2005年05月31日

Dirty Returns

ブログについてまとめ その1

ここんとこ柄にもないことを続けていたが無理だと悟る。

そんなわけで、ここいらで一旦まとめておこう。
とは言っても、記事にするほどでもない雑感をただ集めただけなんだがね(笑。



長いよ
marcomusi at 06:42 | 東京 ☔ | Comment(2) | TrackBack(1) | ネット関連

2005年05月29日

こっちが強いのじゃなくそっちが弱いのよ

おもしろい下書きが残っていたのでアップしておこう(追記あり)。

ネットの普及で普通の人がどんどんいろんな情報を流せるようになった今、自分の言葉で語ることこそ重要。天声人語風に書くのなら、それは天声人語に任せておけばいいのだ。オレがピチVを嫌いなのもそこに理由がある。人の服を切り刻んでパッチワークのように再構成することには長けている。しかし、肝心のその服を纏うほうの人間が磨かれていないのだ。優れたデザインの服でも、それを着る人間は替えられる。しかし、音楽はアレンジを纏った本体である楽曲を取り替えることは出来ない。たとえばアナタはレニクラのアレンジをとても好きだったとする。だからといって洋服のようにレニクラのアレンジだけを買い、そのアレンジを、そのまま例えば鈴木亜美のアレンジに着せ替えたいな、と思ってもそれは普通は出来ない。それを出来るのはアレンジャーと鈴木亜美担当ディレクターだけなのだ。
ピチVが売っているのはつまりマネキン付きの服だったのであって人間ではない。人間が嫌いな人ならそれでいいだろう。実際彼等は人気を博したのだし、そのコンセプトは十分成功した。これからはその服を脱がして、自分が着る人が増えるということだろうね。

人を動かすものは本音の言葉であり、本気の仕事である。例えばオレが2ちゃんねるを嫌いでないのはその辺に理由があって、あそこの住人は言葉は汚いが嘘はすぐ見破られてしまうだろう。

必要なのは自分の世界観のみで小綺麗に纏めてしまうことではない。みんなで情報を出し合い、大きな流れの中の一粒の砂になることだ。まとめるのは誰かとてつもなく大きな者が行うのであって、その器でない者は本気の情報を提供し協力する。


オレの記憶では、つまり「メディアが自分等の世界で小さくまとまっている隙に、市井のサイト管理人とかブログの奴らがどんどん攻めて来るんだよ、メディア側は今になって気付き、焦ってるかも知らんが、そんな動きはとうに始まってたんだよ」って話だった気がする。タイトルの意味は そこ だろね。

それにしても前後の脈略なしに話が進む奴だ。
読み返して改めて思った。おもしろい奴だなオレって。笑


- 追記 -
書いたときの気分を少し思い出してきた。上の解説では「サイトやブログ」と書いてあるけど、ネットに限った話じゃなくて、リミックスとかデジタルコンテンツとかそういう話も含んでたと思った。だからピチカ-Vの話とか出て来るんだよね。これ以上突っ込むと、音楽の話に深く入っていかなければならなくなるから、下書きのままやめたんだと思う。

殆どの技術が出揃った現在、見た目上の整合性とか綺麗さとかそういうことよりも、いかにそれがリアルであるか、本当であるか、本音であるか、本質であるか、というようなことが重要になるだろう、と。それらが有って初めて、その上に纏う服や装飾が光るのだ、と。
たぶん普通の人々が提供するネットの文章とかリミックスコンテンツが、所謂プロの仕事よりも 生き生きしてるように見えている のも、そこら辺に事情があるのかもしれない、だとしたら、いったい何がそうさせているのか、と。

そういうことが言いたかったんだと思う。

自分の書いた下書きも、他人の書いた文のように考察してみると意外におもしろいんだな、と気付いた。残しておいて良かったな。
marcomusi at 08:03 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年05月28日

その話は終わっている

ホントはこれ記事にするつもりなかったんだけど、ちょっとだけ書いてみることにする。
実は、以下のお二方の記事を紹介したかったから、ってことなんだけどね。

名無しのメリット - 2chという場Scott's scribble - 雑記。さんより)

ガ島通信は二度死ぬ  〜 匿名実名問題 〜好むと好まざるとにかかわらず さんより)

以上。コメント欄のオレの発言も含めてどぞー。


匿名がどうしたとか言って盛り上がっているが、
何を今さら言ってるんだ???という気持ちが強かった。
Scottさんの記事を読んで、その理由がやっと判った。

前世紀で終わった話だったんだなこれ笑。


いや。
あくまで 自分の中では ですがね。
ボソボソ。



自分のところの関連記事もいくつかあげておきます。
ロキノンと2chと堀江氏と

カテゴリも。
メディア〜ネット・書籍化関連


追加。

昔書いたブログ論ピックアップARTIFACT ―人工事実― さんより)

これぞ真打か?(コメント欄ふくむ)。
水清くして 魚棲まず若隠居の徒然日記 さんより)


終わった話なのにみんなまとめてて偉い!

すごいよ。うん。


- 追記 -
NEW!
匿名性カテゴリ福田::漂泊言論 さんより)
marcomusi at 07:17 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | ネット関連

2005年05月27日

井川りかこ キターー!

遂にオレんとこにも来ました。

とりあえず「誰それ?」って人は これ とか これ

今流行ってるスパムなんだが、なんだか手が込んでてムズムズしてしまった笑

大石オブジョイトイ というのも去年あったらしい。おまえらふざけすぎです。


→詳細
marcomusi at 11:01 | 東京 ☀ | Comment(11) | TrackBack(7) | 井川りかこ

2005年05月26日

頑張れ関西クォリティ!

先日 変な人の話を書いた。


続きを読む
marcomusi at 08:55 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | ネット関連

2005年05月24日

ボールはできるだけ遠くに投げたい

「ガ島通信」さんが終焉するとかいうんで、それをきっかけにいろいろ盛り上がっている。

今までもブログについていろいろ書いてきたが(こことかこことか)、自分としては結局「この薄さがちょうど良い」という位置付けに落ち着いている。

なぜそういう位置付けにしたかというと、実は自分自身は「とてつもなく濃い人間」だからなんである。それは各種コンテンツを読んでもらえると一目瞭然でしょう。

いろいろ書いているからには反応もレスも欲しいのだ。誰でもそうでしょうし、オレだってそうなのだ。

今までは、サイトや日記ページを持っていない人の場合、個人の意見を発表するには掲示板を利用するしかなかった(MLもあるけどオープンじゃないから)。掲示板って言うからには、ある程度双方向のものだと思うから、一生懸命書いてもレスが無ければ「スルーかよっ!」ってことになる。こんな事例はたくさんあったと思うよ。

オレはそれが嫌だから、サイト形式にしたしブログも始めたのだ。反応は無きゃ無いで良い。しかしどこかの誰かは見ているだろう、と。それで構わん、と。つまりオレにとってサイトやブログは、オレという人間の「ショールーム」という位置づけで良いのだ、と割り切っている。

いろいろあって思ったのは「初めから濃い反応を期待してはいけない」ということだった。

これはメディアでモノを書いたり何か作っている人は判ると思う。反応なんかすぐあるもんじゃないし、誰もが気に入ってくれるわけじゃない。かといって、挑発しても誰もが煽りに乗るわけじゃない。

世間の反応なんてそんなもんなのだ。最初から。みんな自分の生活があるんだからさ。人の事なんて気にしてられないって。

そんなこんなでオレが辿り着いた考えは、ボールを投げたいと思ったら、目の前にいる人じゃなくてもっと遠くの人に投げれば良いんだってこと。勢いが強すぎても、至近距離なら誰も受け取ってくれないよな。でも不器用な人ならそういう球しか投げられないし、その人に合わせて勢いを落とす必要もない。

だから、いつか採ってくれるかもしれない遠くの人に向かって投げるんだよ。遠すぎて今は見えないかもしれない。でも誰かはそこに居る筈なんだ。だからまず投げる。5年10年経って、誰かが採ってくれてたんだってことが判る。それでいいんだわ。

追記。
オレがよく「判るやつが判ってくれればそれで良い」とか「読み取れない人にまで説明する気はない」というのもそういうことなんだよね。自分に対する保険でもあるし、「すごく遠くできっと王子様が待っている(←アホ)」という超理想郷的な考えからの発言でもあるのだ。目の前の貴方が対象ではない、って感じかな(やっぱり基本は傲慢ですなあオレは笑)。


目の前で「貴方の球は受け取りやすい。すごくイイ!」とか言われるのもいいけど、それに甘んじると自分は退化してしまう恐れもある。その辺の見極めが大事なんだな。オレは起用じゃない。だから目の前に転がっている安易な賞賛に溺れないようにも気をつけてるんだ。

でも褒められると嬉しいけどね。笑


関連の優れたエントリーをいくつか。

ブログの終わりじゃなくて、アルファブロガーの終わりでしょ(笑)
ブログの終わりじゃなくて、アルファブロガーの終わりでしょ(笑)2
オンラインコミュニケーションの耐え切れない薄さ
終焉を言う者から順に終焉が訪れる----「ガ島通信」のタイトルに思う。


力作!
藤代裕之〜裸の駄々っ子(1〜5)[ガ島通信研究]


マラソンコラム終了(おつです
メディアビジネスのバリューチェーン(最終回)
marcomusi at 09:18 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | メディア〜総合

2005年05月21日

日本人が趣味に生きるのは20年早い

とあるメディアで、一般視聴者からの応募作品を選別する仕事をしていたことがある。詳しくは言えないが、かなり規模は大きいものだし、応募作品も俳句とかそのような手ごろ(笑)ものではなく、完成させるにはかなりの時間と集中力とエネルギーが必要となるものだと言っておく。

応募作品には住所氏名年齢とともに彼等の職業も記されていた。職種は様々で、硬いものから軟らかいものまで、いろんな仕事の人々が応募してきていた。個人情報がうるさい昨今であるから詳細は書かないが、仕事や職種は本当に多種多様だった。

まぁ一番多いのは「フリーター」だったんだが(大爆笑)。いろんな人が応募してくるもんだなあ、といつも感心しながら作業に当たっていたのだ。


最近いろんな事件事故が多いね。それでふと思い出したんだけど、その応募してくる人たち。

本業は大丈夫なのか???


要らぬお世話ですけどね。ちょっと気になったんだよ。


いつも思ってたんだけど、今の日本て(職種によるけど)休日多すぎると思う。もちろん休みなしで残業三昧ざけんな!って人も多いけど(実際たくさん知ってます)、かたやものすごく休んでる人もいると思う。だいたい休日法とか何とかで祝日が倍くらいに増えてるしさ。バカンス(長期休暇)は昔よりは全然充実してるだろうな。だからこそアウトドアとか娯楽品も売れてたんだろうし。


日本は高度成長で世界でも例を見ないほどのシステムを構築した(んだよね?)。世界一安全と言われ、世界一勤勉と言われ、世界一几帳面と言われ、世界一頭イイと言われ、水と空気はタダだと思ってると言われ。

しかしその素晴らしい日本式システムっつのは、高度成長期に先輩の皆様が一生懸命汗水たらしつつ休む間もなく働き続けた結果出来上がったものだったんじゃないか、と最近思っているのよね。団塊エイジの方々の人海戦術も大きかったろう。

素晴らしく理想的なシステムだけど、あまりに理想的であるが故、維持するのも実は大変なんじゃないか。その維持にも、作り上げたときと同じような労力と人が必要なんじゃないか。


最初に書いた応募の話に戻るけど、確かにいろんな職種があったんだが、たとえば社長とかね、大企業の人とかさ、そんな人は居なかったのよ。オレの見過ごしでなければ、恐らく一人も居なかったはず。それって、その対象に興味がないということももちろんあると思うけど、本業で精一杯 or 十分ってコトなんじゃないか、と。最近思ったのね。


あんまり根拠もなく決め付けられないので、このオレの意見も「話1/10」くらいで聞いて欲しいんだけど、かつて作り上げたジャパンシステムを維持するには、今の状態では人も時間も足りないんだろう、と。むしろ、原因はそれだけなんじゃないのか、と。

人はどんどんリストラされて合理化だし、たった一人が膨大な仕事量を抱えている。
かたや別な人はというと、休みごとにどこか出かけたり、趣味に没頭したり、何か作品を応募するため熱心に製作したり、そんなことに時間を費やしてるわけさ。それじゃ追いつかないはずだわな。

例えばオレなんかも、仕事のことは1年中24時間考え続けているよ。そうじゃなきゃ出来ないから。まぁ、オレは力不足なだけでもあるんだが、何か作ったり書いたりするような人はみんな多かれ少なかれそうでしょう。もちろん遊んだりもするけども、それすら仕事のためであり、その最中も考えが止まることは決してない。

でもかつての日本人ってそうやって暮らしてたんじゃないかな、そうじゃなきゃ戦後にこんなんならないでしょう、と。最近思うのよね。

欧米の考えやスタイルについて、日本では「バカンスや趣味に時間とエネルギーを割き、実に羨ましいライフスタイルだ」というような言われ方で取り入れられていたフシがある。実際の当時を知らないから断言は出来ないけど、昭和30年代頃の映画テレビ文化なんてみんなそうじゃない?

もちろんそれは素晴らしいし良いことだと思うけど(?)、それが日本で本当の意味での実現を見るのは、もうちょっとあとになるんじゃないかな。それ用にシステムが落ち着いてから。
足りない時間や人でも動けるようなシステムになり、誰もが余裕を持ち、無駄に焦ったりしないようになってから。

そういう意味で今の30代以前くらいの人たちにオレは期待してるんだよね。彼等はたぶん両立させるシステムを作れるだろう。この予想には特に根拠があるわけでもないのだが(笑)、彼等を見ているとそんな気がするのよね。世の中が変わり、自動的にそうなってしまうということもあると思うけどね。だからオレは彼等への注視を続けるわけで。

いくら優れていても恐竜は滅びる。識者から3流ロッカーまで(笑)みんなが言ってたことだけど、それは、近代文明が、ということではなくて、高度成長〜バブル時代のポンプなシステムが壊れるってことかもしれないね。

ロバート・フリップ先生御用達の「小さく独立していて身軽な個体」てやつですな(理想)。

フリップ先生に関してはまた改めていろいろ書いてみたいが、まぁともかく、近い将来訪れる筈の「崩壊」には備えておいても損はしないでしょうね。

みなさんがんばりましょう。
marcomusi at 07:33 | 東京 ☁ | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑記

2005年05月20日

トラックバックで始まるバグ

ポッドキャスティングのテスト 1 は公開終了しました。
みなさんありがとうございました。

残りの曲は右のRSSラジオでどうぞ。

ポッドキャストに関しての詳細はこちらで。→
http://podcast.seesaa.net/


続き〜ブログのカスタマイズ編
marcomusi at 08:20 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(4) | ネット関連

2005年05月17日

トラックバックで始まる変

いやホントは「トラックバックで始まる恋」がいいんだけど。


ともかくそれはひとつのTBから始まったんだわ。

TBしてくれてコメントも残してくれた彼。
おもしろいことたくさん書く人だなあと思って初めは好意的に見てたんだ。
でもね。その人のブログに出入りしてたり仲良くしてる他のブロガーってのが、
どうにもな人達(一部)だってことにだんだん気付いてね。

でも彼本人は変な人じゃないんだよ(少なくともブログ上は)。

そんな時どうしてます?

「友達の友達はみな友達」ってのは現実には成り立たないのかどうか。
森田一義ファンの方、回答プリーズ笑


オレ悩んだんだよ。
でもその人のブログに出入りしてる限りは、そのな人たちのことも当然目に入るわけさ。
もうね。何がって。ともかく。反吐が出るくらい
10年以上オレの周りでは見かけなかったしすっかり絶滅したかと思ってたyo今どきありえねえ!くらい

オレの性格から言って、そんなの黙っていられる訳がないしね。


だから今でも彼のことは嫌じゃないんだけど、
他の連中が目に入ってくるのが嫌なんで、そこへ行かないことにしたんだ。

それが前記事で書いた主旨のひとつなんだ(彼ではなく な人宛て)。


でもさ。
そもそも最初のTBが無ければ知り得るはずのない人だったんだよな。
彼もその知り合いたちも。
お互い知ることも無く、幸せにそれぞれのお花畑で楽しく暮らしてたはずなんだ。

そう考えると、ずいぶん罪作りなTBだったとも言えるんだな。これ笑。

まあ他人の事、とやかく言う筋合いでもないけど、
もし彼とリアルな友達だったとしたら「付き合う相手選べよ」って言うと思う。

あはは。自分で↑書きながらお茶噴いたがな。
アッチの友達も彼に「付き合う相手(オレ)選べ」って当然言うよな。
だいたい、とてつもなく大きなお世話だしな、これ。


でも下の記事のコメントでそれとなく書いたけど、
わかっててやってるだろ?って思ってる。
つまりオレは、彼の煽りに乗ったんだなってこと。

それも十分ありうる話だと思いつつオレは楽しんだけどね。

なーんて。

言うのは反則だったかな?



ps
変な人に向かって「ママー。あの人、変」って。子供かよオレは。
marcomusi at 18:58 | 東京 ☀ | Comment(4) | TrackBack(6) | ネット関連

2005年05月15日

泳ぎ方は教わったのだから泳げばいいだけ(改悪版)

このジョンレノンの言葉は永遠にオレの心の中で響き続けるでしょう。


という記事だったが、ばかばかしいからやめた(こればっかりだな笑)

つまり、過去に書いた素晴らしい記事(自画自賛)で代わりとする、ってことで。おしまい。


ひとつだけ言っておこうかな。

表向きの自負心みたいなものでなく、
その奥とか裏まで、お互い考えられているか。
考えてるとして、どっちが深く考えてるか。
それがキーだと思う。

一見、強がりで言ってみているだけのような感じもあるが
実際はそうではない気もしてる。

お互いに別な方向を見ながら話しているのかもしれないな。
(それぞれのお花畑のギャラリーに向かって)


どっちにしろあのままだと早晩壁にぶつかるだろう。
そのときにまた改めて考えてもいいんじゃないか、と。


まぁ。喋りすぎは禁物だ。


流れを全部見てる方々(もしいたら、だけど)。
その辺を探ってみるとおもしろいのではないかと思いますよ。





つーことで。しばらく音楽ネタでも書くかね。
堀江氏がなにかおっ始めたときにメディアネタかなんか書くことにする笑
marcomusi at 18:58 | 東京 ☀ | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑記

2005年05月13日

今こそ堀江氏の出番である

これはネタではなく本当の話だと最初に断っておく。

先日、外の公園のベンチに座り弁当を食べていた時のことだ。しばらくして地面でうごめくウネリのようなものに気付いた。目を凝らしてよく見てみると、なんとそれは、行列を作り大挙して押し寄せてくるアリの大群であった。
奴らは既にオレのすぐ足元にまで到達、一部は本隊から分岐しベンチの脚から登り始め、オレの昼飯への到達も時間の問題かと思われるまでに迫っていた。

マズイ!このままではアリの大群にたかられてしまうぞ。

オレは焦った。どうしたらいいか。たかってくるアリを片っ端から振り払うか?

しかしオレは殺生が嫌いなのだ。出来れば穏便な方法で済ませたい。
どうにかして奴らをオレの昼飯から遠ざけることはできないものだろうか…。


さてそこでオレがどうしたかというと。
旨そうに汁が沁みこんだ部分の御飯を、箸でひとかたまり摘まんで地面に落としたのである。

「隊長!ご馳走ハッケンですっ!」ってわけでアリの大群は目論見どおりほぼ全員が転進、その飯塊に向かって押し寄せて行き、オレは難を逃れることが出来たというわけだ。


ということで。

あれ?堀江氏の話はど(略



JR西日本を恫喝した「髭記者」の実名にたかるブログ・スクラム


続きを読む?
marcomusi at 22:10 | 東京 ☁ | Comment(2) | TrackBack(2) | メディア〜総合

2005年05月12日

iPod vs Walkman

話題になっているのでご存知の方々も多いと思いますけど、グーグル率(笑)の高い当ブログで取り上げ、オレも宣伝に協力しようという作戦です。

BCNランキングに関する疑惑について 〜

「ウォークマンがiPodを逆転?!」の数字はこうして作られる

Walkmanがシェアトップだって?ちょっと待った!!!

デジモノさんのところのコメントでも既に書いてるんですが、BETAMAX〜8mmとオレは2度に渡ってSONY様には騙されているんですな。まあその代わり良い夢も見たからいいんですがね。今でも使ってるし(笑)。

ソニー様ってそもそもヲタク様御用達メーカーだよね。ラジオとかオーディオとか持っていてウキウキするようなのばっかり出してたんだから。ビデオもそう。ベータなんかもろそうだもん。

そう考えると、たまたまウォークマンとヴァイオとかがヒットしただけで(スゴ録もか?)、本来は庶民のハートを掴む手なんか持ってなかったってことだよね。

オレは今でもオタクだけど、ソニーのオタク分野とオレのそれが被らなくなってしまったので、全然食指が動かなくなってしまったのね。

iPod世代(爆笑)のオレとしては Walkman など買うこともないだろうが、そのかわり betamax と hi-8 のビデオデッキは最後まで使ってあげるから。

それで許してね。Sonyさま(はぁと


NEW!
- 追記 -

釈明(?)記事キター。
トラックバックに答えて 「ウォークマン大逆転…」掲載の理由 たった4日のデータが物語る市場の姿

タイトルなげーよ!(笑


デジモノさんの新記事。
「ウォークマン vs iPod」のその後。そして他社を忘れるべからず。
marcomusi at 06:51 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(4) | メディア〜総合

2005年05月07日

ネット上の権威とダーティに対峙する

その人の実際の社会的地位はネット上での地位にも影響するのか?ってことを、前々から考えています。

オレは5年くらいインターネットに関わってきました。長くもないし短くもない。いちばん中途半端だなあ。なんかいやだ。

でね。思ったのは「影響しても悪くはない」けど、それじゃつまらないな、と。

説得力が増すのはいいと思う。たとえば実際のプログラマがプログラミングに付いて書く文は、プログラム評論家(笑)の書く文章よりは説得力ありだし、実際の新聞記者がジャーナリズムに付いて書くのは、ジャーナリズム評論家が書く文章より説得力あるわけで。そういうことのために使うのは大いに結構ですよね。

でも実社会の地位っていうのは、下手するとまんま権威に繋がるものでもある。

たとえば、その人がどこかの会社の管理職だったとする。実社会ではたくさんの部下がいます。日々彼等に対して、指令や命令を伝達していることでしょう。でも、同じような感覚でブログなどの文章を書くと、高圧的にどうしても見えてしまう。

オレにも本職があります。書きませんけど(このブログのどこかに書いてあるかも)。

自分の本分に関連する記事は、やはりどこか高圧的になってしまいます。どうしてもになってしまうんですな。オレはそれに気付いているので、(まぁついついやってしまうけども)それでも一生懸命気をつけるようにしてる。威圧的だったり怒りで書いた文ていうのは他人の心を打たないんですよね。

結局それは唾棄場所を提供するだけになってしまう気がする。みんな自分のところで唾棄するのは嫌なんですな。汚いから。だから誰か唾棄場を提供してくれないなあ〜なんて思ってるわけです。で、かっこうの唾棄場を見つけたらみんなで吐きに行く、と。だから、一見「説得力ありげな唾棄場」は喜ばれますね。自分の唾棄行為に正当性ができるからさ。後ろめたさを感じずに済むわけ。しかしそれが「綺麗な唾棄」か「汚い唾棄」なのか、その違いにはあんまり意味ないような気がするんだよね。オレは。

天に唾棄する、という言葉がありますけども、もし自分がやるならそのリスクで、という気持ちは常に持っていたいと思うね。


このブログからリンクしてある音源分析のコンテンツも、ああ見えても数え切れないほどの推敲を重ねています。初版(?)はメディアに対する憤りや苛立ちがそこここに溢れていたと思う。そこを、何度も見返し推敲し校正し、どうにか人に伝わりやすい文章に仕上げることを考えた。それでも力足りない部分はあるけども、人に伝えたいから頑張るわけですよね。

今でも苛立ちや不満はたくさんあるし、ここでの記事を書くモチベーションになっている部分も少なからずある。むしろ、この「裏ブログ」はそうしたもので成り立っている

Dirty だから。

しかし、ともすれば愚痴や ボヤキ になりがちなんですな。見かけだけの権威や不甲斐ないプロの仕事には大いに意見すべき、と思うけど、対象を見誤ったり叩きやすいものに向かわないよう気をつけなくちゃいけない。問題はもっと深いところにある、って感じだろうか。ゴキブリの巣。

その辺を上手く自重しながら、自分の視点でやっていくしかないんだよな。もしどうしても普通の人に対して何か言いたくなったら、そういう時は自虐するようにしている。たとえば、こんな状況なのは自分が不甲斐ないせいだろう、だからがんばろう、というような感じですかね。

堀江氏の記事TB騒動 で散々書いたとおり、結局何かを変えるというのは、自らが変わってそれを他人に示すことがいちばん有効であるだろう、と。オレはそう思っているわけさ。言うのは簡単で実行は難しいけどね。


もちろん君らには君らの考えや方法論があるのだろう。それで構わない。ただね。説得ってのは難しいんだよな。つか、無理に近いんじゃないか、と。「説得される」という言葉があるように、本意じゃなくとも嫌々納得することも多いのだし。それは中身は変わってないってことだから。あんまり個人的には効果ありとは思わないんだよね。

まぁ、それでも各々自分の信じた道で頑張ればいいよ。

頑張ることは否定していないから。オレ。


ちょっと良い話。→ 玄倉川の岸辺 さん



- 追記 -

忘れてた。

「いかにも天声人語風に書いて素人を騙そうとするのはアカンよ、君ら」

っていうのもあった。つか、こういう人らがいちばんタチ悪いかもしれないよね。架空の権威を捏造してる、というか。ブログをなんか違うものと勘違いしている節がある。そんな姿勢はあんまり同意できるものじゃないかな。
marcomusi at 07:39 | 東京 ☀ | Comment(8) | TrackBack(3) | ネット関連

2005年05月04日

そこに居ない人

こんな事件がありましたね。

集団の中に於ける孤独というか。自分はここに確かに居るのに、周りの人にとっては居ないも同じ、つまり居ない人にされてしまうってこと。

これってどういうことだろう、と。ずっと考えてきた。

ちょっと前にも、電車の中で化粧する女の人が増えたことに関して世の中で話題になったことがあった。いろんな人がこの行動について分析していたようだが、いちばん的確だったのは「彼女らにとっては周りの人は居ないと同じ」ってことだった。知り合いじゃない人は彼女らにとっては居ないと同じなのだ。オレは更にこうも思う。彼女らにとっての恋愛または交友対象外である人も、居ない人に含まれてるな、と。知らない人だけじゃなく、周りをざっと見て、自分に一生関係がなさそうだと思う人に対しても「居ないと同じ人」扱いしているのだ。

これはとっても面白い現象なんだよね。別に女性じゃなくても誰でも、例えばサークル内の新入りとか。場違いに若者の集団に一人だけ混ざってるオヤジとか。いろいろありうるわけ。
オレはいつも創作をするときに「どうすれば、こういう人たちに 見える人扱い してもらえるだろうか」ということを考えてる。


オレは昔から一貫して、自分の作品の中で「Communication Breakdown」ということを表現してきました。同じ日本語を話しているのに、まったく相手に伝わっていない。その空しさみたいなこと。こないだの新作もそうですね。あれのテーマを「恋愛」と見てもいいのですが、そうするとちょっと世界が狭くなるのですよ。でも、そう見えてしまうなら、作った自分の力不足ですね。次に頑張ります、としかいえないな。

でね。オレは、自分に無関係な人を「そこに居ない人扱い」するほうの人に 実は憧れてた のだ。そんなことをできるくらい自分中心に生きられる人。羨ましいです。

オレには、そんなことは「故意」にしかできない。だから「自然」にできる人が羨ましかったのだ。
そもそも昔は、それを自然にできる人がこの世に居るとは思ってなかった。それをやってる人は絶対「わざと」だと思っていた。でも違ったのだ。すごいね。天然こそ最強なんだよな、と思う。


サポセンブログ さんが良いことを書かれていました。

ウチのクレーマー記事も良ければどうぞ。


電車関連ということで大変興味深い記事を。
席を譲らなかった若者らくだのひとりごと さんより)


この記事は、他のブログ用に書いて放置していた原稿を、今回の事件を受けて当ブログに修正Upしたものです。なので多少「裏」ブログキャラとは色合いが異なることを一応お断りしておきます。
marcomusi at 13:06 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑記
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