2005年06月04日

遠くに投げられたボール

前に書いた記事の意味合いとはちょっと微妙に違うんだけど、
こんなことがあったということを書いておきたい。

まずこちらをどうぞ。

善意の捏造が悪意に利用されるまでシッタカブリ〜ゼの私何様?!さんより)

これを読むと戦後の闇の部分は今だに深く残っているのだなあ、と思う。

上記コメント欄でも書いたけど、オレは高校時代の歴史教諭が授業の中で言った、

「近代史にはいろいろ問題があるが、当事者がまだ生きているから
言えない事がたくさんあるんだよ」

という言葉が今でも忘れられない。

彼がどういう意図で言ったのか、

「だからリアルな話は出来ないんだ…スマヌ」なのか、
「洞察力を付けて欲しい」なのか、
「自分自身で学びなさい」なのか、

その辺の真意は当時判らなかったんだけど、気持ちはなんとなく伝わってきたんだよな。


当時の教育界は今よりももっと まっかっか だったと思うから(参考)、その先生としては個人的に何かいろいろ想うところがあって、オレらにわざわざそう言ったんだと思う。

あれから、かれこれ20〜30年経つわけだよ。それでもオレは、何が本当で何が嘘なのか、明確には判らない。その先生が遠くに放ったボールをオレはまだ受け取れていない。でも、彼がどこかに向かって投げたって事だけは知ってるんだ。それを思い続ける限り、いつかは答えが出るような気がする。

答えを出す必要は無いのかもしれないけどね。

なんてことをちょっとメモ書き。
marcomusi at 11:23 | 東京 🌁 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記

2005年05月21日

日本人が趣味に生きるのは20年早い

とあるメディアで、一般視聴者からの応募作品を選別する仕事をしていたことがある。詳しくは言えないが、かなり規模は大きいものだし、応募作品も俳句とかそのような手ごろ(笑)ものではなく、完成させるにはかなりの時間と集中力とエネルギーが必要となるものだと言っておく。

応募作品には住所氏名年齢とともに彼等の職業も記されていた。職種は様々で、硬いものから軟らかいものまで、いろんな仕事の人々が応募してきていた。個人情報がうるさい昨今であるから詳細は書かないが、仕事や職種は本当に多種多様だった。

まぁ一番多いのは「フリーター」だったんだが(大爆笑)。いろんな人が応募してくるもんだなあ、といつも感心しながら作業に当たっていたのだ。


最近いろんな事件事故が多いね。それでふと思い出したんだけど、その応募してくる人たち。

本業は大丈夫なのか???


要らぬお世話ですけどね。ちょっと気になったんだよ。


いつも思ってたんだけど、今の日本て(職種によるけど)休日多すぎると思う。もちろん休みなしで残業三昧ざけんな!って人も多いけど(実際たくさん知ってます)、かたやものすごく休んでる人もいると思う。だいたい休日法とか何とかで祝日が倍くらいに増えてるしさ。バカンス(長期休暇)は昔よりは全然充実してるだろうな。だからこそアウトドアとか娯楽品も売れてたんだろうし。


日本は高度成長で世界でも例を見ないほどのシステムを構築した(んだよね?)。世界一安全と言われ、世界一勤勉と言われ、世界一几帳面と言われ、世界一頭イイと言われ、水と空気はタダだと思ってると言われ。

しかしその素晴らしい日本式システムっつのは、高度成長期に先輩の皆様が一生懸命汗水たらしつつ休む間もなく働き続けた結果出来上がったものだったんじゃないか、と最近思っているのよね。団塊エイジの方々の人海戦術も大きかったろう。

素晴らしく理想的なシステムだけど、あまりに理想的であるが故、維持するのも実は大変なんじゃないか。その維持にも、作り上げたときと同じような労力と人が必要なんじゃないか。


最初に書いた応募の話に戻るけど、確かにいろんな職種があったんだが、たとえば社長とかね、大企業の人とかさ、そんな人は居なかったのよ。オレの見過ごしでなければ、恐らく一人も居なかったはず。それって、その対象に興味がないということももちろんあると思うけど、本業で精一杯 or 十分ってコトなんじゃないか、と。最近思ったのね。


あんまり根拠もなく決め付けられないので、このオレの意見も「話1/10」くらいで聞いて欲しいんだけど、かつて作り上げたジャパンシステムを維持するには、今の状態では人も時間も足りないんだろう、と。むしろ、原因はそれだけなんじゃないのか、と。

人はどんどんリストラされて合理化だし、たった一人が膨大な仕事量を抱えている。
かたや別な人はというと、休みごとにどこか出かけたり、趣味に没頭したり、何か作品を応募するため熱心に製作したり、そんなことに時間を費やしてるわけさ。それじゃ追いつかないはずだわな。

例えばオレなんかも、仕事のことは1年中24時間考え続けているよ。そうじゃなきゃ出来ないから。まぁ、オレは力不足なだけでもあるんだが、何か作ったり書いたりするような人はみんな多かれ少なかれそうでしょう。もちろん遊んだりもするけども、それすら仕事のためであり、その最中も考えが止まることは決してない。

でもかつての日本人ってそうやって暮らしてたんじゃないかな、そうじゃなきゃ戦後にこんなんならないでしょう、と。最近思うのよね。

欧米の考えやスタイルについて、日本では「バカンスや趣味に時間とエネルギーを割き、実に羨ましいライフスタイルだ」というような言われ方で取り入れられていたフシがある。実際の当時を知らないから断言は出来ないけど、昭和30年代頃の映画テレビ文化なんてみんなそうじゃない?

もちろんそれは素晴らしいし良いことだと思うけど(?)、それが日本で本当の意味での実現を見るのは、もうちょっとあとになるんじゃないかな。それ用にシステムが落ち着いてから。
足りない時間や人でも動けるようなシステムになり、誰もが余裕を持ち、無駄に焦ったりしないようになってから。

そういう意味で今の30代以前くらいの人たちにオレは期待してるんだよね。彼等はたぶん両立させるシステムを作れるだろう。この予想には特に根拠があるわけでもないのだが(笑)、彼等を見ているとそんな気がするのよね。世の中が変わり、自動的にそうなってしまうということもあると思うけどね。だからオレは彼等への注視を続けるわけで。

いくら優れていても恐竜は滅びる。識者から3流ロッカーまで(笑)みんなが言ってたことだけど、それは、近代文明が、ということではなくて、高度成長〜バブル時代のポンプなシステムが壊れるってことかもしれないね。

ロバート・フリップ先生御用達の「小さく独立していて身軽な個体」てやつですな(理想)。

フリップ先生に関してはまた改めていろいろ書いてみたいが、まぁともかく、近い将来訪れる筈の「崩壊」には備えておいても損はしないでしょうね。

みなさんがんばりましょう。
marcomusi at 07:33 | 東京 ☁ | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記

2005年05月15日

泳ぎ方は教わったのだから泳げばいいだけ(改悪版)

このジョンレノンの言葉は永遠にオレの心の中で響き続けるでしょう。


という記事だったが、ばかばかしいからやめた(こればっかりだな笑)

つまり、過去に書いた素晴らしい記事(自画自賛)で代わりとする、ってことで。おしまい。


ひとつだけ言っておこうかな。

表向きの自負心みたいなものでなく、
その奥とか裏まで、お互い考えられているか。
考えてるとして、どっちが深く考えてるか。
それがキーだと思う。

一見、強がりで言ってみているだけのような感じもあるが
実際はそうではない気もしてる。

お互いに別な方向を見ながら話しているのかもしれないな。
(それぞれのお花畑のギャラリーに向かって)


どっちにしろあのままだと早晩壁にぶつかるだろう。
そのときにまた改めて考えてもいいんじゃないか、と。


まぁ。喋りすぎは禁物だ。


流れを全部見てる方々(もしいたら、だけど)。
その辺を探ってみるとおもしろいのではないかと思いますよ。





つーことで。しばらく音楽ネタでも書くかね。
堀江氏がなにかおっ始めたときにメディアネタかなんか書くことにする笑
marcomusi at 18:58 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記

2005年05月04日

そこに居ない人

こんな事件がありましたね。

集団の中に於ける孤独というか。自分はここに確かに居るのに、周りの人にとっては居ないも同じ、つまり居ない人にされてしまうってこと。

これってどういうことだろう、と。ずっと考えてきた。

ちょっと前にも、電車の中で化粧する女の人が増えたことに関して世の中で話題になったことがあった。いろんな人がこの行動について分析していたようだが、いちばん的確だったのは「彼女らにとっては周りの人は居ないと同じ」ってことだった。知り合いじゃない人は彼女らにとっては居ないと同じなのだ。オレは更にこうも思う。彼女らにとっての恋愛または交友対象外である人も、居ない人に含まれてるな、と。知らない人だけじゃなく、周りをざっと見て、自分に一生関係がなさそうだと思う人に対しても「居ないと同じ人」扱いしているのだ。

これはとっても面白い現象なんだよね。別に女性じゃなくても誰でも、例えばサークル内の新入りとか。場違いに若者の集団に一人だけ混ざってるオヤジとか。いろいろありうるわけ。
オレはいつも創作をするときに「どうすれば、こういう人たちに 見える人扱い してもらえるだろうか」ということを考えてる。


オレは昔から一貫して、自分の作品の中で「Communication Breakdown」ということを表現してきました。同じ日本語を話しているのに、まったく相手に伝わっていない。その空しさみたいなこと。こないだの新作もそうですね。あれのテーマを「恋愛」と見てもいいのですが、そうするとちょっと世界が狭くなるのですよ。でも、そう見えてしまうなら、作った自分の力不足ですね。次に頑張ります、としかいえないな。

でね。オレは、自分に無関係な人を「そこに居ない人扱い」するほうの人に 実は憧れてた のだ。そんなことをできるくらい自分中心に生きられる人。羨ましいです。

オレには、そんなことは「故意」にしかできない。だから「自然」にできる人が羨ましかったのだ。
そもそも昔は、それを自然にできる人がこの世に居るとは思ってなかった。それをやってる人は絶対「わざと」だと思っていた。でも違ったのだ。すごいね。天然こそ最強なんだよな、と思う。


サポセンブログ さんが良いことを書かれていました。

ウチのクレーマー記事も良ければどうぞ。


電車関連ということで大変興味深い記事を。
席を譲らなかった若者らくだのひとりごと さんより)


この記事は、他のブログ用に書いて放置していた原稿を、今回の事件を受けて当ブログに修正Upしたものです。なので多少「裏」ブログキャラとは色合いが異なることを一応お断りしておきます。
marcomusi at 13:06 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記

2005年04月27日

元「官」の見苦しいプライド

首都圏に住んでいる方々にはあまり実感がないと思うが、関西は私鉄王国だった。オレが住んでいた20年ほど前までは完全に私鉄優位で、遅い、高い、おまけにダサいというんで国鉄利用者はバカにされていた。
その後オレは東京に引越してしまったのでJR西日本の変化を見守れなかったのだが、たまに関西に訪れると、その度にJR新快速のダイヤが改良されていて「すげえな…」と思ったことを覚えている。ここ2〜30年の間に20分くらい時間短縮されたんじゃないだろうか。阪急や京阪はあまり変わってないんだから、これはすごい変化だ。言うまでもなく、これは私鉄に対抗するために行われたものだろう。

ゆうパックのクロネコヤマト潰しもそうだが、「官」「半官」或いは元「官」というのものの「民」イジメというのは極めて露骨で大人気ない、とオレの眼には映る(もともと「官」なんだから設備は揃っていて当たり前)。関西で行われたJR改革も、ある意味「私鉄潰し」みたいなもんなんじゃないだろうか。

元がただのローカル線で近年グレードアップした路線は、路線強化や設備投資を経て近代化されたものだと当然思っていたが、今回の事故でそうでもなかったことが露呈してしまった。奈良線とか埼玉の川越線とか大丈夫なんだろうか、と率直に思う。

こういう路線はもともと旧国鉄が抱えていたローカル線で、専門家からは有効性が指摘されていたものの、国鉄の怠慢により宝の持ち腐れ的存在となって放置されていたものなのだ。それを、いきなり思い出したように私鉄への対抗手段として次々再生、と。その発想は良いかもしらんが、果たして近代化に堪えうるスペックだったのか。隠居していた老兵を「会社の一大事ですから」と無理やり説得して現場に引っ張り出す、みたいなものではなかったのか。その老人を調整もせず、いきなり若者に混ぜて一軍配置してしまうようなものではなかったのか。そこまでなりふり構わず対抗する意味はどこにあるのか?

元官のメンツなのか。無駄なプライドなのか。


興味深い記事
JRの登場により競争が激化した私鉄の元運転士の息子として明日は明日のホラを吹く さんより)

悲惨な事故だ、近郊線の安易な高速化は危険だドクター苫米地ブログ さんより)

まとめ記事てるてる日記 さんより)

詳しい考察たなか@さくらインターネット さんより)


オレは信楽高原鉄道の事故を決して忘れない

信楽の記憶(上)
信楽の記憶(中)
信楽の記憶(下)
marcomusi at 06:44 | 東京 ☀ | Comment(7) | TrackBack(11) | 雑記

2005年04月09日

ひらがな自治体4倍増

いつもネットの話題ばかりなのでたまには新聞で見つけた話題でも。とはいっても、これは4月2日でちょっと古い話題。それに新聞で発見してもスキャンするのもメンドいし、結局同じ記事と思われる 配信バージョン を探して貼るしかないのよね。うーむ。

さて本題だけど、これに関してはオレ等は反省しなくちゃいけないだろな、と常々思ってる。この手のニュースを聞くたびチクリと胸の奥が痛むね。

何故かというと、若者は知らないだろうけど80年代前後っていう時代がかつて日本にありまして。軽いことが良い事だ、みたいな風潮が世の中に蔓延したことがあったのよ。でさ、オレ等も誰かさんの尻馬に乗って「お役所は固い」だの「もっと日常にユーモアを」だの「ひらがなってかわいい」だの言ってたわけよ。その結果がこれかよ、って感じでさ。ものすごく罪悪感が今あるわけさ。

今振り返ると、だけどね。何でもっと日本の文化とか伝統とか考えなかったのだろう、と少し思うね。あと、硬軟の区別が付かない大人になってしまったことへの反省。儀式というものを軽んじてしまったことへの反省とかもある。

たとえば、これって自治体の名前だよ?別に固くていいでしょう。ってこと。あと、卒業式、開会式、結婚式とか、世の中にはいろんな式や儀式がある。それって気持ち上のけじめなんだよな。ちゃんとそこを通過しないから、いつまでもだらだら生きてしまうわけだよ。葬式なんかもそうだけど、式や儀式ってものは堅苦しくてしきたりや決まりもたくさんあって、しっかりやりとおすのは大変でしょ?その大変な作業をあえて行うことで、前後の気分を明確に分けてしまうという意味があるんだよな。その行事より前のことを忘れてしまう、というような効能だ。例えば葬式なら、式の大変さで悲しみを一時忘れさせるとか。

その80年代当時「軽チャー」とか言ってた人は、そもそもは古い時代を経験した人たちだからそういった伝統的なものも身体に染み込んだ上で、あえてそう言っていたと思う。しかし、それを受け売りしたオレ等は伝統なんてないからさ、そのまますっぽりただの軽い人間になってしまったんだと思う。若いときなんて馬鹿だからさ。まんま真に受けちゃったんだよね。

オヤジギャグが笑えないように、こういう受けを狙ったというか、少しでも軽い人に見られたい、みたいな発想ってのは、見ていて悲しくなると同時に「ああ、これはオレ等の世代が固くて重苦しいのは嫌だとか散々駄々をこねた結果なのだなあ…」とすごく反省したい気分になってしまうわけだね。

頭の良い人が馬鹿のフリをすることほど痛いことはない。これいつかメディア論で書こうと思ってたんだけど、頭の良い人は普通に頭が良い事やってて欲しいね。メインがしっかりしてこそサブの立つ瀬もあるわけで。
よろしくです>頭の良い人。

ということで、いま時代は昭和的なものが見直されたり、廃墟ブームだったりでディスカバリーな感じになってるけども、それすごく分かるわけです。元はオレ等やオレ等の上の世代が「くだらん」と捨ててきたものだもんな。ホント申し訳ないよ。


おまけ。
自治体もそうだけど、駅ビルの名前も何とかして欲しいぞ。
marcomusi at 11:22 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年02月12日

筋肉番付国会

いきなり全然関係ないんだけど、
スポーツ選手が議員になるの、だいっ嫌いなんですオレ。

なに?何のためになるの?まったく意味不明。
こないだの馳氏とか。最低。テレビであの質問見るたびハラワタ煮えくり返る。
別にオレ民主党の味方じゃないけど本当に議事録から削除して欲しい。

他にもたくさんいますよ。古くは小○清子氏とか。
大仁田氏とか。松浪氏とか。橋本○子氏も。
地方だとなんか覆面の人とかもいたよね。
みんなさ、何かに役立ってるの?
いや。役に立っていても不要だと思う。もっと他の貢献の仕方があるだろが。
議員なんか、ただ政党に利用されてるだけだろう?

いや、個人的にはまったく恨みもないし
皆さんすごいとも思ってるけど

議員になる必要はない
まったくない


自分は政治にも興味があってただの筋肉馬鹿じゃないんです。
…っていうじゃない?
自分は政治も興味があるんですーって宣言すること自体が馬鹿ですから。
残念!

なんて。あえて今さら波田陽区で書いてみたぞ。

これ。実際やってみるとスッキリするんだねえ。
けっこうナメてたんだけど、意外に見直した。
だからネタ本体のヒネリをもっと頑張れ。まだ遅くないぞ>波田様

って何の記事なんだか。
marcomusi at 11:36 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2004年12月23日

Seesaaのテンプレート

ふざけてトップをクリスマス仕様にしてみました(終了)。ほかのページは以前のままです。

Memorize → Livedoor blog → JUGEM → cocolog(使用中)fc2(使用中)、と渡り歩いてきた流浪の民なオレとしては、Seesaaは安定しているし、お蔭様でぐーぐる検索のトップ10にいつも居られるし、なかなか居心地の良い場所ではあるのだが、唯一「もうちっと良いのがあればなぁ…」と少し思う部分がテンプレートなんである。これはオレだけじゃなくてみんな感じているようだよね。一生懸命CSSもいじってみたのだが、どうしてもこの「絵本みたいな感じ」が抜けないのよ。遠近法の問題だと思うのね。安定感としては最低のブログだったジュゲムだけど、あのテンプレというか各パーツの配置の方法というか、アレはなかなか真似できないと思うねえ。ブラウザの画面を小さくしていても、すっきり全部見渡せる(ように見える)デザイン、ってなかなか無いと思う。もちろん好き嫌いはあると思うけど。読んでみたい!っていう気にさせられるのは確かかな。
まー安定性なし、企業としての信用度なしっていう時点で既に本末転倒な訳だから、JUGEM=ダメダメブログという地位は当分揺るがないとは思うけどね。デザインとしては他社もぜひ参考に、というか、パクって欲しいところ。ココログもテンプレ増やしたことだし。Seesaa様もぜひ頑張って欲しいと思う。

しかしアレだな。天は二物を与えないっていうけど、本当なんだな。
marcomusi at 13:04 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2004年12月04日

イグザンプラー来てます!

http://colortelevision.net/exampler/

しかしメガネ、あいかわらずのカミカミ具合。
これも味であるが。

まだ本放送じゃないようだが、これからみんな出て来るのかな?
marcomusi at 22:14 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(2) | 雑記

2004年11月11日

団塊ジュニア

という世代があるのを忘れていた。挽回世代とか自嘲して呼んでるらしいけど(なんだいそりゃ)。そういえばそうよ。ちょうど今30歳くらいだねえ。某堀江氏とかイチローとか。ITベンチャーの企業家とか多いみたい。オレって団塊も嫌だけどジュニアも苦手でさ。バイト先でコトゴトク衝突したの思い出す。彼等の特徴は一言で言うと「必死だな」。これに尽きるわけ。別にオレはアンタをライバルとか思ってないから、というのに絡んでくるんだよね。団塊もジュニアも絶対数が多いでしょ。だから何でも大声で言わなきゃ通じなかったみたいで、その癖が抜けないみたいなんです。そんなに必死に言わなくても判るから!っていう場面がたくさんあった。生存競争なんだねえ。かわいそうだけど。彼等と活動してた頃は対抗して、こっちも必死にならなきゃならないから疲労度が倍増した。たぶん傍目にはみっともなかっただろうな。友人のW氏は必死な人を見るとなんだか笑ってしまうといってたが、俺はそこまではないけど。

まあ彼等みたいな必死な人々が、今後の日本の社会を変えてゆくんだろうから、助かる部分も多いとは思うけどね。

というわけで頑張ってください>団塊ジュニアの中の人(ケッ
marcomusi at 23:18 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(3) | 雑記

2004年11月09日

初心者の質問

ネット上にある、パソコンや電気製品、ソフトウエア等のサイトで質問に答えているエキスパートと称する人たちは、概して初心者に対する回答に厳しいのが特徴である。彼等の「使用環境を書け」「具体的に症例を書け」といった初心者に対する罵倒は、こういった質問掲示板では日常的に見られる光景である。しかし、オレはこれに関して以前から大変疑問に思ってきた。自分もある部門のエキスパート(自称)だから判るのだが、確かに初心者の質問はマヌケだが、言いたい内容は良く判ることが多いのだ。何故なら、それらの技術を習得する段階で自分自身も遭遇した出来事だからである。そのトラブルがまったく同じものではなくても、似たような事例に遭遇したりしていると「もしこうだったら、こうなっていたのではないだろうか」というようなトラブルの先読みも出来るようになる。技術者とはちょっと違うが、例えばコンサルティングとかする人もそのような先読みの事例をいくつか持って、カウンセリングなどに当たるのではないだろうか。もちろん誤った先読みは墓穴を掘ることにもなりかねないが。

確かに、初心者は自分でろくに調べもせず何でも訊いてくる傾向がある。こういった他力本願な態度は確かにイラツク部分はある。しかし、かといって突っぱねてしまうのも正しい態度とはいえないと思う。突っぱねた時点で自らの発展性も閉ざしてしまうと思うのだ。想像力のない技術者に進歩はない。膨大な「無駄と思われる作業」から「たった一つの本物」を発見するのだ。面倒なのはよくわかるが(オレも面倒だから)、面倒なものの中に案外真理は潜んでいたりするもんだ。
オレなんか、人の失敗の症例とかトラブルなんて興味津々で、聞くとウキウキしてくるもんだが、普通の人はそういう好奇心とかないのであろうか?好奇心のない人なんてツマラナイと思ってしまうが、どうなんだろう。そういえば自分の事ばかり話す人が多いよな。世の中。自分のことばかり話し続けているうち、人の面白い動きを見過ごしてしまうなんてことがないよう気をつけたいものだ。
marcomusi at 09:20 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2004年10月24日

The Beatles Capitol Albums, Vol. 1発売!

capitol

ビートルズのアメリカ・キャピトル編集版ボックスセットが、いよいよ発売です。モノ・ステレオ両バージョンの収録ということですが、基本的にUS盤のモノミックスは、ステレオミックスをそのままモノにしたバージョンなので注意。ただし、今回の CD に収録されるのがどのバージョンなのか不明なので、今後の情報を待ちましょう。

ミックス違い考察に関しては、以下のコーナーも是非ご参考に。
marcomusi at 11:21 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2004年07月30日

メモライズ存続

なのか?わけわかんないな。
とりあえず、ここの意味はないのかね。謎。
跡地

まあ、ここで書くネタも尽きたところだし
このままフェイドアウトでも良いのだが。



…ということで、8月末日のメモライズ終了に伴い、当記事は他所に移動しました。移動に際して不要と思われる文面は削除しました。
marcomusi at 18:39 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

i dont care anymore

オレの書く文章は読みにくいと言われることが多いと以前書いた。
読者の立場になって考えたことがあるのか?と疑問を持つ人も多いだろう。

結論から言うと、考えてない。
その必要がないと思ってるからだ。
本当に知りたい、読みたい情報なら苦労してでも読むだろう。
詠みたくないなら読まなきゃ良い。
本当に読みたいのならそれくらいの労力は惜しむなよ、と。

読めば判ると思うけど、オレが取り上げている題材は
結構オトナ向け(笑)だよね。
あれらの話題に興味を持つ人は、一定の年齢以上の人たちだ。
だから、絶対に甘やかさない。
冷たく突き放してるわけだな。オレ嫌なやつだから(笑

先日、音源分析のコーナーは字が細かくて読み辛いから
直してほしいというリクエストが来て、フォントサイズを変えてあげた。
これはオレの対応としては、きわめて異例だった。
普通なら、オマエ字くらいブラウザでデカくせえよ、
と思うところだが、まー世話になってる人だし。
それに、老眼入ってるんで…と言われた日には(笑)
これは対応しなきゃならねえか、って感じだったので。


さて、オレのこうした性格はどこで培われたかというと
ネットバイオレンスの項で散々書いたように、育ちと環境だね。
オレの周囲には甘い奴なんて一人も居なかったから。
何を訊いても、知らないオマエが悪い、というモロ突き放した態度。
だから、すべて独学で必死に習得したことばかり。
そうやって覚えたものは忘れないわけさ。
今は感謝してるね。やつらに。

学生の頃はロキノンの読者だった(笑
あの雑誌を読むということ自体、若い頃特有の熱病みたいなもんだが
まあ、面白かったね。不親切で不愉快極まりない雑誌。
雑誌じゅうに怒りが満ち溢れている。あれは雑誌界のパンクロックだな。

そういう流れで
「知ってもらいたい、読んでもらいたい」という欲求自体
欺瞞というか、傲慢な態度なのだな、と判ってきたのだ。
知ってもらいたい、ではなく相手に「知りたい」と思わせる。
この難しさだな。

オレの文など、まだまだその域には程遠いが
とりあえずロバートフリップ先生の言いつけどおり
ハードルは高くしてみたりしてるつーことだな。

かといって読み易い文を書ける能力があるわけでもないんだが。
marcomusi at 08:07 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2004年07月26日

クレーマー

オレはバイトでサポセンのテレアポをやってた。主に機種の使用法の説明と苦情受付係だね。

とてつもなく大勢の人の応対をしたが、そのなかでも一人だけ今でも忘れられない人がいる。彼は、始めはマトモだったのだが、こちらの対応の不味さにだんだん切れ始め、いわゆるクレーマーとなってしまった。長時間のゴネは当たり前、怒鳴るなだめるすかす、責任者出せ、オマエは会社を辞めろ、と全て揃っていた。

事務所では、いい加減みんな怒っていたが、オレはこっちも悪いんだし、なんとも言えないよなぁと思っていた。そもそもことの始まりは、こっちのシステムの不具合とそれの説明のしかたのマズさだったのだ。

会社に勤めている人なら判ると思うがシステムというのは、さまざまな部署で分担して担当していて、これはあっち、これはこっち、となっていて不具合があっても「わかりました。すぐに直します」とはいかない。まず担当部署に連絡して直してもらって「直りました(本当は、直ったそうです、なのだが)」と折り返したわけだ。

しかし実際は直っていなかったわけで、「話が違うじゃないか」と相手はだんだん怒り始めてきた。こっちは担当部署に「しっかりせえよ!」と切れたいが日頃の付き合いもあるし、そんなことも言えぬ。電話の相手は次第にテンションが上がり30分間も怒鳴り続ける。こんな重大なことになるとは思ってなかったので、こちらもいささか狼狽してしまい、彼に対してひたすら謝り続けるしか出来なかった。

実は、彼にも落ち度はあった。彼自身によるデータの入力ミスがあって、きっかけはそこだったのだ。だから、事態を甘く見ていたところもあったのだな。軽く考えていたので、ついつい希望的観測で楽観的に受け答えしてしまったのだろう。彼は自分が軽々しく扱われたことを察知し、そこに切れたのだ。

彼は毎日のように電話をかけてきて、長時間文句を言い続けた。

その彼の最後の電話を受けたのがオレだったのだが、話を聞いていると彼のいうことはもっともで全然クレーマーとは思わなかった。ただ、1時間も切れまくる人の相手をするのは辛かったけど。

今思い返してみても、どう考えても悪いのは、こちら側の作ったシステムミスと楽観的な応対だった。そのミスも、ただのケアレスミス。


彼への対応方法が部署として決まっていたので、オレは自分が思ったことや好きなことがいえなかった。もし許されたならば、全部事情を説明して判ってもらおうと思ったと思う。だが、こちらの社内のことを考えると、それはできなかった。申し訳ないなあと思いながら、決まった応対を繰り返していたのだ。

これのポイントは「信用」だと思うのだ。相手の言うことは信じられないと思った時点で、もうそこで駄目なんだと思う。何を言われてももはや信じる気になれないのだ。だから、彼は何日間にも渡って切れ続けた。確かに粘着が過ぎるけれども、今でも彼のことを悪くは思えない。

これは某乳業やヒシガタの車会社などにも言えるけど。本当のことを正直に言って早く解決してくれ、という要求に答えないので、みんな怒っているのだ(事故で止まった電車もそうだよな)。

商売をやっていて、客の文句を煩いと思ったらそれで終わりである。自分では気付かないことを指摘してくれてる部分もあるのだから。


音楽に関することだと、またちょっと事情は違うけど。クライアントや担当ディレクターじゃあるまいし、「このメロディは不快だから直せ」なんてリスナーに言われても困る。

でもそうじゃない意見で、変な下心とかも無いなら喜んで聞くけどね。
marcomusi at 18:15 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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