもそうでした(今もその気はありますが、だいぶ自重はするようになった)。
しかも、そんな性格ゆえか、江川氏のインタビュー等でも判るとおり、まったく彼の意思が他者に伝わっていません。というか、伝える気がないのでしょうね。判るように話さないのに、判れと言うのも無理な話ですが、追い込むと面白いキャラなのでインタビューする側も煽っているのもあるのでしょうね。この辺はショーケン(萩原健一氏)のインタビューを彷彿とさせます。

ということで、ライブドア或いは堀江氏のアイディアは同意できるけれども、彼の下ではそれをしたくない、というのがオレの考えですね。堀江氏が嫌い、というほどでもないのですが、オレがメモライズ事件でとっと撤退したことでも判るとおり、ライブドアの下ではメモライズ時代の自分のキャラを活かせないだろうという判断です。著作権問題 等でも今ひとつしっくり来ない部分があるし、安心して身を任せられる場所ではないというトータルな印象もあります。それが気にならない人や向いていると感じた人は、そのまま残れば良いでしょう。

今までの社会では、自分のやりたいことを実現するためには政治力のようなものも必要でした。素晴らしい(と自分が思う)コンテンツを創るだけではダメで、嫌な相手に「お願いします」と頭を下げたり、根回しをしたり、それを売り歩いたり営業する能力も必要だったのです。それは中間にメディアというのものがあるからですね。直接リスナーやユーザに届けることが難しいのです。例えば、どんなに良い音楽でも、まず最初にレコード会社を説得しなければなりません。ディレクターやプロデューサの熱意によって生まれたり世の中に知られた音楽はたくさんありますが、逆に彼等に取り上げられなかったため、知られることもなく消えていった音楽もたくさんあることでしょう。本当なら、それを選ぶのはリスナーや消費者であるはずです。今ならそれが可能になるのではないか。それはオレも思います。
もちろんレコード会社も不要ということではなくて、レコード会社も(堀江氏の言うところの)市民記者も同様に同じフィールドでレコメンドすれば良いのです。消費者がレコード会社の推す音楽のほうを良いと思ったら、それを買うでしょう。
しかし、良いコンテンツは組織が創るという部分もあって、良い組織には良い人も集まっていますから、結局プロの作るプロらしいコンテンツは、大きい組織のほうが生みやすいだろうとは思います。これは前述した「芸能」という部分に繋がってきますね。


というわけで、ゴチャゴチャ書いてきました。

依然、株問題も結論は出ていませんが、どっちに転ぶにせよ、この事件がメディア問題を深く考えさせる大きなきっかけになったのは事実です。堀江氏が行ったことの一番大きな意味というのは、実はそれなんじゃないのか。それだけだったりする可能性もあるかも。きっかけは〜ライブドア♪

思い返せば80年代のフジテレビもこんな感じだった。既存のテレビというものに疑問を投げかけてスタイルを変えてしまった(とオレは思っている)。

時代は変わる。皮肉なものです。


-追記-
フジテレビ社長曰く「事実だけを冷静に伝えるべきだと思っている」!
え〜と…。笑うところ?

2005年02月19日

ライブドア・堀江貴文社長という人

メモライズ・Livedoor Blog 騒動やニッポン放送株取得騒動で、どちらかというと今まで野次馬的視点で生暖かく見守る対象であった堀江氏であるが、実はすごい人であることがわかった。

まずはこちらを是非どうぞ。

「新聞・テレビを殺します」 〜ライブドアのメディア戦略江川紹子ジャーナル より)

うーん。これはオレも不勉強だったなあ。表面だけ捉えて面白おかしく扱っているうちに、とんでもない目に遭うかも知れぬ。キャラとして弄っていた人間にいきなり裏切られ、あわてて対処したフジテレビだが、誰にとっても明日は我が身でしょう。

これについてはたくさん言いたいことがある。何から書けばいいのか判らない。おそらく支離滅裂な文章になると思うので、初めに謝っておきます。

まず前回書いた小売店の記事。これは前回分の補足も兼ねてもう一度説明します。商店街の小売店は扱う商品が限られていますね。だから商品も当然、店主による、或いは提携しているメーカーによる選択が行われ、店頭に並べられています。つまり買う前に既に誰かの意思が働いていて、我々消費者は自分の意思の前に、まずその小売店の意思を反映させられて買っちゃってるわけです。前にも書いたように、オレは子供の頃よく騙されました。騙された、とは言っても些細な嘘みたいなものですけど、子供心にはショックというかかなりムカつくものです。
そういった経験からオレは、店主(不要なオモネリや客に対する媚)に騙されず、メーカーの意思も介在させず、自分自身の目と耳と情報のみで商品を選択したい、と考えました。そういう点で、あらゆる商品が揃っていた大型店というのは実に素晴らしい存在であった、と。これはどんなジャンルでも、です。電気製品だろうがCDだろうが書籍だろうが食料品だろうが、たくさんの中から自分の意思で選択できる。これこそ自分の望んだ買い方であった、と思っていました。

これと似たようなことが音楽系メディアにも言えて、今まで散々書きましたが、本当の役立つ情報がバカ高い書籍の値段設定のおかげで庶民の手に届かず、リスナーは情報を独占しているメディア側の稚拙な解説やライナーを読まざるを得ない状況である、と。それを打破したいがため、サイトで音源情報などを駄文ながら書き綴り、情報の平均化に努めようと思っている、ということですね。

ほかにもいろいろありましたが、どれも根底には「情報は平均に、誰にでも」というのがあると思います。流す側は選んではならない、選択するのはあくまで自分である、ということです。だが残念ながらメディアは公平ではない。これも事実ですね。なので、騙されない目を持とう。これも言いたいことのひとつでした。

さて、やっと堀江氏のインタビューに戻ります。オレのような考えで何でも進めてゆくと、どうなっていくのか。堀江氏のインタビューに答えは全て書いてありますね。あまりにも彼の考えは、オレの考えと一致するのです。

今までオレは調子に乗り、様々なことをここで書き散らしてきました。
そして今回、お前の望んだことがこれだぞ?と、堀江氏のインタビューという形で具体的に提示されてしまったのです。現実に見せられ、オレは「怖い」と正直に思いました。

オレは昔から大人に可愛がられない子供でした。なぜか判りませんが、ほかの子供とオレとの扱いに差があるのです。子供にとっては大人が全てですからね。扱いに差が出ると、受け取れる情報の量や質にも差が出てしまいます。オレは当時「自分は天才である」と思い込んでいた馬鹿でしたから、この扱いはとてつもなく理不尽に感じました。その感情が、前述したような考えに繋がってくるのだと思います。

堀江氏は、たとえば寿司屋の大将の「今日はこれが美味しいよ!」といったような言葉に耳を貸さない人間なのでしょうか?江川さんが例に出している新聞の小さい記事のようなものは、こういった店主のレコメンドに当たるものだと思います。
それとも彼にとっては「美味しいよ」=「人気のあるコンテンツ」と捉えているのか。つまりこれが寿司屋ではなくアマゾンだったとすると「今日はこれが一番売れてるよ!」となるのか。その辺の捉え方はどうなのか興味があります。

社会人になり様々な仕事をしました。そこで判ったのは人間性もかなり重要なんだな、ということでした。
オレ個人は、実力主義が一番だと今でも思う。実力がある人なら、とてつもない天才の人ならば、人間的には最悪でも最低でも構わない、そう思って生きてきたのですが、実際の社会はそうではなかったですね。
人間的に最低でいるために、とてつもない実力と才能を常に維持しなければならない。人間的に最低でいるためには、とてつもない努力が必要だったのです。

堀江氏もこのループにハマってしまっているのではないか?そう感じましたね。

結局オレは子供のときだけでなく、大人になってからも年上の人間にはまったく可愛がられませんでした。年上の人たちが提示するほとんどのアイディアは、オレがまったくやりたくなかったものばかりでしたから。そりゃあ仕事やりにくいっすよ。あたりまえです。向かってくるもの全員「敵」ですよ。だから自分を磨くしか方法はなかったんですね。

今なら、それも道のひとつだとわかります。まず初めに先輩の言うことを聞いておいてシステムに入り込み、10年くらい経って自分の事が出来るようになってから、自分自身のやりたいことを始め、社会を思うとおりに変えていけばいい。それも方法のひとつだと判ります。しかし、若いうちはそんなこと判りませんよ。オレ馬鹿でしたし。
堀江氏もどこかで「年を取るまで待ってられないから、今好きなことをやるのだ」と言っていたはずです。

結局社会に入れなかったものはゲリラになるしかないのか。それとも今後の社会は変わってゆくのか。そんなオレ等にとってネットは素晴らしいツールだと勘違いするのも、我ながら判らんでもない。

ミスタースポックにある半分の人間的感情。これの意味をオレはこれからも考え続けていきます。

やっぱり支離滅裂になってしまった。みなさんスマソ。


-追記-
この記事には続きがあります。

2005年02月17日

いらっしゃいませ、こんばんは。

☆記事執筆から4年後に奇跡の復活!
http://maicou.tumblr.com/post/168684301



オリジナル文は以下です(同じですが)。
オリジナル

2005年02月09日

ライブドア、ニッポン放送株35%取得

いやあ。このカテゴリを今さら増やせるなんて。感動ですな。

オレがかつてライブドアにどんな目にあったかは こちら を是非とも。
もっともこれはオレだけじゃないけどね。
元メモライズユーザの中には今でも恨んでる人は少なからず居るであろう。
気に入らない場所を見限るのが早いオレは、とっととライブドアブログから撤退してしまったわけだが、そうして他人事になってしまうとライブドアというのは楽しめる企業なのだと知った。

当カテゴリの 記事 でオレは、
これからの展開を見ずに何かを言うのもアレなんだが、
堀江氏には新たなネタを見つけてまた祭りを起こしてもらいたい。
良くも悪くも、ここまで注目させた意義は大きかったと(今更ながら)思うので。
是非また楽しませてほしいね。
と書いた。それが現実となったわけだ。


しかしメディア関連ときたか。
この件についての詳細は ガ島通信さんR30さん をぜひ。参考になります。

ちょうど今、メディア関連は旬な話題で個人的にも盛り上がっていたところ。
ここは是非ともドン・キホーテとなってかき回していただきたい。
野球なんかよりもよっぽど意味のあることだろう。

最後はジョンレノン氏についてポールマッカートニー氏が語った言葉(意訳)で締める事にしよう。
ジョンはゲートを最初に開ける役目だった。
僕らはあとから着いていけばいいから楽だった


ちょっと買い被りすぎかな?

2004年11月16日

例の Livedoor Blog 著作権問題

盛り上がってますな。って私も参加したけど(笑
http://blog.livedoor.jp/staff/archives/9219857.html

お祭り状態になって補足しちやんの。
http://blog.livedoor.jp/staff/archives/9326120.html


さて私は他人事ですたい。なぜならここはシーサーだし、ここに来る皆様のうち数人はご存知だと思いますが、ここは実は裏ブログで御座いまして、私はちゃんと別に表ブログとしてココログを借りてるんで御座います。さてそのココログさま。コメント出ました。
http://staff.cocolog-nifty.com/room/2004/11/post.html

プロバイダ乗り換えてまでココログに移動した私も、苦労が報われたっちゅうもんですがな。世の中タダより高いものはない。少々使い勝手が悪くても(笑)私は安心を選びます。安定もね。自分が安定するのは嫌いだけど、他人に自分の安定を崩されるのはゴメンだ。暇でしょうがないとか、祭りが好きでしょうがないとか、そういうセンター街タイプの方はライブドアが向いてるかも知れん。毎日が落ち着かなくて祭りで楽しいぞぉ〜ぅ。ライブドア。


ところで、そんなライブドアを日頃ナマ暖かく見守っている私ですが、ひとつだけ役立ったことがありますので書いておきます。

ご存知のように私は Memorize ユーザだったわけですが、この膨大な過去ログをココログにインポートできたのは、実はライブドアのおかげだったのですよね。メモライズユーザのライブドアへの移行問題に関しては納得いかないことも多々ありましたけど、メモライズ形式の膨大な過去ログブログ記事としてエクスポートできたのは、ライブドア経由だったからでしょう。これは私も非常に助かったし、他にも助かった人は多いと思う。これがなければ、そもそもブログ(どこでも)に読み込めなかったはず。まぁ、これも二重になってたり問題がなかったわけではないが、記事の内容を直したりするような必要はなかったと思う。つまりちゃんと変換できてた
これ、もし手作業だったときのことを考えるとゾッとするよね。なので、この件に関しては、たとえ成り行き上そうなったに過ぎなかったとしても、ライブドアの寛大な処置(日記データ移行→プロユーザ扱い→MOVABLE TYPEとしてエクスポート可能→ブログ乗り換え)には是非お礼を言いたいと思うよ。

まぁ、ひとつくらいは褒めないと(笑


- 追記 -
実は当シーサーにも似たような規約がある。詳細はこちら。
http://blackshadow.seesaa.net/article/1051288.html
ライブドアの著作権に関する規約問題は今に始まったことではなく、今回の改正前からそのあり方が何かと問題になっていた。その話の流れで当シーサーの規約についても話題に上ったことがあったので知っている人は多かったと思う。もちろん私自身も知っていたが、前述したとおり、ここは「裏」ブログなんだよね。メインではない。そういった選択を私がしているということで真意をご理解して欲しいわけよ。私のポリシーとしては、使っていながら文句を言うということはあまりしたくないのよね。だから、シーサーさんには「頑張ってよ」くらいしか言えない。突き放してるともいえるけど。だってプロじゃん。それくらい言われる前に察しろってことですよ。

でも特に文句はないですけどね。

2004年11月07日

LivedoorのブログとIDを削除(再び

ライブドアのブログ&IDの削除案内です。

http://blog.livedoor.com/resign/
まずここでブログを削除したあと、
http://member.livedoor.com/resign/
ここでIDを削除。


以上のように以前ご紹介したのですが、完全削除できないという方が時々いらっしゃるようです。プロユーザの方のみですがFTP削除との併用というやりかたもあります。

全ファイルを削除


私自身は、こんなこともあろうか、と複数とっていたIDのうちメインのものをひとつ残してあります。IDを削除すると何も出来なくなってしまいますからね。

一応、自己責任でお願いします。

2004年11月05日

ライブドアに横行する『欠陥工事』

http://allabout.co.jp/sports/baseball/closeup/CU20041102C/index.htm
言われまくり(笑)。ユーザおよび元ユーザには周知ですけどね。ほんとにパンクだよなあ、ライブドアって。テクとかどうでも良い。突っ走りまくりって感じ。傍目には楽しいけど、実際関わったりしたらちょっと…って思うだろうなやっぱり。頑張って欲しいのだがねえ。どうなるか。

2004年11月03日

ライブドア落選

お祭りも終わりか。いろいろあったけど、やはり終わってしまうと一抹の寂しさを感じるね。前にも書いたけどオレは野球にはさして興味がない。ブログ騒動と仕事上の絡みで、あくまでウォッチャーとして見ていただけである。そういう人間から見ると「楽天」に決まった時点で、もうこのことは興味の対象じゃなくなるのだ。「楽天」は安定した企業なんだろうが、オレら門外漢にとっては例えばほかの球団企業、ヤクルトとか日ハムとかクラウンライター(笑)とか、そんなののひとつと違いがない。つまり「どうでもいい」のだ。ライブドアはその辺が他と違っていて、例えば全然無関係のオレを筆頭に、街のねえちゃんとか子供とかおばさんとか、普段野球にまったく興味のない層やほかのスポーツのファン層に何かアピールするものがあり、いろんな意味で楽しめたのは事実。楽天に決まったということは、今までどおりの ただのつまらないオッサンのスポーツ という イメージ に収まったというだけなんである。しかも誰もがご存知のように 出来レース だったわけで、その辺もまったく面白みのない予想通りの展開。これが小泉首相だったら、下馬評に挙がった時点で結果は変わったんだろうが、まったく予想通りの、しかも全会一致というオチ。
ま、これからの展開を見ずに何かを言うのもアレなんだが、堀江氏には新たなネタを見つけてまた祭りを起こしてもらいたい。良くも悪くも、ここまで注目させた意義は大きかったと(今更ながら)思うので。是非また楽しませてほしいね。

2004年10月08日

ライブドアブログ被害者の会

…ってのがありました。
ライブドアブログ被害者の会
みんなおもしろいですね。ほかにもアケボノがドデーっと倒れている画を使った「重い」というバナーもあるんですが、オレはもう使用していないわけだから関係ないってことで。IDはまだ残ってますけどね。こうなったら是非JUGEMのも作って欲しいなあ。どっちかってーとオレはジュゲムの被害者かもしれん。

こないだネットが胡散臭いと書きましたが、こういうことがあるとまだまだイケルなと思います。ちょっと遅いネタなんですが、ライブドアの新球団名ランキングも久々に笑ったできごとでしたね。あまりにフザケタ名称ばっかり上位に並んだのでリアル公開を停止してしまいました。一位の「仙台ジェンキンス」もおもしろいけど(曽我さんゴメン)、個人的にツボだったのは「したらばメンテナンス」と「仙台・オブ・ジョイトイ」。爆笑しました。いやあオモシロイな。(参照
前の田代氏ランキングのこととか、多分こういうのって策士というかネタ師がいるんだと思うんだけど、いくらネタ撒いてもつまらなければ消えていくんだから、誰が発祥の地であろうとも、エッセンスの抽出というか調合具合が絶妙であることには変わりがないわけで。これからも是非とも楽しませて欲しいものですね。

2004年10月06日

いつまでも私の抜け殻と戦ってるがいい

離れてみて、初めてウォッチング先としてのおもしろさに気づく。さすが Great Deceiver だねえ。

様子を窺ってみると、みんなメール関連のトラブルが多いみたいだね。メモライズ移行のお知らせもそうだし、プロの有効期限の件もそうだし、なんか今回も、何かのコンテストのメールがどうした、とか言って盛り上がっているわけだが。
ところがこのオレ。なぜかメールのお知らせだけは全て届くんである。思いつく限りでは全部届いている。それ以外でも、例えば先日、ある問題でライブドアスタッフの方とメールでやり取りさせていただいたが、とてつもなく迅速な対応で驚いたもんだ。いろいろ問題が多いようだが、ことメールに関してはオレは、とてつもなくスムーズに事が済んでいる。なぜだろうか。というか何故そんなに問題になっているのだろう?
スタッフ関連のブログにコメントしたりトラックバックしても、無対応というか対処しないというのがライブドア側の王道となっている感のある今日だが、そもそもスタッフ側の発表を「ブログ」で行うというのが、オレにとっては良く判らない。もっとちゃんとした正規窓口なりそういう部署があるべきだと思うからだ。ブログで書いたって、それはただの個人的意見だろう?問い合わせるほうも、そんな蜃気楼みたいなものを相手にせず、さっさとメールなりで問い合わせをして問題を解決したほうが早いと思うのだが。なーんて。かくいうオレも当初は、その自称「窓口」に惑わされ蜃気楼相手にパンチを繰り出したクチ。プロテ星人かガッツってとこか。ま、あんなにカッコよくないけどな。

しかし、先のNYの件を思い浮かべるとわかるように、ブログというものは日記ではなく、どうやら正規のプレスリリース足り得るものらしいのだ。そう決めたならそれでいいから、そのように対応してくれればいいのに、何故か音沙汰なしが基本。返事したりトラバ返し(笑)も義務ではないらしいし、結局ブログによるお知らせとは何ぞや?ってことになってしまう。とてつもなく大勢の人に読まれる「ひとりごと」なのか。それが会社の窓口も兼ねているっていうのも妙な話なんだが。その辺はもう各自の良識に任せるということなのか。

誰かうまいこと説明して欲しいもんだがな。

2004年10月05日

Sweet Deceiver

ライブドア周辺も相変わらずの盛り上がり。なんとも羨ましい限りですな。

ネットで何かが盛り上がっている状況を見ると、オレはいつもオノヨーコ騒動みたいだなと思う。最近の話じゃなくジョンレノンと結婚した当時のこと。もちろんオレは当時のことはリアルでは知らないが、いろんな話を読むと本当にバッシングその他すごかったようだし、ジョンレノン自身も、これに関してはあれこれ発言しているので状況はなんとなくわかる。当時もこんな感じで世界中盛り上がったんだろうなあ。いや、規模は全然小さいだろうけど。これに関して一番状況を端的にあらわしてると思った発言は「世界中の人が、まるでジョンの姑であるかのように文句を言ってきた」。やぶ北ブレンドかよ(笑)。ほかにも格言で「人は自分の頭の上のハエだけ追ってればいい」という秀逸なのもある。欧米人の揶揄というか皮肉は実に心に染みるね。

前にも書いたが、ライブドア周辺の一連の騒動は、なんだか自分も何か言わずにおれない様な気分にさせられるのだ。意見のひとつでも言ってやらないと気が済まない様な感覚。そういう意味では堀江氏も一流の興行師かもしれないなあ。ザ・グレート・デスィーヴァだ。

先日、7月からの一連の騒動についてある人と話をした。いろいろ話していて気づいたのは、自分が何に対して怒っていたのか良く判らない、ってこと。自分はただ煽られてただけだったのかもしれない。誰に?釣り氏は堀江氏か?正直わからないね。彼の「社長日記」を覗いてみると、今も相変わらず多数の激励やらバッシングやらのコメント、トラックバックで溢れかえっている。みんなが堀江氏の姑であるかのように。投資家の人や関係者は他人事じゃないだろうが、あそこに書いているのは圧倒的に普通の人が多い感じがする。みんなオレの様に煽られて出てきたのだろうか。

ブログ使い始めの頃、このブログというツールに関して調べてみた際に、NYのテロ事件が発端となり普及したようだとの記事を見つけた。オレはこの手の情報は疑ってかかる人間なので100%信用はしていないけれど、そんなツールがこんな風に有効利用されるなんて堀江氏も思ってなかったかもしれない。日記というよりは掲示板に近いなんて話もある。「社長日記」もそういう意味では、堀江氏が建てたトピック(スレッド)と言えなくもない。おもしろいものだ。ま、この辺は門外漢のオレであるが故、墓穴を掘るまえに話を止めておこう。

のめり込んでいる時には気づかないけど、実際はネットというのは小さな世界なんだよな。もちろんそこで大きな世界を築き活躍している人がいるのも知っているが。いくら巨大になろうが「箱庭は箱庭」という気がする。とてつもなく大きな箱庭。ネットに対するこんな印象が拭い去れないオレも、もはや古くさい人間だろうな。歌う屍か。それもまたよし。

2004年10月01日

ライブドアのブログとIDを削除

というわけで、気に入らない場所からは、とっとと撤退しましょう。

ライブドアのブログ&IDの削除案内です。

http://blog.livedoor.com/resign/
まずここでブログを削除したあと、
http://member.livedoor.com/resign/
ここでIDを削除。

これでめでたく完全撤退できますね。多分これで大丈夫だと思いますが、FTPが使える方は念のため全ファイルを削除してからのほうがいいでしょう。IDを削除してしまうと二度と何もできなくなってしまいますので。念には念を、ですね。
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