ネットの普及で普通の人がどんどんいろんな情報を流せるようになった今、自分の言葉で語ることこそ重要。天声人語風に書くのなら、それは天声人語に任せておけばいいのだ。オレがピチVを嫌いなのもそこに理由がある。人の服を切り刻んでパッチワークのように再構成することには長けている。しかし、肝心のその服を纏うほうの人間が磨かれていないのだ。優れたデザインの服でも、それを着る人間は替えられる。しかし、音楽はアレンジを纏った本体である楽曲を取り替えることは出来ない。たとえばアナタはレニクラのアレンジをとても好きだったとする。だからといって洋服のようにレニクラのアレンジだけを買い、そのアレンジを、そのまま例えば鈴木亜美のアレンジに着せ替えたいな、と思ってもそれは普通は出来ない。それを出来るのはアレンジャーと鈴木亜美担当ディレクターだけなのだ。
ピチVが売っているのはつまりマネキン付きの服だったのであって人間ではない。人間が嫌いな人ならそれでいいだろう。実際彼等は人気を博したのだし、そのコンセプトは十分成功した。これからはその服を脱がして、自分が着る人が増えるということだろうね。
人を動かすものは本音の言葉であり、本気の仕事である。例えばオレが2ちゃんねるを嫌いでないのはその辺に理由があって、あそこの住人は言葉は汚いが嘘はすぐ見破られてしまうだろう。
必要なのは自分の世界観のみで小綺麗に纏めてしまうことではない。みんなで情報を出し合い、大きな流れの中の一粒の砂になることだ。まとめるのは誰かとてつもなく大きな者が行うのであって、その器でない者は本気の情報を提供し協力する。
オレの記憶では、つまり「メディアが自分等の世界で小さくまとまっている隙に、市井のサイト管理人とかブログの奴らがどんどん攻めて来るんだよ、メディア側は今になって気付き、焦ってるかも知らんが、そんな動きはとうに始まってたんだよ」って話だった気がする。タイトルの意味は そこ だろね。
それにしても前後の脈略なしに話が進む奴だ。
読み返して改めて思った。おもしろい奴だなオレって。笑
- 追記 -
書いたときの気分を少し思い出してきた。上の解説では「サイトやブログ」と書いてあるけど、ネットに限った話じゃなくて、リミックスとかデジタルコンテンツとかそういう話も含んでたと思った。だからピチカ-Vの話とか出て来るんだよね。これ以上突っ込むと、音楽の話に深く入っていかなければならなくなるから、下書きのままやめたんだと思う。
殆どの技術が出揃った現在、見た目上の整合性とか綺麗さとかそういうことよりも、いかにそれがリアルであるか、本当であるか、本音であるか、本質であるか、というようなことが重要になるだろう、と。それらが有って初めて、その上に纏う服や装飾が光るのだ、と。
たぶん普通の人々が提供するネットの文章とかリミックスコンテンツが、所謂プロの仕事よりも 生き生きしてるように見えている のも、そこら辺に事情があるのかもしれない、だとしたら、いったい何がそうさせているのか、と。
そういうことが言いたかったんだと思う。
自分の書いた下書きも、他人の書いた文のように考察してみると意外におもしろいんだな、と気付いた。残しておいて良かったな。


>その器でない者は本気の情報を提供し協力する。
せめてそうであれたらいいなあって思うこと多いです。「まとめるのは誰かとてつもなく大きな者」の声を受け止める存在もサポーターのようにきっと必要なんだろうって。
やっぱり、せっかく何か言ったりやったりするなら、本音とか本気で行きたいものだなと思うのです。それが誰かの役に立つなら本望かもしれないなと思ったりします。きっと自分等の子供達の世代がそれを引き継いでゆくのでしょうね。
またいろいろ考えてみますね。