2005年06月13日

レッサーパンダと言えば。

レッサーパンダ男

オレは即座にこれを連想した。というかこれしか思い浮かばなかった。全然話題にする人がいないのでなんでだろうと思っていた。被害者の方のことを想うとそれも当然かと思われたが、どうも他の事情もあるようだった。

わたしは政治犯?
レッサーパンダ
以上。ヒロコです! さんより


前述のグーグル検索でも出てくるが、こんな本もあるようだ。

自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 佐藤 幹夫 (著)

その憤りはどこに向かえばいいのだろうか。
もっと知るべきものがたくさんあるのだな、とつくづく思う。


それに関連してこんな記事もあった。
ガードレールの金属片は直立レッサーパンダだ5号館のつぶやき さんより)

コメント欄の指摘も鋭い。
例の秀逸な 4コママンガ を思い出すね。


結局 アリ なんだな。


- 追記 -
こんな話もありました。

悲しいニュースを知る力

上記フラスコさんも書かれていますが、そういう意味では 2chの情報集積力というのはすごいなと思う。オレも「何か事件があったらまず2ch」という頃があった。有益な情報だけに絞り、正しく取捨選択を行うと、ホントに事件の姿が見えてくる気がするからすごい。もちろんそれには自身の情報処理能力を高めておく必要があるんだけどね。何かモノを言うなら、その努力は怠るべきではないと思う。

結局、全ては自分次第ということになるのだなあ。
marcomusi at 07:47 | 東京 🌁 | Comment(3) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年05月29日

こっちが強いのじゃなくそっちが弱いのよ

おもしろい下書きが残っていたのでアップしておこう(追記あり)。

ネットの普及で普通の人がどんどんいろんな情報を流せるようになった今、自分の言葉で語ることこそ重要。天声人語風に書くのなら、それは天声人語に任せておけばいいのだ。オレがピチVを嫌いなのもそこに理由がある。人の服を切り刻んでパッチワークのように再構成することには長けている。しかし、肝心のその服を纏うほうの人間が磨かれていないのだ。優れたデザインの服でも、それを着る人間は替えられる。しかし、音楽はアレンジを纏った本体である楽曲を取り替えることは出来ない。たとえばアナタはレニクラのアレンジをとても好きだったとする。だからといって洋服のようにレニクラのアレンジだけを買い、そのアレンジを、そのまま例えば鈴木亜美のアレンジに着せ替えたいな、と思ってもそれは普通は出来ない。それを出来るのはアレンジャーと鈴木亜美担当ディレクターだけなのだ。
ピチVが売っているのはつまりマネキン付きの服だったのであって人間ではない。人間が嫌いな人ならそれでいいだろう。実際彼等は人気を博したのだし、そのコンセプトは十分成功した。これからはその服を脱がして、自分が着る人が増えるということだろうね。

人を動かすものは本音の言葉であり、本気の仕事である。例えばオレが2ちゃんねるを嫌いでないのはその辺に理由があって、あそこの住人は言葉は汚いが嘘はすぐ見破られてしまうだろう。

必要なのは自分の世界観のみで小綺麗に纏めてしまうことではない。みんなで情報を出し合い、大きな流れの中の一粒の砂になることだ。まとめるのは誰かとてつもなく大きな者が行うのであって、その器でない者は本気の情報を提供し協力する。


オレの記憶では、つまり「メディアが自分等の世界で小さくまとまっている隙に、市井のサイト管理人とかブログの奴らがどんどん攻めて来るんだよ、メディア側は今になって気付き、焦ってるかも知らんが、そんな動きはとうに始まってたんだよ」って話だった気がする。タイトルの意味は そこ だろね。

それにしても前後の脈略なしに話が進む奴だ。
読み返して改めて思った。おもしろい奴だなオレって。笑


- 追記 -
書いたときの気分を少し思い出してきた。上の解説では「サイトやブログ」と書いてあるけど、ネットに限った話じゃなくて、リミックスとかデジタルコンテンツとかそういう話も含んでたと思った。だからピチカ-Vの話とか出て来るんだよね。これ以上突っ込むと、音楽の話に深く入っていかなければならなくなるから、下書きのままやめたんだと思う。

殆どの技術が出揃った現在、見た目上の整合性とか綺麗さとかそういうことよりも、いかにそれがリアルであるか、本当であるか、本音であるか、本質であるか、というようなことが重要になるだろう、と。それらが有って初めて、その上に纏う服や装飾が光るのだ、と。
たぶん普通の人々が提供するネットの文章とかリミックスコンテンツが、所謂プロの仕事よりも 生き生きしてるように見えている のも、そこら辺に事情があるのかもしれない、だとしたら、いったい何がそうさせているのか、と。

そういうことが言いたかったんだと思う。

自分の書いた下書きも、他人の書いた文のように考察してみると意外におもしろいんだな、と気付いた。残しておいて良かったな。
marcomusi at 08:03 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年05月24日

ボールはできるだけ遠くに投げたい

「ガ島通信」さんが終焉するとかいうんで、それをきっかけにいろいろ盛り上がっている。

今までもブログについていろいろ書いてきたが(こことかこことか)、自分としては結局「この薄さがちょうど良い」という位置付けに落ち着いている。

なぜそういう位置付けにしたかというと、実は自分自身は「とてつもなく濃い人間」だからなんである。それは各種コンテンツを読んでもらえると一目瞭然でしょう。

いろいろ書いているからには反応もレスも欲しいのだ。誰でもそうでしょうし、オレだってそうなのだ。

今までは、サイトや日記ページを持っていない人の場合、個人の意見を発表するには掲示板を利用するしかなかった(MLもあるけどオープンじゃないから)。掲示板って言うからには、ある程度双方向のものだと思うから、一生懸命書いてもレスが無ければ「スルーかよっ!」ってことになる。こんな事例はたくさんあったと思うよ。

オレはそれが嫌だから、サイト形式にしたしブログも始めたのだ。反応は無きゃ無いで良い。しかしどこかの誰かは見ているだろう、と。それで構わん、と。つまりオレにとってサイトやブログは、オレという人間の「ショールーム」という位置づけで良いのだ、と割り切っている。

いろいろあって思ったのは「初めから濃い反応を期待してはいけない」ということだった。

これはメディアでモノを書いたり何か作っている人は判ると思う。反応なんかすぐあるもんじゃないし、誰もが気に入ってくれるわけじゃない。かといって、挑発しても誰もが煽りに乗るわけじゃない。

世間の反応なんてそんなもんなのだ。最初から。みんな自分の生活があるんだからさ。人の事なんて気にしてられないって。

そんなこんなでオレが辿り着いた考えは、ボールを投げたいと思ったら、目の前にいる人じゃなくてもっと遠くの人に投げれば良いんだってこと。勢いが強すぎても、至近距離なら誰も受け取ってくれないよな。でも不器用な人ならそういう球しか投げられないし、その人に合わせて勢いを落とす必要もない。

だから、いつか採ってくれるかもしれない遠くの人に向かって投げるんだよ。遠すぎて今は見えないかもしれない。でも誰かはそこに居る筈なんだ。だからまず投げる。5年10年経って、誰かが採ってくれてたんだってことが判る。それでいいんだわ。

追記。
オレがよく「判るやつが判ってくれればそれで良い」とか「読み取れない人にまで説明する気はない」というのもそういうことなんだよね。自分に対する保険でもあるし、「すごく遠くできっと王子様が待っている(←アホ)」という超理想郷的な考えからの発言でもあるのだ。目の前の貴方が対象ではない、って感じかな(やっぱり基本は傲慢ですなあオレは笑)。


目の前で「貴方の球は受け取りやすい。すごくイイ!」とか言われるのもいいけど、それに甘んじると自分は退化してしまう恐れもある。その辺の見極めが大事なんだな。オレは起用じゃない。だから目の前に転がっている安易な賞賛に溺れないようにも気をつけてるんだ。

でも褒められると嬉しいけどね。笑


関連の優れたエントリーをいくつか。

ブログの終わりじゃなくて、アルファブロガーの終わりでしょ(笑)
ブログの終わりじゃなくて、アルファブロガーの終わりでしょ(笑)2
オンラインコミュニケーションの耐え切れない薄さ
終焉を言う者から順に終焉が訪れる----「ガ島通信」のタイトルに思う。


力作!
藤代裕之〜裸の駄々っ子(1〜5)[ガ島通信研究]


マラソンコラム終了(おつです
メディアビジネスのバリューチェーン(最終回)
marcomusi at 09:18 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | メディア〜総合

2005年05月13日

今こそ堀江氏の出番である

これはネタではなく本当の話だと最初に断っておく。

先日、外の公園のベンチに座り弁当を食べていた時のことだ。しばらくして地面でうごめくウネリのようなものに気付いた。目を凝らしてよく見てみると、なんとそれは、行列を作り大挙して押し寄せてくるアリの大群であった。
奴らは既にオレのすぐ足元にまで到達、一部は本隊から分岐しベンチの脚から登り始め、オレの昼飯への到達も時間の問題かと思われるまでに迫っていた。

マズイ!このままではアリの大群にたかられてしまうぞ。

オレは焦った。どうしたらいいか。たかってくるアリを片っ端から振り払うか?

しかしオレは殺生が嫌いなのだ。出来れば穏便な方法で済ませたい。
どうにかして奴らをオレの昼飯から遠ざけることはできないものだろうか…。


さてそこでオレがどうしたかというと。
旨そうに汁が沁みこんだ部分の御飯を、箸でひとかたまり摘まんで地面に落としたのである。

「隊長!ご馳走ハッケンですっ!」ってわけでアリの大群は目論見どおりほぼ全員が転進、その飯塊に向かって押し寄せて行き、オレは難を逃れることが出来たというわけだ。


ということで。

あれ?堀江氏の話はど(略



JR西日本を恫喝した「髭記者」の実名にたかるブログ・スクラム


続きを読む?
marcomusi at 22:10 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(2) | メディア〜総合

2005年05月12日

iPod vs Walkman

話題になっているのでご存知の方々も多いと思いますけど、グーグル率(笑)の高い当ブログで取り上げ、オレも宣伝に協力しようという作戦です。

BCNランキングに関する疑惑について 〜

「ウォークマンがiPodを逆転?!」の数字はこうして作られる

Walkmanがシェアトップだって?ちょっと待った!!!

デジモノさんのところのコメントでも既に書いてるんですが、BETAMAX〜8mmとオレは2度に渡ってSONY様には騙されているんですな。まあその代わり良い夢も見たからいいんですがね。今でも使ってるし(笑)。

ソニー様ってそもそもヲタク様御用達メーカーだよね。ラジオとかオーディオとか持っていてウキウキするようなのばっかり出してたんだから。ビデオもそう。ベータなんかもろそうだもん。

そう考えると、たまたまウォークマンとヴァイオとかがヒットしただけで(スゴ録もか?)、本来は庶民のハートを掴む手なんか持ってなかったってことだよね。

オレは今でもオタクだけど、ソニーのオタク分野とオレのそれが被らなくなってしまったので、全然食指が動かなくなってしまったのね。

iPod世代(爆笑)のオレとしては Walkman など買うこともないだろうが、そのかわり betamax と hi-8 のビデオデッキは最後まで使ってあげるから。

それで許してね。Sonyさま(はぁと


NEW!
- 追記 -

釈明(?)記事キター。
トラックバックに答えて 「ウォークマン大逆転…」掲載の理由 たった4日のデータが物語る市場の姿

タイトルなげーよ!(笑


デジモノさんの新記事。
「ウォークマン vs iPod」のその後。そして他社を忘れるべからず。
marcomusi at 06:51 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(4) | メディア〜総合

2005年04月24日

報道は「フィクション」であるという話

自分で散々取り上げておきながら、超有名どころで出ていたのを見逃すとは。迂闊であったぞ。

放送による報道とは、実は編集者という作者が「ノンフィクション」という素材を「コラージュ」して作った「フィクション」であるといったら言い過ぎであろうか?

404 Blog Not Found さんより


これは 週刊!木村剛 さんでも取り上げられてます。


オレが書いた関連記事としては、

堀江貴文社長の理論はオレの考えと近くてよくわかった、でもアンタじゃ嫌だ!という話

DJリミックスはおもしろいけど、灰色だという事実を置き去りにして無責任に持ち上げるな!という話

ネット上のログを集めて書籍にするオマエらはリミックスでもしてるつもりか?という話

メディアの報道に客観なんかありえんのだから初めから話半分で聞け!という話。


こう振り返るといろいろ書いてるね。これって、誰かに訴えてると言うよりは、自分自身が忘れないために言っておく、というのに近い。まあ一般的に言えば「備忘録」ということになるんだろうけど、オレとしてはあまりそういうつもりでもないんだな。
なんかの縁でもし読んでくれた人がいたとして、その人の心のほんの小さなシミにでもなってくれたなら、嬉しいぞということなんだよな。

こう書くと、自ら 前記事 を華麗に否定しとるやないけ?と言われるかもしれないわけだが。まぁそこは文章だから文体ってのもあるわけで。
いかにも天声人語風に書いて素人を騙そうとするのはアカンよ、君ら。ってことかな。

ということで。文章として綺麗でも必ずしも正しいことを述べているとは限らない、ということでもあった。気をつけたい。


- 追記 -
おー。今リアルで、報道2001が「不本意な使われ方をした」って抗議が来たっつんでスマソって詫びてたぞ。そうだよね。やっぱりメディアに出たら素材扱い。自分で気をつけなきゃならんね。


おなじみ、電車男の時刻表 さんでも書かれてるけど、製作側は初めから「結論をこうしよう」と決めていると思う。すべてその為の素材だから。ホントにこれリミックスなんだと思うね。みんながそれに気づいてしまったとき、報道メディアは果たして生き残れるのだろうか。そのときオレ達は、お祭りの夜店みたいに「インチキだと知っていて楽しむ」ことができるだろうか。

10年後が楽しみだなあ。


一応こちらもご紹介。
電車男情報局
marcomusi at 08:59 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年04月23日

おまえは人生幸朗かよっ!?

恐ろしく古いネタでスマヌが、オレはツービートの漫才が大好きであった。
世間的にはほとんどビートたけししか注目されていなかったが、ピン状態のたけしがそれほどおもしろくないことに気づいたオレは、以降、密かにビートきよしに注目するようになった。
きよしの役割ってのは、笑うきっかけを作ることだったと思うね。箸休めの煮豆とかオシンコだな。たけしだけだとおもしろいことはおもしろいのだが飽きてくる。そこに当意即妙のきよしのツッコミが入る。多分、言葉はどうでもいいんだな。二人ともほとんどアドリブだったと思うし、ツッコミしましたよ、という事実であれば何でも良かったんである。

で、数あるきよしのツッコミで、ツボにハマり大爆笑したのがこれなのだ。

「おまえは人生幸朗かよっ!?」

これは 人生幸朗 師匠を知らなければ面白みが分かりにくいんだが、実はオレも詳しいわけではないのだ。ほんの数回、TVの寄席や懐かしのVTRとかで観ただけである。しかし師匠のキャラは強烈で記憶に深く残っており、それゆえ、きよしの言わんとするところも理解してしまったのだ。

ぼやき漫才というと分からない方もいるかと思うが、今の芸風で言うと爆笑問題の太田が一番近いのではないだろうか。つまり世相や事件、芸能の話題などをともかく毒舌で切りまくるのだ。ビートたけしもそのスタイルだな。カンニング竹山も微妙に違うがある意味近い。そして太田、と。

今の北野たけし氏を思うと、このきよしのツッコミ「おまえは人生幸朗かよっ!?」というのはかなり重い意味を持っていることが分かる。このきよしの発言は漫才師であるたけし否定しているようにも取れる。つまり、アンタ(たけし)は他の漫才師や世相評論家みたいにボヤいてるだけでいいの?と言ってるのだ。

その後のたけし氏の活躍はみなご存知のとおり。彼は自分自身で、ただの「ボヤキ」や「茶化し屋」ではないことを証明した。
そして今、彼にツッコめるのは彼自身しかいなくなった。実際、たけし氏は自分自身を茶化すことでバランスをとっているように見える。これは絶頂時のビートルズがよく使った手である。自らを客観的に俯瞰で見て「自分等だって実際はくだらんのだ」という手法。これはある意味「保険」でもある。自分のやっていることが正しいのか?人に受け入れられるのか?そんな評価が怖いので、人に言われる前に自分で言っておく、と。

さて。話が長くなった。
昨今はブロガー(しかし、なんだよブロガーって?)流行りで、オレに限らず、誰でも彼でもボヤキまくれるようになった。どんな意見でも言うことは大切である。旧来のメディア側も、それら市井の意見とも言うべきボヤキにも聴く耳を持つべきだ、と思っていた。

しかし先日のDJサンプリング事件によって、自分は気づいてしまったのだ。そこでオレは、初めてボヤく立場からボヤかれる立場になった。
…これが 素人による独自見解 の現実であった。第三者の目には、なんと情けなく映るものであったか。

つまり、ひっくり返せばオレらも、まったく門外漢なジャンルに対して、彼のような著しく的外れである論評をしていないとは言い切れないんである。まさに反面教師。

実際、恥ずかしくてね。

今までオレはここで散々書き散らしてきたけど、こいつみたいに、他所の連中からは嘲笑されていたんだろうな、とか、所詮野次馬で何も出来んくせに偉そうによく言うよな、とか言われてたんだろうな、とか、自分でやらずにボヤくだけなら誰でもできるやないか、とかさ。もう、その姿が目に浮かぶように想像できてしまったのだった。

今後も何も言わないということはないだろう。言わずにはおれない性格だからさオレ。しかし、ただのボヤキとか、素人が首突っ込むような恥ずかしい論評みたいのは自重しようか、と激しく思ったのだね。

オレは物を創る人間だから。あくまで創ってナンボだろ、と。
ボヤキは他の奴に任せておけ、と。

そういうことなのであった。

うむ。
marcomusi at 07:20 | 東京 ☀ | Comment(7) | TrackBack(5) | メディア〜総合

2005年04月11日

DJリミックスと著作権(改悪版)

こちらの話題からの続きです。今回取り上げたいのは DJリミックス関連。


…という記事だったんだけど、ちょっと考えが変わったので内容を大幅に変更。
追記あり New!)。


オレにとって音楽製作に関する話は ファンタジーじゃなくリアル な話。
だから、言いたいことは 音で言う、と。


でもかなりムカついたのは事実なので、対象のブログリンクは残しておく。
ついでに捨てゼリフも置いときます。

まずは ∞最前線通信 の記事。
作者・芸術家の死

だいたい「伝統的で価値のある」アーティストの主張ってなんだよ?
んなもんあるかっつの。それこそ妄想。作ってる音が良ければクール(笑)だってだけだ。

>並列に並べられ、使われるのが嫌なのでしょう

…って?誰かそう言ったか?アホらしい。仮に言ったとしたらそいつも言葉足らずだが。

音ってさ。良い音かそうでないかしかないんだよ。これは主観じゃなくて事実としてあるだけ。DJだって良い音だから使ってるんじゃん。
そしてそれは創ったやつがいるわけ。道端に落っこちてる石じゃねえんだからさ。だから一応そう思ってろよって事。
遊びでやってる学生や現場のDJとか、アーティストが言うならまだ良いが。アンタなんかに言われる筋合いねえよ。新聞と一緒にしてんじゃねえよ。

この方は ここでもゴチャゴチャ言ってますが。

>重要なのは、ユーザーが楽しむことですから。

そのとおりだが、そうするためにはどうすればいいか考えてみるといい。少なくとも、自ら生み出した妄想上の権威に噛み付くことではないだろうな。


もうひとつのこちらは悪気はなさそうだけど、ちょっと不用意な内容で残念に思ったんだな。ああ、普通の人にはそう思われてるのかー、とちょっとがっかりしただけ。


でも、いまだにこんな前時代的な考え方をする大人がいるのかと思うと、悲しみ通り越して情けなくなる。自分達は新しい文化に理解があって進歩的、とか思ってるかもしれないが、その論理を展開してる本人達がアナクロ甚だしいわけで。
日本に一番足りなかったものは教育だったんだね。ホントこれに尽きる。


- 追記 -

しかしあれだな。オレも日頃 メディアがどうしたこうした 好き勝手言ってるが、いざ自分が言われるとハラワタ煮えくり返るもんだな。
これは実はオレも悩んだよ。ダブルスタンダードじゃん?ってさ。
しかし落ち着いて考えると、新聞記事や報道とかCDのライナーみたいなものと、録音された音は違うものだよな。やっぱり。レトリックに危うく騙されるところだった。

オレの言いたいことを素晴らしく的確に言ってくれた 記事(マジサンクス!!! maetatsu さん)


あとさ。
ログを勝手に書籍化する連中の話も是非読んで欲しい。
オレがすべてに否定的ではないことがわかってもらえると思う。


まあでもさ。明日はわが身だし。

気をつけたい。

自戒を込めて。



New!
- 新・追記 -
住友生命はCIサウンドロゴを著作物と考えていない。
Good Times Bad Times さんより)

これもすごい話やなぁ…。
一流会社がこれじゃ普通の人の考えだって推して知るべしってとこかもな。




訂正前の、リミックスとかDJ MIXに関する記事は下にこっそり残しておくので、興味がある方はどうぞ。

続きを読む
marcomusi at 23:31 | 東京 ☔ | Comment(5) | TrackBack(6) | メディア〜総合

2005年04月10日

著作権について

著作権について知りたいならこれ!

ブログ著作権ガイド [Blog Copyright Guide]
著作権って?



…ってな感じで、ちょっとバイアスな紹介をしてみました(笑)。最近始められたブログのようで項目がどんどん増えています。今までここで取り上げた、ネット上の文章の転載や構成のパクリ、ネット配信などについての項目もあり、参考にさせていただきました。

今までの記事を読んで頂いた方はオレの好みの傾向が分かると思うのですが、こうして情報だけを淡々と書いて頂けるのは、個人的には非常にありがたいです。ごちゃごちゃ見解が付けられていても、時には邪魔なだけだったりしますし。そういう意味では、こちらはスッキリして実に良いです。是非とも頑張っていただきたいです。
marcomusi at 07:59 | 東京 ☁ | Comment(5) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年04月07日

特集:私的複製はどこへいく?

まず興味深い記事をいくつか紹介しておきます。

http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0411/05/news055.html
http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0411/09/news007.html


実は先日おもしろい出来事があったのだ。

まずは以下のスレッドを見ていただきたい。
http://smoking186n2.hp.infoseek.co.jp/log2/1034218222.html
これは2ch系列の有名なスレッドのひとつで検索中に偶然発見したものだが、注目はここの47番。これは、他ならぬこのオレが作ってアップしたファイルなのである。ここで晒されているキース・エマーソンのアルバムは、長らく廃盤になっており入手不可能となっていたもの。是非聴きたい!というエマーソンファンの方の熱い思いに絆されて、CDを所持していたオレがMP3化しサーバーにアップ、その方の掲示板にリンクを貼ってあげたのだ。
日時を見ると、オレが作ってリンクを貼ってから1日半後に当該スレッドに貼られた模様。ブラウザクラッシャとかウィルスかもしらん、と怪しまれたのだね。誰だよ?貼ったの。なんか後味悪い。もちろん「聴きたい」といった本人がやったものではないだろうけどね。

というわけで、上の特集記事でも触れられてるけど、現在著作権問題ってのは転換期になってる。デジタル複製化が可能になったからだけど、それ以外にも例えば多数の出演者がいるドラマで権利関係が複雑でソフト化出来ないものとか、問題は「たっくさん」あるのだ。こういう非ソフト化の作品たちは一般じゃ見られないけど、裏ではp2pのファイル交換とかごく普通に行われていて、ちょっと苦労すれば見ることが可能な状況になっている。つまりコンテンツ提供側は、需要があるのにみすみすユーザを逃がしているともいえるのだ。

オレの作ってあげたエマーソンのアルバムも、そんな関係で廃盤になっていたもののひとつ。聞きたいのに聞けない、見たいのに見られない。これはユーザーだけの問題ではない。アーティスト側も一緒で、聞いてもらいたいのに聞かせられない、見てもらいたいのに見せられない、という問題を同様に抱えている。レコーディングしたものの、原版権等の問題で発売不可となっている音源も少なくない。著作物というのは一人で製作出来るものじゃなくて、リリースに至るまでに多数のスタッフの苦労や手間もかかっている。それをすべて無にするというのも、ちょっと悲しい事態ではある。

いずれにせよ、現在のところ膨大なコンテンツを握っているのはメディア側。こういうアンバランスな状況も、今後はネットが解決していくのか。過渡期の真っ只中にいる私達。ってことになるのか。

別な関連記事
http://www.asahi.com/tech/apc/040729.html


4月7日付けの新しい記事

http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0504/07/news046.html

ネットとテレビの融合――著作権問題、暫定解決の先にあるもの

徐々に状況は動きつつあるようですが、さて。


続きの記事があります。

DJリミックスと著作権
marcomusi at 22:43 | 東京 ☔ | Comment(4) | TrackBack(5) | メディア〜総合

2005年01月02日

メディアを見破る洞察力

新年でございます。

今まで書いてきましたけど、皆さんに、そして自分自身にも言いたいのは洞察力、読解力をつけろってコトです。ネット上、特に2ch界隈ではウヨサヨとか、偏った意見はとかく話題になりますが、最終的に自分自身を守るのは洞察力ですね。

今、某サンデーモーニングで戦争特集みたいなことをやっていますが、こういうものもとかく叩かれる対象になりがちです。これ以外にも例えばA新聞系列のテレビ局とか、とかくサヨ系なんじゃないかと言われ叩きの対象になっています。僕が言いたのは、つまりメディアに載る以上、誰かのバイアスがかかっていることは確実ってことです。客観的な報道などありえない、全てに平等な報道など有り得ない、ってことです。メディアにそれを求めても、それは無理です。

何かの情報がメディアに載る場合、その製作者やディレクター、編集者といった第三者の力が必要です。彼等の熱意や使命感といったものが大きく作用します。その熱意や熱さが上司や局といったものを動かすのですから。その時点で彼等の偏見が加わった形で公開されると思っていいと思います。

けっこう年を召した方が言う言葉に「話半分で聞け」というのがあります。当事者から直接聞くのではなく、第三者が介入している時点で何がしかの意図が加わっていると思って間違いないと思います。それを予め判った上で、織り込み済みな部分として聞く。これが重要です。

そんな偏見が加わった形で公開される情報、果たして意味があるのだろうか。しかし、誰かのただならぬ熱意がなければ、そもそも公開される事のなかった情報なのです。我々に必要なのは、それを読み取る力です。編集者やディレクターの恣意的操作に惑わされない。というか、逆にディレクターはこの視点で編集したのねー、的な見方が必要だということです。

メディア側の偏見や恣意的編集など、突っ込む余地はいくらでもあります。しかし、そのVTR出演者やリアル出演者の話やインタビューの一字一句、映像で見られる情報など、そこで得られる有益な情報はたくさんあります。「目に映るものは全てメッセージ」。荒井由実がかつて言ったこの価値観は、どの場面でも通用する価値観です。

表面上の形に惑わされない、本質を見極める、これが一番重要なことなのです。戦前や戦時中の公報を見ると明らかです。メディアは真実そのものを伝えることはありません。赤の他人を信用などできません。情報を聞いて判断し行動するのは我々自身なんです。

その目を養って欲しい、これが言いたいことです。
ということで「あけおめ」だぜ。>all
marcomusi at 11:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | メディア〜総合
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