2005年02月26日

メディアによるフェイクと堀江氏の関連性

たまには音楽屋(笑)らしいことでも書いてみようと思います。

ライブドア・堀江貴文氏の述べた考えは以下のようなものです。
ネットは新聞を殺すのかblog さんより)

我々は「世の中をこうしよう」というような意思を働かせない、本当の意味での媒介者、「メディア」になる。変なバイアスをかけるようなことはしません。発信者の意見をそのまま伝える、それがメディアの使命です。事実かどうか、それは神様にしかわからない。

この考えは(良い悪いは別にして)オレは実によくわかるし、自分と似ている部分もあると書きましたね。この堀江氏の考えについていろいろ考察していたときに、これは自分の音楽の好みについても当てはまるんだな、と気付いたのです。

実はオレは、歌手が勝手にオリジナル・メロディを変えて歌うのがイヤなのです。これを音楽用語でフェイクと言います。フェイクというと難しいですが、たとえば演歌の場合のコブシとかアヤを付けるとか、タメとかアドリブとか、そんなニュアンスですかね(参照)。つまり本来作曲者がメロディとして書いていない旋律を、歌手が「そのほうがカッコいいから」とかいう理由で勝手に変えて歌うのが嫌いなのです。

(実例は長くなったのでまとめて下に書きます)

つまり、ここで言う「歌手」はメディアなんです。そして情報は作曲者の創った曲です。作曲者は、コード進行、和声構成とメロディや歌詞との関係をちゃんと考えて創っています。そのとおりに演奏されるからこそ、その曲の持っている本質がリスナーにちゃんと伝わるわけです。極論すれば、歌手はそれをそのとおり再現すればいいだけのです。この辺を考えてくれない歌手がけっこう多いんですね。本人は乗っていたり、良かれと思ってやっているのでしょうが、そういう時のオレは「頼むから変にヒネって歌わないで、普通に素直に歌ってくれ」と思ったりしています。

堀江氏が情報にバイアスを掛けてはいけない、と言うのと同じように、オレは、作曲家の作ったメロディに変な色を点けて歌ってはいけない、と思うわけです。出来るだけ元のメロディに忠実に、綺麗に歌ってほしい、と。楽曲の本来の姿を正しく伝えることに徹してほしい、と。
ただオレの場合は、まったく否定しているわけでもなく、センスの良い優れたフェイクなら問題ないと思っています。むしろ、良くなるのだったらもっとやって!とさえ思います。こうなると、オレもバイアスをかけることになってしまうのですがね。

堀江氏は音楽をやる人なのかどうか知りませんが、もし彼が作曲家だったとしたら「メロディを自分が楽譜に書いたとおり忠実に歌え!」と言いそうな気がするんですよ(笑)。変な色を付けることは許さん、とね。歌手による恣意的改ざんは不要である、と。

あくまで想像に過ぎませんが、堀江氏のような気質の人は(オレもだが)、本質に出来るだけ近づきたい、と思っているだけなのではないでしょうか。その情報の本質です。誰かの目や声を通してではない、そのものが持っている本当の本質です。その為には全てをかける、と。誰に迷惑をかけても、その実現のためには方法も厭わず実行する、と。

おもしろいことに、クラッシックでも同様の動きがあったりします。近年オーケストラは大所帯になってきており、例えばベートーベンの生きている時代とは想定している人員数が違うので、彼の意図したものが近代オーケストラによる演奏では伝わらない、ということで、わざわざ当時の楽器と編成で演奏してみたりする試みがあります。また、オーケストラの曲は指揮者によっても印象が全然変わってしまうのものなのですが、オレ個人の好みはやっぱり、無用な派手さのないものだったりします。これらの例におけるオーケストラや指揮者も作曲者にとってのメディアといえるでしょうね。

以前の記事でスター・トレックに触れました。全体的に好きですが(オリジナルシリーズ)特に印象に残っているのは映画化第一作目です。機械の惑星に捕らわれた探査衛星が生命を与えられ地球に向かってくる、という内容なのですが、この知性を持ってしまった探査衛星が、人間の感情がどうしても理解できない、というのですね。そして暴れまくるわけです。Mr.スポックは、似たところがある自分と重ねて彼を見てしまい、必死に理解しようとします。

オレは、この生命を持ってしまった探査衛星にどうしても堀江氏の姿がダブってしまいます。その探査衛星はどうやってこの問題を解決したでしょうか。その答えは映画を見てみてください。ニッポン放送が意外にカギかもしれませんね。

今回の記事は、またいっそう飛躍してしまいました。ですがせっかくの機会だし、引き続き考えていこうと思います。本当に堀江氏は良いきっかけを与えてくれたと思います。


- メロディをフェイクする歌の例です -

ちょっと例が古くて申し訳ないのですが、このことに気付くきっかけとなった曲について書いてみます。

バンバンの「イチゴ白書をもう一度」という曲がありますね。作詞作曲は荒井由実(ユーミン)さんです。発売当時のレコードでは、ばんばひろふみさんは普通にメロディを歌っていました。ですが、後にテレビでこの曲を歌っていたときに、メロディをタメてネチっこく変えてしまっていたのです。オリジナルを聴いてとても気に入っていたオレは、そのフェイクな歌を聴き、とてつもなく落胆しましたね。ばんばさんの色が付いてきて良いと言う人もいるでしょうが、オレの場合はダメでした。
もうひとつ。堺正章さんの「さらば恋人」という曲があります。作曲は巨匠筒美京平氏。筒美京平さんの曲は大変勉強になるので、今でもよく聴かせて頂いているのです。これも残念なことに、今の堺さんはオリジナルのレコードどおりの歌い方で歌ってくれません。妙にタメを効かせ間延びしたリズムで歌っています。これも堺さんの色が出て良いという人もいるでしょうが、オレは原曲の良さを損なっているフェイクだな、と思います。

この堺さんを見たのは、NHKの「思い出のメロディ」だったと思います。同じ番組関連で山本潤子さんのことも書いておきましょう。彼女は「竹田の子守唄」を歌ったのですが、綺麗にメロディをなぞっていました。楽曲本体の素晴らしさを伝える素晴らしい歌唱だったと思います。

プログレのロックトリオでELPというグループがいます。彼等はムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」というクラッシック曲をロックにアレンジして演奏しました。プロムナードという曲があるのですが、そこでヴォーカリストのグレッグ・レイクは綺麗にメロディをなぞって歌っています。フェイクはほとんどないと言ってもいいでしょう。元の楽曲は楽器演奏(というかピアノ曲)なので音が飛んでいて実に歌い辛いメロディなのですが、なんとか頑張って歌っていますね。極端な例ですが、オリジナルを生かす歌というのはこういうものを指すと思います。


オレがこういうことに気付くきっかけとなった大昔の例を書きましたが、今でも例えばロックのスタンダードなど、勝手にメロディを変えられてカバーされてたりするのがたくさんあります。これはCMで使用される場合に、特に多いように思いますね。何のためにオリジナルの旋律を変えるのか?まったく意味不明だと思います。こういうことにこそ深くメスを入れていただきたい。

不思議なことに最近の曲では、こういうことはあまりないのです。これに関して少し考えてみたのですが、おそらく当初からフェイクを想定して書かれた楽曲が多いからでは?と想像しています。作曲の中にフェイクのメロディも含んでいる、というか。それでもやっぱり、誰かがオリジナルの良さをぶち壊して、ひどいカバーをしていたりするとガッカリしますね。


ビーチ・ボーイズを創設したブライアン・ウィルソンという天才アーティストがいます。彼はビーチ・ボーイズのほとんど全ての楽曲を作曲しアレンジしており、スタジオ内では完全独裁者でした。ビーチ・ボーイズのメンバーは5人いましたが、ブライアン以外のメンバーはほとんどの場合楽器を演奏して歌うだけで、歴史的名盤「ペット・サウンズ」では演奏すらしていません。
メンバーの一人でブライアンの弟であったデニスの興味深い発言が残っています。
「俺達はブライアンの声なんだ」

事実、ビーチ・ボーイズはブライアンの書いたとおりに全て歌い、ほとんどフェイクは行っていません。数々の名作はそうして生まれました。ビーチボーイズというユニットは、作曲者ブライアンにとっては実に素晴らしい、理想的なメディアだったといえるでしょうね。
そのブライアンも、幼少時に父親からの執拗な暴力や嫌がらせに苦しめられてきた、という辛い生い立ちを持っています。


- おまけ -
ロック・ヴォーカリストのなかでフェイクの匠といえば、ポール・ロジャースとロバート・プラントでしょう。この2名は、もう ですね。これくらいのレベルになって、初めて神メディアと呼べるのではないでしょうか。
この記事へのコメント
しかし問題は、実際にライブドアニュースとか見ると
異常にバイアスかかった、
既存マスコミ以上のあからさまな偏向報道具合という事実があったりで(笑

言ってる理念どおりならいいんですけど、彼は悪魔超人なので平気で嘘付くから信用おけんな、っちゅー感覚です
参考:http://www.nozomu.net/cgi-bin/webnote/opinions/103_index_msg.html
Posted by 加藤 at 2005年02月28日 03:52
とってもわかりにくい記事に
コメントありがとうございます(笑)。

http://marcomusi-blog.seesaa.net/article/2133547.html
詳しくはこのエントリーで書きましたが
この手の人はみんな「普通に」悪魔超人なので笑。


彼の述べている信念に関してなんですが、実は
どことなく後付のような印象を受けているのです。

まず最初に、どこかの放送局株でも買収してやれ、
というのがあって、そのための理由を
あとから考えたのでは?ということですね。

もちろんその理由は、散々書いたように
堀江氏の人間性そのもので、オレも判るんだけど
それとニッポン放送の件は結びつかないんですよね。

これに関してはまた書いてみようと思っています。
Posted by marcomusi at 2005年02月28日 06:33
でもライブドアニュースにはライブドア副社長が風説の流布とかみたいなこの時期にはクリティカルにネガティブなニュースも普通に配信されてますよ
ライブドア寄り、アンチライブドアもごちゃ混ぜにただ情報を媒介するメディアという彼の言ってることは実際実行されてると思います
信念とかじゃなくて単純に記事作るのに金をかけるのが馬鹿らしいと考えているんだと思いますけど
だから市民記者募集して配信システムだけ提供するとかそういう発想になるんでしょう
江川対談で言ってたとおり彼にとって重要なのはメディアを持つことによる信用を金融などの本業利益に結びつけることであって流れる情報の内容はどうでもいいんでしょう
そういう意味でメディアとしての理念とか信念みたいなものは無いと思います
彼はメディアを一種のインフラ的に浸透させようとしてるんでしょう
報道することの意味とかは記者が自分で考えればいいことであって、ほりえもん言うところの媒介者としてのメディア論に私は賛成してます
Posted by Q at 2005年03月01日 12:01
ありがとうございます。

なるほど。
そのメディア論はよくわかります。
オレが以前書いた「合法的闇市」みたいな
感覚がやはり一番しっくり来るような。

堀江氏に煽られて、他の人たちも
どんどん出てきてほしいです。
Posted by marcomusi at 2005年03月02日 08:46
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