2005年04月24日

報道は「フィクション」であるという話

自分で散々取り上げておきながら、超有名どころで出ていたのを見逃すとは。迂闊であったぞ。

放送による報道とは、実は編集者という作者が「ノンフィクション」という素材を「コラージュ」して作った「フィクション」であるといったら言い過ぎであろうか?

404 Blog Not Found さんより


これは 週刊!木村剛 さんでも取り上げられてます。


オレが書いた関連記事としては、

堀江貴文社長の理論はオレの考えと近くてよくわかった、でもアンタじゃ嫌だ!という話

DJリミックスはおもしろいけど、灰色だという事実を置き去りにして無責任に持ち上げるな!という話

ネット上のログを集めて書籍にするオマエらはリミックスでもしてるつもりか?という話

メディアの報道に客観なんかありえんのだから初めから話半分で聞け!という話。


こう振り返るといろいろ書いてるね。これって、誰かに訴えてると言うよりは、自分自身が忘れないために言っておく、というのに近い。まあ一般的に言えば「備忘録」ということになるんだろうけど、オレとしてはあまりそういうつもりでもないんだな。
なんかの縁でもし読んでくれた人がいたとして、その人の心のほんの小さなシミにでもなってくれたなら、嬉しいぞということなんだよな。

こう書くと、自ら 前記事 を華麗に否定しとるやないけ?と言われるかもしれないわけだが。まぁそこは文章だから文体ってのもあるわけで。
いかにも天声人語風に書いて素人を騙そうとするのはアカンよ、君ら。ってことかな。

ということで。文章として綺麗でも必ずしも正しいことを述べているとは限らない、ということでもあった。気をつけたい。


- 追記 -
おー。今リアルで、報道2001が「不本意な使われ方をした」って抗議が来たっつんでスマソって詫びてたぞ。そうだよね。やっぱりメディアに出たら素材扱い。自分で気をつけなきゃならんね。


おなじみ、電車男の時刻表 さんでも書かれてるけど、製作側は初めから「結論をこうしよう」と決めていると思う。すべてその為の素材だから。ホントにこれリミックスなんだと思うね。みんながそれに気づいてしまったとき、報道メディアは果たして生き残れるのだろうか。そのときオレ達は、お祭りの夜店みたいに「インチキだと知っていて楽しむ」ことができるだろうか。

10年後が楽しみだなあ。


一応こちらもご紹介。
電車男情報局
marcomusi at 08:59 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | メディア〜総合
この記事へのコメント
TBありがとうございます。
まさしく「インチキだと知っていて楽しむ」ですね。
この事はなかなか、難しいと思います。
プロレスを楽しめるような人でないと無理では?笑

ほんとに朝日新聞を信じる人々は無理ですね。
Posted by じゅんじゅん73 at 2005年04月27日 16:44
ありがとうございます。

個人的に長く書いてきた話題だったのですが、小飼さんが端的に書いてくれてスカッとしましたね。我々のできることは賢くなることだけでしょうか。

またよろしくです。
Posted by marcms at 2005年04月27日 21:01
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Excerpt: 今日の「週刊!木村剛」のエントリーの後半なんですが。 私は、TVや新聞が客観性を身に纏っているなどという感覚では見ることができません、客観性を隠れ蓑にしてると感じています。 まあ、感じ方は、人それぞれ..
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