2005年06月17日

電車男マーケティング

フィクションを流行らせて既成事実化する巧妙な戦略

嫌な奴らだね。どいつもこいつも。
全員まとめて消えて無くれば?と言いたい。


参考カテゴリ
ネット書籍化関連



続き→

2005年03月20日

メディアを刺激するネット

以前ご紹介した、レッド・ツェッペリン・ライブツアー研究サイト Led Zeppelin / Burn That Cadle 管理人の友人が「おもしろい本があるぞ」と、また こんなもの を教えてくれました。早速立ち読みしてきたんですが、レビューはそこそこでしたけど、写真など資料系の掲載が多く、総合的にはまあまあボリュームのある内容でしたね。ネットでは Burn That Cadle のパクリじゃないか、なんて言ってる人も居ましたが、そのような感じも確かに散見されましたけども、こういう動きが出てきたこと自体は良いことなんじゃないかと思います。友人も特に怒ってはいないようでした。

その前回の記事でも書いたことですが、このようにネット上で濃い情報を流す人が増え、リスナーや消費者のレベルを上げてゆき、結果的にメディア自体のレベルを上げてゆく、という理想が、ある程度現実になってきているな、という実感です。前回「パクリ?本」第一弾として例に出した S氏の書籍は自費出版でしたし、影響度もそれほどではなかったように思いますが、メジャー出版社が出すとなるとまた重みも変わってきますね。今回紹介する本ではライターさんも複数いらっしゃるようです。多少なりともネット上のサイトが刺激となって、ライターさんや出版社を奮起させたのなら、存在した意味もあったということではないでしょうか。
友人のサイトと今回の書籍との間で、考察が異なっている点もいくつかありました(というより全体的に対抗する意見に多くの字数を費やしているように見えるのは気のせい?笑)。たくさんの見方があってそれぞれの見解がある。消費者はたくさんの情報の中から自分が正しいと思ったものを選べば良いわけです。情報のオープンソース化っていうか。とっても健全なことだと思うんですね。ですので今後もどんどん、いろんな人がいろんなことを言うべきだろう、と。

ただ、これも前回書いたことですが、書籍化によって情報が有料になり受け手を限定してしまう、という問題も現実化しました。例えば今回の書籍。3,150円ですよ。しかもたった2年分の考察で、です。サイトのほうは9年分で無償ですね。これはけっこう厳しいんじゃないかなあ。
それ以外にも、前回ご紹介したバイブル「コンサート・ファイル」もありますし、その世界では有名な竹本氏の超分析本Boot Poisoning」など強力なライバル誌の存在もあります。これらを超えるのは非常に難しいといえるでしょう。今回の本も今後 2、3…と続編が出るんだろうけど、そこまでして揃えていく人が果たしているかどうか…。その価値がある、と判断した人だけ買うことになるでしょうね。少なくとも万人に薦められるものではないような気がする。
あとはそれに関連してですが、商業誌ということで営業上のしがらみもやはり多少は発生すると思うのですよ。フェアでフラットな分析を最後まで続けていけるのか。その辺も生温く見守って行きたいところです。
しかし、まずは突破ですよ。これからがんばっていただければそれで良いんだと思う。良い形になっていくことを願っていますが、さて。

関連記事


-追記-
また2chスレッド本が出版されるようです(電車男の時刻表さんより)。いい意味での刺激は活性化にも良いと思いますが、安易なコピペで、しかも企画も二番煎じっていうのはなあ。そう考えると、まだ音楽関連出版界のほうがクリエイティヴィティがあるだけマシ、ってことなんでしょうかね。

2005年03月09日

右往左往

最近ネット上でウヨサヨが盛り上がっていて、オレも個人的にいろいろ考える機会を得ました。ちょうど My ラヴリィの R30 さんが取り上げてらっしゃるので、ちょっと書いてみます。

オレが生徒として学校で過ごしてきた期間は、だいたい70年代。当時小中学生として学校にいた人なら、どんな教育が現場でされてきたか、受けた当事者として感覚は判ってもらえると思います。あんまり決めつけとかはしたくないのですが、一言で表すと「サヨ寄り」だったと言えるでしょうね。もちろん教師一人一人によって教え方も考えも違うし、物事の捉え方も変わってくるとは思うけど、全体的に流れていたのは(今振り返ると、だけど)「サヨ風」だったと思いますね(具体的に書けないヘタレでスマソ)。もちろん、購読を推奨されていたのもあの新聞です。

社会に出て世の中の実際を知るにつけ、自分の受けたサヨ風味教育が、実は的外れな教育だったのではないか、と疑問を持つようになりました。80年代後半になって世の中が変わってくると、その意識はますます強くなってきましたね。

2chをはじめて見たとき、あまりにもウヨ的な発言が多いことにかなり驚きました。オレの周りではこのような発言をする人があまりいなかったので、その比率としての多さに驚いたのです。
ですが嫌悪感は抱きませんでした。そうなのだ、これが長年のサヨ風味教育に対するバランスなのだ、と、ある意味感動したんですね。と同時に、とてつもなく救われた気がしたのです。

今思うと、イイ子ちゃんでいることがとっても負担だったんだと思います。当時のサヨ風味教育では間違ったことは許されない、みたいな空気がありました。もちろん良い世の中にはしたいですけど、だからと言って良くない物を全て否定してしまうような考えは重すぎるのです。

堀江氏理論的な考えになったのも、80年代にこの違和感に気づくようになって以降だったと思います。メディアとかバイアスがかかったものを通して物を見るとろくなことにはならん、と強く思ったんですね。
結果的にサヨ的な考えに落ち着いたとしても良い、と。ただ、それを決めるのはオレである。どっかの誰かの斜め記事による扇動じゃないぞ、と。そんなことを思ったんですね。

そういった両極端を経て、今はずいぶん冷静に物事を考えられるようになった気がする。今でも必ず一旦、ウヨ的考えを経由してから結論に持ってくることが多いですね。それは、教育の成果(笑)で、自分の思想が若干サヨ風味であることを自分自身で知っているからです。

そういう意味では当ブログの存在なども、Dirtyなことで自分自身としてのバランスを保っていると言えると思います。
裏と表、陰と陽、美と汚とか。物事には全て両面があって。それでこそ健全なのだ、と。まぁ思ったりしているわけですね。


追記。
以前もこんなこと書いてましたね。

2005年03月07日

悪あが記さん続報と書籍化について

3者連名のコメントが出てます(こちらも)。

この話については前回も書いたように、彼女達がやっていることには特に何もありません。ただ、ログやネットの書き込みの書籍化問題に関連して、連絡なしとかそういうことは気をつけて欲しいよ、ということですね。

書籍化する、という事は、ネット上でただログを読むのとは違って ある種のオーラを発する、みたいな意見があったようです(hitoyoni142さん 経由「創」より)。それはそれで同意なんですが、だからありがたく思え、という考えがもしメディア側にあったとしたら勘弁して欲しいな、と思っているわけです。もちろんメディアの方々全員がそんなことを思ってるとは考えていません。しかし、そういう空気を感じる事例も実際あるわけですから。杞憂であることを願いますけれども。

また、ここでよく取り上げる音楽関連情報について言えば、そんな付加価値とかオーラは不要です。オーラはアーティスト本人や作品にあるのであって、それについて書いた情報には無いでしょ。ここ辺がはからずも堀江氏理論に近くなってしまうのですが。アーティストの情報や分析に関しては、お宝からゴミ記事から、すべてをひっくるめて流して欲しい。それをどう見るのかはリスナーです。そのアーティストや音楽が好きだからこそ情報を知りたいわけですから、誰かのバイアスがかかったイメージは不要だと思います。

一応断っておきますけども、これは現役アーティストについてはまた別ですね。基本的には一緒なんですが、現役アーティストの場合、そのプレスリリースやプロモーション、イメージ戦略等、全て含めて商品となっています。そういったリリース情報の整理は当たり前の仕事ですし、これなしではアーティスト活動などありえないでしょう。
オレが言っているのは、あくまで現在コントロールが難しくなっている、ヴィンテージアーティストとか、既に存在していないグループや海外アーティストのことなのだ、と。そういうことです。

ということで。補足を含め、ご理解いただければ。

2005年03月02日

中川早紀さんが大変なことになっていたらしい

最近、堀江氏とLivedoorの話ばかり書いてたので、ちょっと息抜き。

全然知らなかったんだけど、さきっちょさんの周りでいろいろあったんですね(ダメ東大女子の備忘録さんビタミンXさん。とっても詳しいです)。オレももちろんブログの企画の事は知っていましたが、「おもしろいことやってるなー」と微笑ましく見ていただけなので、最近の動きを知らなかった。なんかいろいろあったみたいですけど、でも、さきっちょさんテレビでてる人じゃん!企画も何もないと思うんだけど。こっちもある程度判った上で、みんな楽しんでたんじゃないんでしょうか。よくわかりません。

さきっちょさんのレポートっておもしろいんですよね。ウチは静岡のテレビは見られないのですが、ある人の関係で彼女や千里さんの出演する番組は時々見させてもらってるんです。あのブログの企画見て、彼氏がいないって?嘘じゃない?とか一瞬思いますけど、テレビでの弾けっぷりレポート見ているとありえるかも?と思えて、なかなか楽しめたです。

で、あいかわらずの書籍化問題。なんと連絡なしプレスリリースだった、と。
追記そうではなかった!という訂正がご本人様から入りました。でも、どっちにしろさきっちょさんは知らなかったのでは?
それにしても fko116212さん からのTBが 10個というスパム状態。だからライブドア・ブログなんか辞めろと(略

追記の追記
3者連名のコメントが出てます。




こういうのって、相手を信じよう信じよう、と思っても、次から良くなるだろう、きっと次から…、と思っても、ことごとく裏切られるんですよね。

オレも本当にいろいろありましたよ。全てに共通しているのは「本人には悪気が無い」ってコトでした。自分がやっていることがマズイことかも?という意識そのものがまったく無いのですよ。まあ今回は「大学生のバイトの子」みたいな感じだから、なんとか許す気持ちにもなれたのでしょうけど、ちゃんと業界でしっかり生きてきた人たちも、同じようなことを平気ですることがありますからね。アンタわざと?と思うことも。

このときに得た教訓は、まず自分がしっかりしてなきゃ絶対にダメ!でした。相手がその業界のプロだと思っても、絶対に任せたりせず目を離さないこと。人間は間違ったり勘違いしたりする生き物なのですね。ハイエナみたいに相手がコケるのを待っているのではなく、こっちも積極的にどんどんモノを言うことが重要なんですね。

誰も信用できない、という絶望的な話ではなく、自分のコトは自分にしか判らないのだから、誰かを当てにして生きていてはいけない、っちゅう話です。


ログの書籍化の話もあいかわらずのようです。ヒトヨニさん頑張ってほしいですけど、出版社側は「あいつ等メンドくせえなー」と思ってるだけなんだろうなあ。反「既製社会」派の人々が堀江氏を応援したくなる気持ちもわかるよな。


追記
さきっちょさんの情報はおなじみR30::マーケティング社会時評さんからのものです。いつも感謝いたしております。それにしてもこの方は守備範囲が広い、というか、たまたまオレと趣味が被っている、というか。目が離せないですね。これからも是非頑張ってほしいです。

2005年02月15日

ログの書籍化 3

2chログの書籍化についてスレッド(毒男板版はこちら)で発言されていた独寄人さんという方が
ログの書籍化に関するまとめサイトを作られました。

「2ちゃんねる」著作権侵害問題

今までの流れは、だいたいこれでわかると思います。


電車男の時刻表さんもそうですが、こういったまとめサイトというのは重宝しますね。ネット上や世の中の流れを逐一追うのは大変ですし、とっても助かります。

アンチ派の発言というのは、とかくバラけがちになってしまい、まとまった批判という形で見えにくくなってしまいます。そういった意味でも、こういうアンチ派のまとめサイトは非常に助かります。

是非とも頑張っていただきたいと思います。

2005年02月08日

ログの書籍化 2

皆さんご存知でしょうが 2chログの書籍化について がおもしろい展開になって来ています。現在は Part2 になり続いています。

既に2ちゃんねるの投稿確認も変わっています。

投稿確認
・投稿者は、投稿に関して発生する責任が全て投稿者に帰すことを承諾します。
・投稿者は、話題と無関係な広告の投稿に関して、相応の費用を支払うことを承諾します
・投稿者は、投稿された内容及びこれに含まれる知的財産権、(著作権法第21条ないし第28条に規定される権利も含む)その他の権利につき、掲示板運営者及びその指定する者に対し、これらを日本国内外において無償で非独占的に利用する一切の権利(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)を許諾することを承諾します。また、掲示板運営者が指定する第三者に対して、一切の権利(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)を許諾しないことを承諾します。
・投稿者は、掲示板運営者に対して、著作者人格権を一切行使しないことを承諾します。

以上、リアルタイムで密かにウォッチングしてましたが、なんかどんどんハマっていってないですかね?ひろゆき氏や彼に賛同する人々は「追い込んだのはお前らだろ」と言いたいところでしょうが、追い込まれるようなことに追い込んだのは(笑)彼等や出版社のほうですからね。ただで拾った物を売るような商売は、そうそう続くはずはないんで。昔の写真週刊誌事件(ビートたけし氏による襲撃事件)を思い出します。行き過ぎた取材を繰り返し報道の自由を振りかざした結果、その行き過ぎ具合を国会や法廷で揶揄され、逆に墓穴を掘ってしまいました。

個人的なことですが、オレは昔、拾った自転車を乗り回していて警察に連れて行かれたことがあります。職質とかそういうことではなく、アパートの部屋まで警官が3名やってきてパトカーに乗せられ警察署まで行ったのです。署で「これは占有離脱物横領罪という罪ですよ」と説明を受けました。幸い前科にはなりませんでしたが、一歩間違えば危なかったわけです。

おなじみの電車男の時刻表さんで触れられていますが、あくまでお目こぼしと善意(というより小心者なので言い出せないだけ?)があるが故に成り立っている商売だということ。これを出版社側には忘れないでいて欲しい。せめて一握りの後ろめたさくらいは感じて欲しいと思います(これって実は Bootleg と同じですよね)。

毒男とは別に、もうひとつスレッドの書籍化の計画があったようですが、これは中止となったようですね。とりあえず賢明だったのではないでしょうか。

全てに言えることは「たった一言あればよかった」。
誰も著作権を主張したり分け前をよこせと言っているのではないと思います。ほとんどの事例は出版メディア側が「この掲示板のログを書籍化することになりました」とか、たった一言断りを入れれば済んだ話だと思います。それをあえてしないのは、2chの場合は前述の投稿確認でも判るように「それは折り込み済みの話である」ということでしょうが、出版社側は「名無しや匿名でネットに書き込んでいるような人たちに許可を取る必要などない」という考えが根底にあるような気がしますね。本来ならば、たとえ西村博之氏(2ch)が「許可を取る必要はないですよ」と言ったとしても、出版社のほうが「いや。一応こういうことはちゃんとしておきましょう」というのが筋だと思います。

オレは昔は性善説な感じで生きてきた人間なのですが、ここ10年くらい、そんな考えでは世の中は通用しないと思うようになりました。今回の書籍化の話も、黙っていたらどんどんエスカレートしていったと思いますね。ネット上で様々な人が声を上げ、状況を変えて行こうと頑張っているのは良いことだと思います。

引き続き見守っていきましょう。


- おまけ -

電車男がついに映画化です。「◆主宰者に許諾」とな?
こうなりゃどんどん行くところまで行け。相手が大きければ大きいほど議論し甲斐があるってなもんです。

2005年01月28日

サイトの書籍化の話

解析データを見ると"Bootleg"で検索して来訪される方が時々居らっしゃいます。サイトのほうはまんざら無関係でもありませんが、ブログのほうでその話題を出すことが今までなかったので、わざわざ検索していらっしゃった方に対しては、申し訳ないなぁと日頃思っていました。
というわけで本日ついに取り上げることにします。

まずはこのサイトをご覧ください。→ Led Zeppelin / Burn That Candle
このサイトはオレの友人が運営しているサイトで(注釈下)、そこそこアクセス数もあるようです。一応判らない方のために解説をしておきますが、Bootlegとは一般的には海賊盤(ブート)と呼ばれてるもので、アーティストのライブを会場で隠し録りしたものや、関係者から流れた未発売のデモテープなどを違法にCDとして発売しているものです。語源は禁酒法時代のアメリカの密造酒から来ています。
上記のサイトで取り上げられている「レッド・ツェッペリン」はブート業界でも1〜2を争うドル箱市場で、発売されているアイテム数も半端ではありません。当然、素人の消費者はどれを買っていいのか、聴いていいのか皆目判らない。そこで、その内容を解説してやろうじゃないか、というのがサイト開設の発端だったようです。
Zeppelinのブートは数も多いが、そのコレクター、マニアの数も半端ではありません。当然ブート解説サイトもネット上に多数あります。友人はそれらのサイトと差別化を図るため、CDごとの解説ではなく、ライブの日程どおりコンサートの内容解説にすることにしたんですね。
どのブートがオススメなのか迷う人にとっては、これはあまり役立ちませんが、どの日の演奏が良いの?という視点でブートを選ぶ人には助かるでしょう。ストーンズやZepは、音はいいけど演奏がひどいのとかザラですからね。

さて、やっと本題なんですが(笑)、友人がこのサイトを作ってから2年後の2004年、このサイトのアイディアをパクったと思われる書籍が発売されたのです。S氏著「Led Zeppelin Bootleg File」で、友人のサイトと同様、ブートをライブ日程順に並べコンサートの内容や感想を書いているものでした。
Zeppelinのライブ解説本というと、マニアにとっての超有名バイブル「コンサートファイル」があります。S氏の本は、その「コンサートファイル」と友人のサイトを折衷したような内容ということでした。
友人から話を聞き、オレも早速立ち読みしてみたのですが、書籍のタイトルこそ「コンサートファイル」→「Bootleg File」と折衷っぽかったものの、内容は友人のサイトのアイディアそのものって感じでしたね。もちろん記事の内容はS氏本人の言葉、目線で書かれていますが、全体から受ける印象は非常に似ていました。
笑ったのは、友人のサイトで使われている語句まで流用されていたことです。サイトを立ち上げる際に友人といろいろ話したので覚えているのですが、出来るだけ一般的に使われている言葉ではなくオリジナルな言葉を使用しようとか、マニア受けやウチワ受けでも構わないから、ニュアンスが伝わる表現を心がけようとか、ポリシーを語っていましたね。そうして誕生した友人独特な言い回しが、S氏の著作でもそのまま流用されていたのです。オレは立ち読みしながら笑いをこらえるのに必死でした。

さて、ネットに文章を公開する以上、その言葉が全世界に拡散してしまうのは覚悟のうえだし、むしろそうして広がってゆくことを望んでいる部分もある、と先日書いたわけですが(しつこい)、この場合は何に当たるのだろうか、と思いましたね。無関係の第三者による書籍化ですが、前述したように、文章や内容がまんまパクられたわけではないんですね。アイディアを「参考にされた」のです。今回は出来上がったものの完成度が一笑に付すようなレベルだったので看過できたように思いますが、もしそうでなかったら問題は深刻だったかもしれません。また今回のように、対象が具体的な文章などではなく「アイディア」だった場合どうなのか、ということも問題になると思います。


長くなりますが、もうひとつ書いておきます。この件で友人に確認したところ「ネット上に広く公開したのだから流用されても構わない、ただしネット上ならば」という答えが返ってきました。
ここで、昨日紹介した西村博之氏の見解を取り上げたいと思います。

情報は制限なく発信できて、受け取れるべきだと思ってます。
だから、そういう制限を加える気はまったくありません。

メディアにラインを引くことに意味があるとは思えないです。

という部分ですね。これはオレも大筋同意な感じですし、こと2ちゃんねるの場合はひろゆき氏が自分の考えるとおりそうすればいいと思いますが、個人レベルでは考えはいろいろあると思いますね。例えば友人のサイトの件だと、流用はネット上に限って欲しい、と述べていますね。これはオレも理解できる話なのですが、つまりネット上で無償で読めるものが、書籍化されると有料となってしまうってことです。
Zeppelinに限らずビートルズにせよなんにせよ、外国アーティストの研究本というのは概して非常に高価なのです。そのくせ内容が充実しているかといえば、必ずしもそうともいえないものも多々あります。
研究本が高価な価格設定のおかげで多くの人に読まれているとはいえない状況である、と。その結果、ほとんどの素人リスナーはその情報を受け取ることが出来ず、そこに壁が立ち塞がっている状況である、と。その情報が、ネット上で無償で受け取ることが出来るようになれば、多くの若年リスナー、素人リスナーの元にも濃い情報が届くようになり、結果的にリスナーの底辺が広がる、と。こう考えられると思います。
これはあくまで特殊な考えかもしれませんが、オレが自分のサイトでやっていることも同様なんですね。リスナーの基本レベルを上げて結果的にメディアのレベル向上を促す、というのがサイトをやっている理由のひとつなのです。

そういう意味では、ネットの立場から見ると書籍化によってメディアが広がるともいえますが、書籍化が情報を限定しているとも言えるような気がします。前述のひろゆき氏の見解も、毒男板に限って言えば当てはまるかもしれないですが、ネットのログの書籍化に反対する人の意見のなかには、書籍化による情報の限定、或いは有料化によって生まれる付加価値を嫌うものもある、と改めて言っておきたいと思います。


この辺は Blogの著作権問題 なども含めて、いろいろ意見があるかもしれませんが、とりあえず本日はこういうことにしておきます。


この記事の 続編 はこちらです。


- 追記 -
2chログの書籍化について がおもしろい展開になって来ています(Part2 になりました)。法的な問題でも踏み込まれてきていますね。
オレの個人的意見は先に記したとおりですが、あくまで「気分」の問題で強制力はありません。しかし法律的にも意味を持つとなるとまた変わってきます。みんなで声を出せば状況は動いてくるかもしれません。

さて。続きを読む

2005年01月27日

ログの書籍化の話

時間が出来たのでじっくり読んでみました。ログの書籍化に関する西村博之氏の見解です。
ネットに文章を公開する以上、その言葉が全世界に拡散してしまうのは覚悟のうえだし、むしろそうして広がってゆくことを望んでいる部分もある、と先日書いたわけですが、ひろゆき氏もほとんど同様のことを言っていますね。

現在2ちゃんねるでは書き込みの際に以下のような確認の文章が出ることになっています。

投稿確認
・投稿者は、投稿に関して発生する責任が全て投稿者に帰すことを承諾します。
・投稿者は、話題と無関係な広告の投稿に関して、相応の費用を支払うことを承諾します
・投稿者は、投稿された内容について、掲示板運営者がコピー、保存、引用、転載等の利用することを許諾します。また、掲示板運営者に対して、著作者人格権を一切行使しないことを承諾します。
・投稿者は、掲示板運営者が指定する第三者に対して、著作物の利用許諾を一切しないことを承諾します。


著作者人格権に関しては 絵文録ことのは さんのブログ記事が、判りやすく非常に参考になりますので是非読んでみてください。

以上を踏まえますと、西村博之氏もアスキーさんもまったく無問題ってことになりますね。彼等の主張どおりです。


さて投稿する側の気分はどうか、ってことで自分のことを例にとって考えてみました。
かつてオレも、引きこもり時代(笑)に 2ch にスレッドを立てたことがあります。

たとえば、これ→ ファンタ・ゴールデンアップルの存在

このスレッドの1が実はオレなわけなんですが(シリーズ化したPart2以降の事は忘れた)。
おもしろかったなーこれは。結果的に真相がほぼ解明され、幻といわれたファンタ・ゴールデングレープ復刻までされました。いろんな方が情報収集に奔走し、新たな事実も判明したし、同世代と思われる連中の興味深い体験談も多数読めたし、満足度はほぼ100%だったといっても良いでしょう。

もし仮に(ま、ありえないけど)このスレッドが書籍化されると決まったらどうだろうか、考えてみました。う〜ん。悩むところですねー。嬉しいようなそうでもないような。やっぱり、勝手にされたらあんまり良い気分はしないかもしれないけど、正直わからない。
今回「このスレッドの1は自分である」とカミングアウトしてしまっていますが、そうでなければ、書籍化に当たっては西村博之氏に話が行くわけで、その結果オレに無断で書籍化されようとも、なんら問題はないのですね。そして、出版されてしまった後にでも「あれの1は(1に限らず)オレだよ〜ん」とか言えばいいだけの話、って気もします。スレッドを立てた目的は既に達せられているわけですしね。
しかし、名乗り出ることで権利や利益が発生してしまうのなら、名乗り出たもの勝ちになってしまうわけで、毒男板のように名乗り出られないと思われる人が多数な場合、また新たな問題を生んでしまうような気がしますね。

では、自分が「まとめサイト」を作り、それが出版されたらどうか。これは自分だったら罪の意識を感じるでしょうね。スレッドは自分(1)の所有物ではないし、やっぱりオレ自身の気分としても、編集したってだけで自分の著作物呼ばわりするのはオコガマシイというのが根底にあります。編集者としての報酬が発生するのなら構いませんがね。
この辺は、音楽家とディレクター、作家と編集者とか、それぞれの立場で見解は異なるでしょう。オレ個人の考えはそうである、ということです。

結局、結論は(今回は)出ないですね。
いずれにせよ、2ちゃんねるは西村博之氏のものであり、書き込む人々(住人)は利用させてもらっている側だという、当たり前だが普段あまり意識していない事実に改めて気付かされた、というところでしょうか。
メディア側も、つまんない事で突っ込まれないよう、準備段階の手間や努力を惜まずに賢く立ち回って欲しいものです。


最後にひとつ。
ログを読ませてもらって感じたのですが、西村氏にしろ彼に賛成する人々にしろ、正論を言い過ぎているという点が非常に気になりましたね。もちろん先に書いたように、彼等は正しいのです。以前も書きましたが、彼等はまるで10年前の自分のようでもあります。だからこそ判ってしまうというか、見えてしまうというか、正論に頼りすぎているとやがて痛い目を見るときが来る、ということですね。若いときはああいうこと言うの楽しいですから、気付かないでしょうけどね。もちろん痛い目を見ないで済む人も居ます。そうなることを祈りますが。静かに見守っていましょう(笑)。


もし余力があれば、次回はネットからのパクリについて書いてみたいと思います。これは身近に被害者(?)が居たので。書けたら突っ込んで書きたいと思います。

2005年01月13日

「毒男」出版に関してのコメント

株式会社アスキーさんからコメントが出たようです。
単行本『毒男』についての番組報道について

この情報は海岸通りのアイスクリン屋台さんのブログからです。

これで祭りが収束するのかどうかわからないけど、とりあえず動きがあったというのは良いことではある。
しかし、最近はみんな、やってしまって後から謝るのな。後から謝ってなんでもコトが済むのなら、やってしまった者勝ちだろうよ。謝ったところで、謝る前に出た情報は消えることはない。EZTVは既に放送され、数え切れないほどの人間が見てしまっている。

ここで提案だが、各メディアはネットウォッチ部門を新設したらどうか。これまでの様々な事例を見ると、一番の問題はメディアがズレてることにあると思うのだ。ネット上のスタンダードな考えを知るために、引きこもりの方やニートさんに依頼して一日中ネットをチェックしてもらう。そして常にネットスタンダード(笑)を把握しておくというわけだ。新たに人を雇えないのだったら、バブル時代に雇った余ってる人たちでも使えば良い。

…ってな。書いててバカバカしくなってきたので、とりあえず今日はおしまい。

2005年01月12日

「毒男」出版に関しての補足

おなじみ電車男の時刻表さんで書かれていた別記事を読ませていただいて感じたことがあったので書いておく。

ネットに文章を公開する以上、その言葉が全世界に拡散してしまうのは覚悟のうえだし、むしろそうして広がってゆくことを望んでいる部分もある、と昨日書いた
しかし許されているからといって、創る側の人がそれをおおっぴらに行って良いというのも少し違うだろう。明らかに気分を害するような、不義理で非礼な行為には、こちらも声を上げていかなければならない。法律で取り締まれないようなコトなら尚更である。この現状を変えられるのは民意だけなのだ。
出版社にしても西村博之氏にしても別に神ではない。彼等が「何の問題もない」と開き直っていたからといって、オレ達が「そうか」と納得する必要などないのだ。「法律上何の問題もないかもしらんが、はなはだ不快だ!」ということをどんどん言うべきだと思う。黙っていては何も変わらないどころか、どんどんエスカレートしていくだけだ。

街中を歩いていると、たまにお店の店先なんかで、古いポスターとかティッシュとか、何かのカレンダーとか大量に置いてあって「ご自由にお持ちください」なんて書いてあることがある。作ってはみたものの、不要になってしまったとか、思いのほか需要が無くて余ってしまったとか、宣伝期間が過ぎてしまったので無料で配らざるをえなかったとか、そんな理由だろう。
「ご自由にお持ちください」と書いてあるからといって、それを一人の人が根こそぎ持ち帰り、他所で商売に使うなんてことは普通やらない(関西の人ならやりかねないが)。もちろん禁止されているわけではないが、そんなことで金を儲けるのもどうかと思う、というような理性が働くからだ。
だが昨日も書いたとおり、商売は法律を犯さない限り何をやってもいいのだ。そんな場合唯一の抑制となるのが消費者の声とか民意なんである。「あんたらえげつないわ!」とみんなが声を出せば状況は変わってゆく。なんか青春ドラマみたいだが、ともかく言い続けることが大事なんだろうね。
物事の流れというのは声がでかくて、よく喋る人のほうへ動くのだ。それを止めるにはオレ等も声を出すしかないのだ。

これって野球と一緒なんだな。「声を出せ!」笑。

2005年01月11日

「毒男」出版関連

既にメディア等でご存知の方も多いでしょうが、凄いことになってきました。掲示板のレスをそのまま本にする企画第二弾。当たり前ですが大反響となっているようです(おなじみ電車男の時刻表さんから)。

多くの人は、自分が書いたレスが勝手に書籍化されることについて文句を言っているようです。オレも書き込みを何度も行っていますので(別板)、それについては他人事ではないですが、果たしてその自分の書き込みが勝手に使われたらオレ自身不快に思うだろうか、と考えてみたところ、どうもそうでもないような気がする、と意外な結論が出ました。オレの書き込みがどうなったらいちばん嬉しいだろうか。それは人に読まれることです。何らかの反応なり波紋なりが発生すること。ネット上に書いているという時点で、それはもう公のものですね。本になろうとなるまいと大勢の人の目に触れることになる。いろんな人々に伝聞として伝わってゆく。それで満足ですね、オレは。ネット上の文章はそういうものだと予め知った上で、覚悟して書き込んでいます。オレの文がどこかの馬の骨氏に勝手に使われようとも構わない、と。

さて、このように書くと今回のこの事件について肯定であるかのように思われるかもしれませんね。

ここで逆を考えてみましょう。オレは音楽を作っている人間です。それを売ってお金も発生している。物を創るのは大変ですよ。何もないところから生み出すのです。無い頭をフル回転させて、必死に生み出し、なんとか形にします。もしこれが、例えばメロディやコード進行、リズム、歌詞などの素材がネット上に無数に転がっていて、それらを拾って組み立てるだけでいいのなら、負担はとてつもなく軽くなります。
もちろん、組み立て方にもセンスがあります。組み立てるにも労力を使います。これも立派な仕事です。しかしまったくのゼロから生み出すのと比べると、はたしてどうでしょうね?
はたしてどうでしょうね?
はたしてどうでしょうね?
はたしてどうでしょうね?

雑誌ならともかく、ネットからかき集めた発言まとめてにしようって言うんですからね。リミックスの一種かなんかのつもりなのでしょうか??

ひろゆき氏も出版社(株式会社アスキー)もまったく問題がないと言っているようです。そうでしょう。問題はないでしょう。ただ倫理としてどうなのかって話です。禁止されてないなら何をやってもいいのか?
…残念ながら商売の世界は「なにをやってもいい」のです。なにをやってもいいのですが、その辺の寸止め加減に、如実に人間性育ちの違いが現れるのだ、とだけは言っておきたい。
かつて欧米に散々揶揄された倫理観。いまだ健在。


追記。
この情報が放送されたのは 情報ライブEZ!TV で、オレが見たのもそれです。他のメディアでもとっくに紹介済なのかと思っていましたが、そうでもないらしい(1月11日現在)。しかも肝心の本の内容については、当の西村博之氏も知らない部分で出版社側が勝手にコトを進めている模様(!)。
以上、「青い空は大嫌いだ水色の空は大好きだ」さんからの情報でした。

2004年12月19日

電車男の書籍化に関して

電車男を「書籍化」するという事に関して、いくつか興味深い記事を発見したので紹介しておきましょう。いずれも物創りに携わる人なら、大変参考になるものだと思います。

まず書籍化する場合の編集に関する話。
読者を突き放す書籍『電車男』には「編集」がない
なかなかおもしろい見解です。出版社もただの仲介業者みたいになってきてるって感じかな。概してアーティストというのは「編集」を嫌います。映画監督もそうですね。ミュージシャンもそうです。どの音もどのシーンも自分にとっては大事で、ひとつたりとも削ることなどできん!という気持ちを持っているものです。誰も彼もアーティスト、という現状を物語っている様で考えさせられますね。逆に言うと、プロがプロらしくない世の中になってきている、ということでしょうか。

実際の本創りに関する話。
読まない本に神の技あり
これは『電車男』書籍化への経緯での編集者が実際に経験したエピソードに関連して書かれたものですね。題材が電車男であろうとなかろうと、こうしたものを書籍の原稿にするというのは大変であっただろう、ということはよくわかります。未知の領域に入り込むには、誰かのとてつもない熱意が必要なのです。現場の人々は、毎日が何事もなく滞りなく無事に過ぎてゆくことを願っている反面、新たな実験や未経験な作業など、アーティスティックでわくわくするような出来事を望んでいるようなところもあります。これは無理だろう?というようなことであればあるほど、プロ意識を刺激されるというか職人魂に火を点けられるというか、実際燃えると思いますね。音楽界、映画界、テレビ界、これはどこでもそうでしょう。誰も何もしなければ現状は何も変わりません。硬化した現状を打破できるのは、門外漢的で常識破りな「素人」の発想であったりする事もあります。今回の場合、郡司氏は編集者として素人ではありませんが、ある意味常識外れであったことがこうした流れに繋がっているのですから、問題提起という意味でも良かったかも知れません。現場の人も大変だったと思いますが、無事出来上がったときの充実感もあったのでは?と思います。

電車男というのは業界に蒔かれた種みたいなものなんでしょうね。これが良い意味でのきっかけになっていけば、存在理由もあるというものです。

2004年12月17日

電車男に関連した西村氏のコメント

先日、西村博之氏(2ch)のコメントをソースなし意訳でご紹介しましたが、電車男の時刻表さんで紹介されていたまとめサイト 2ch-Library-電車男 に、その西村氏のコメントのソースが載っていました。かなりいろいろ話されてたんですね。やはり「嘘だと言うのならそう主張する側が証拠を提出すべき」という一貫した態度のようです。自分は疑っていないので調査しない、というようなことも述べています。

全然関係ないんだけど、このひろゆき氏と他の人々とのやり取りを読んで、なんとなく懐かしい気分になりましたね。自分も10年位前はこんな感じでした。頭や口の回転も今よりはるかに速く(当社比)、ディベートみたいなことをするのが楽しくてしょうがなかったです。確固たる信念もあったので何を言われても揺るがなかったし。今思うと思春期特有の熱病みたいなもんでしょう。
ここで展開されてるのは世間話とかじゃないんですよね。彼は管理人である、という忘れがちな事実を改めて突きつけられたようで新鮮な気分でした。

2004年12月12日

電車男の書評など 2

またでていますね。おなじみ電車男の時刻表さんから。今回は大槻ケンヂ氏書評です。

ぞくぞく的確な書評がでてきています。皆さん素晴らしいです。オレも胡散臭いと思った一人であるし、機会があったり仕事であれば分析してみたい気もしたけど、これの場合は早晩優秀な方々が分析され、いろいろ暴露されてゆくだろうと予測していた、むしろそれを強く望んでいましたので、オレみたいな半端者がクチを出す必要は無いだろうと思って、ここでの論評は控え、他者を紹介するに留めていました。ビートルズに関しては誰も書かないのでオレが書いているわけですが、この問題に関しては他の論客たちのほうがはるかに素晴らしいですし、オレの意見は ネットが胡散臭い で述べているもので十分です。

反動も出てきていますよね。むやみに「やらせダメ」と騒いでいる人たちもいます。これは最近の韓流盗作紅白出演阻止運動(笑)と同じでただのお祭りですが、信じていたものに裏切られたー、みたいな純粋な方々も混ざっているでしょう。みんな必死すぎる気がするけどどうなんだろうか。
あと西村博之氏(2ch)のコメントも出ていたようですね。今ソースが探せないので断言は避けますが、どこかの関連スレッドで「電車男が自演であるという証拠が無いのでIPログは出さない(意訳)」と述べているのをチラッと見かけました。これも西村氏本人の書き込みかは断言できませんが、さもありなんという感じはします。

こうした流れを経て、とっとと膿を全部出してみるのも良いかも知れない。

2004年12月05日

日曜プログラマと称して妙なスクリプトを配布する連中

君らは優秀で将来の日本のためになる人材だと知ってるぞ。だからしっかりしろといいたいのだ。OSやブラウザごとに全然仕様が異なっていたり、環境もユーザによって百人百様、創る側も大変だということはよくわかる。だからといって確認作業を怠ることは自滅に繋がると思うぞ。
以前も書いたが、オレはスクリプトでごちゃごちゃ飾り立てたサイトが大嫌いだ。でもまぁ、それは個人の趣味だから良い。問題は、そのスクリプトの動作がブラウザによって異なり、場合によっては閲覧さえ不可能になってしまうことがあることだ。作者自慢の多機能スクリプトが、ブラウザによってはデザインが崩れグチャグチャ、文字を読むこともままならない、なんてシャレにならないぞ?
有料にしろ無料にしろ、これらのプログラムはサイトで配布しているものだ。自己責任、ということはもちろんあるが、創る側が動作確認等をせずに配ってどうする?たとえば Mac OS 未対応ならそれで良い。未対応だよ、と明記しておけ。いちいちマイナーユーザのことばかり考えてはおれん、というかもしれないが、メーカー責任じゃないのか?これではまるで CCCD ではないか。
ネットユーザはどんどん増えてている。この世界に飛び込んだばかりの、例えばオレのような素人が配布されているスクリプトを安易に使い、思い通りの動作をせず泣き寝入りする、なんてパターンは数多く生まれると思われる。創った者、配布した者はその責任があるのだ。前に書いた勝手なビートルズ論の話ではないが、創ったら創りっぱなしにするな。
あとは、製作者に投げかけられた初心者の質問をないがしろにするな。初心者はマヌケだが、ユーザの中の最低レベル代表者と思えば良い。そう、バリアフリーだよ。彼等に懇切丁寧に答えることで、新たな角度での見方ができるようになるかもしれないじゃないか。
ネットでデータや情報を公開している以上、それは世間に開いた窓なのだ。自分だけが窓から勝手に叫び続けるだけではなく、その窓に向かって話しかけられたり、やかましいと怒鳴られたり、そういうことを疎ましがらず、ちゃんと対話しようよ。文句言われてムカツク気持ちはわかるけど、相手は間違ったことなぞ言っていないぜ?

そういうことだ。急いで書いたから突っ込みどころ満載の文だろうが、気持ちはわかるよな?じゃあな。


-丁寧な追記(笑)-

ちょっと乱暴に書きなぐったので、真意を説明しようかな、と。
今年になっていろいろPC周りの環境が変わった。今までは一昔前のヘタレ・ノーパソにWindows98、IE6というどうでも良い環境だったが、XPやMacOSを使用したり、ブラウザもFireFoxやMozillaなどを使用する機会が増えた。それによって今まで見えなかったものがたくさん見えてきたのだ。簡単に言うと少数派の叫びなんだよね。ネット上の世の中が、いかにMS基本で考えられてきたかということだよ。愕然とした。ほとんどの人は買ったときのパソコンをそのまま使うだけだろう。そしてネット上で様々な人々によって配布されているスクリプトやツール類は、その人たちを基本に考えられていたのだ。ちょっとでも違う生き方をしようと思ったら、そのハードルは思ったよりも全然高かったのだ。しかも世の中はそんな人たちに対して親切にできてなかった。そりゃあ苦労して覚えたりすれば進歩もするし、自分にとっても勉強になって良いだろうけど、こりゃあ大変だなあ、と思ったね。
それで思ったのは、オレ達みたいな使う側は「大変だなー」で済むけども、創る側がそれではいかんのではないか?Macでは動作確認してないけど良いや、NNでは見られないみたいだけど少ないから無視、っていうのは作る人間としてどうなんだろう?ということだった。全対応で完璧に頼む、と言っているのではない。少なくとも自分等の提供しているものが、どの範囲まで有効なのか本人達も見極めたうえで配布して欲しいと言っているのだ。

というわけなのです。判っていただければ嬉しいのです。

2004年11月30日

電車男の書評など

いろいろでてきたようです。
詳細は電車男ウォッチャ御用達ブログ 電車男の時刻表 をどうぞ。

皆さん素晴らしいですね。私が言いたいと思っていたこと、もやもやとしてよく判らなかったことを、ほぼ的確に代弁してくださっています。さすが鋭い洞察力です。私が感じていた「ネットが胡散臭い」というのは、だいたいこういうことなんだと思います。良い話には素直に感動しようよとか、フィクションでも良いだろう、おもしろいんだから、とか、そんな牧歌的な話じゃないのですよ。もっと「なんか変だよな」という感覚を大切にして欲しいと思う。特にメディアの方たちは。

参考
http://subway.seesaa.net/article/1147160.html
http://subway.seesaa.net/article/1147732.html

2004年10月25日

続「電車男」話

当ブログでも使用させていただいている Seesaa のランキング、堂々一位独走中ですのでご存知の方が多いでしょうが、一連の流れが非常に詳しく載っていて参考になるサイトです。→ 電車男の時刻表

電車男に関しては以前もここで書いたが、どうも勘違いされてる方が居るようなので再びオレ個人の意見を書いておきたい。オレは別に電車男の話の真偽や、その話を読んで感動している人たちについて、どうこう言ったりしてるのではない。上のサイトでも触れているとおり、それで浮かれているメディア関係者や周辺部位の人々について胡散臭いと言っているのである。ここまでくるとハプニングではなくプロジェクトだ。だいたい大手出版社ともあろうものがネットに題材を求めて、まとめサイトまんま本にして出版してしまうと言う、その激しくプアな発想はなによ?ほかにやることないのかね。

先日 LiveAid について「ああいうことはロックのやることではない」と書いたけど、確かにそのとおりではあるのだが、あのイベントのおかげでチャリティとかボランティアに対して気後れしていた若者が、積極的に参加するようになったことは良かったんじゃないだろうか、とも思う。先日書いたことと矛盾するようだが、つまりオレ個人は好きではないが、そうした動きそのものは否定はしないと言うことだ。これはロバートフリップ氏も述べていることだ。一連のチャリティイベントに関するビジネスや周辺にうろうろする取り巻き連中は確かに胡散臭いものだが、そうしたイベントがあったおかげで、グウタラな若者が多数動いたのも事実なのだ。

だからこそ、メディアに携わる人々にはしっかりして欲しい。少なくとも一般人以下の発想ってのはやめて欲しい。というか、既にブログ界や2ch周辺では、ネットのおこぼれで食っているマスコミ、という見方が定着しつつあるよ。それが事実かどうかは別にして、多数のネットユーザが薄々そう感じマスコミを馬鹿にしているのは、各所の書き込みからも読み取れる現実なんだから。一般人以下の発想でヲタクにすら馬鹿にされているマスコミ。情けないです。


関連カテゴリ
メディア〜ネット・書籍化関連

2004年09月04日

電車男

最近ネットが胡散臭いです。

人それぞれ捉え方が違うだろうが、オレは一連のネット関連の祭りとか事件は新しいRock and Rollとかパンク的意味合いがあると捉えてきた。ということは似たような道を辿るのだろうか。危惧していたとおり、そうなって欲しくはなかったが、やはりと言うか残念なことにロックと同じようにネットも成熟へと進み、遂に We are the world 〜 live-aid の域に達してしまった。渋谷陽一氏ではないが、ロックがそのようなことをするのは胡散臭いと言うか、そもそもの成り立ちの意味がなくなってしまうという気がする。行為自体は否定はしないが、それはロックのすることではない、という意味だ。

音楽がロックだけではないように、ネットも別に電車男だけではない。だが、まったく関わりがなかったり門外漢の人には、ネットもなかなか捨てたもんじゃないじゃん、という印象を持つだろう。出版までされるということはますます押し売り風展開となっていくわけで、いつか訪れるであろう、その反動が怖い。感動は素晴らしいものだが、影とかダーティな部分を失くしてはいけないと切に思う。

同じような感覚を持つ言葉で「中の人」という言い方がある。ネット歴○ちゃんねるウォッチ歴の長いオレだが、この言い方だけは好きになれなかった。これもどこか胡散臭いというか偽善を感じるのだ。案の定、この言葉もネットオタクの人々の手から離れて、ITビジネスに携わる会社の社長とか、社会的地位のある人々までが使う言葉に成り下がってしまった。これもパンクが偽善という皮を被って一般人に浸透してしまった例だろうね。実に危険だ。

ネットは奥深いから、今の日本の都市がどれも同じ姿であるような感じで均一化されることはないだろうが、ネットの裏路地やダーティな世界で生きている人々は、負けないよう是非とも頑張ってもらいたいのだ。

2004年07月27日

人は外見である

昔から散々言ってきたことなので
ご存知だと思うけど、
オレ達の間では、これはもう半ば常識となっている。

外見ていってもね。なんつんだろ。
ただの見た目じゃなくて、その人から伝わってくる全体の印象。
これが結局、その人となりを表してるってことなんだよね。
些細な顔の表情とか。動きとかだ。
ブサイクとか服が変とか、そういうことじゃないんだ。

よく「育ちが出る」っていうでしょ?
それに近いニュアンス。

今回ブログ選びのゴタゴタでいろんな経験をしたけど
やっぱり例外ではなかった感じですよね。

ネット上では顔が見えないから、
例えば文体とか、HPだったら、そのデザインとか。
コンテンツとかさ。
いろいろ判断するものがあるわけで。
やはりそれらは、その人(会社)を現してるんだな。
もちろんオレもそうだが。
あとは、集う人々や友達の傾向とかでも判るよね。

個人的な好みなんだが、
オレはスクリプトでごちゃごちゃしたページが大嫌い。
普段エロサイト対策で(笑)スクリプトやプラグインを切ってるから
そういうサイトに行くと、まずマトモに表示されない。
リンクも反応がなかったり。小窓がでなかったり。
もう散々なんである。
普通にすりゃ良いじゃん。普通に!

で、どうしても見たい場合は
しょうがなくスクリプトをオンにするのだが
マウスに星がくっついてきたり、きらきら雪が降ってたり
まぁ凄いやね。
そこまでして見せたいものなんてあるのか?と正直思う。

ハイジのサイトでヤギが跳ねたりするのは感動したけどな。
そういうのだったら良いけどな。

まー所詮好みだから、オレだって
「お前の歌がウザイ」と言われることもあるし
人の趣味にまでケチつける気もないが
つまり、そういうコンテンツやデザインは
その人そのものを表しているということなのだ。

デザインやコンテンツがゴタゴタしてるサイトの主は
そのまんま、本人もそういう性格だろう、と。
そう思って、ほぼ間違いないということですな。


今後、ネットサービスを選ぶ際の
参考にしていただければ。
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