2005年04月27日

元「官」の見苦しいプライド

首都圏に住んでいる方々にはあまり実感がないと思うが、関西は私鉄王国だった。オレが住んでいた20年ほど前までは完全に私鉄優位で、遅い、高い、おまけにダサいというんで国鉄利用者はバカにされていた。
その後オレは東京に引越してしまったのでJR西日本の変化を見守れなかったのだが、たまに関西に訪れると、その度にJR新快速のダイヤが改良されていて「すげえな…」と思ったことを覚えている。ここ2〜30年の間に20分くらい時間短縮されたんじゃないだろうか。阪急や京阪はあまり変わってないんだから、これはすごい変化だ。言うまでもなく、これは私鉄に対抗するために行われたものだろう。

ゆうパックのクロネコヤマト潰しもそうだが、「官」「半官」或いは元「官」というのものの「民」イジメというのは極めて露骨で大人気ない、とオレの眼には映る(もともと「官」なんだから設備は揃っていて当たり前)。関西で行われたJR改革も、ある意味「私鉄潰し」みたいなもんなんじゃないだろうか。

元がただのローカル線で近年グレードアップした路線は、路線強化や設備投資を経て近代化されたものだと当然思っていたが、今回の事故でそうでもなかったことが露呈してしまった。奈良線とか埼玉の川越線とか大丈夫なんだろうか、と率直に思う。

こういう路線はもともと旧国鉄が抱えていたローカル線で、専門家からは有効性が指摘されていたものの、国鉄の怠慢により宝の持ち腐れ的存在となって放置されていたものなのだ。それを、いきなり思い出したように私鉄への対抗手段として次々再生、と。その発想は良いかもしらんが、果たして近代化に堪えうるスペックだったのか。隠居していた老兵を「会社の一大事ですから」と無理やり説得して現場に引っ張り出す、みたいなものではなかったのか。その老人を調整もせず、いきなり若者に混ぜて一軍配置してしまうようなものではなかったのか。そこまでなりふり構わず対抗する意味はどこにあるのか?

元官のメンツなのか。無駄なプライドなのか。


興味深い記事
JRの登場により競争が激化した私鉄の元運転士の息子として明日は明日のホラを吹く さんより)

悲惨な事故だ、近郊線の安易な高速化は危険だドクター苫米地ブログ さんより)

まとめ記事てるてる日記 さんより)

詳しい考察たなか@さくらインターネット さんより)


オレは信楽高原鉄道の事故を決して忘れない

信楽の記憶(上)
信楽の記憶(中)
信楽の記憶(下)
marcomusi at 06:44 | 東京 ☀ | Comment(7) | TrackBack(11) | 雑記

2005年04月26日

ライブドア堀江社長のインタビュー

しばらく堀江氏関連記事は書かないつもりだったんですが、なかなかいい記事を見つけたのでお知らせを兼ねて。3月の記事なので知っている方も多いと思いますが一応ね。

明るいおカネ第一主義”の伝道師 ライブドア社長 堀江貴文

オレが 今まで書いてきたこと が、いろいろ具体的に述べられていますね。実に興味深いです。

こっちの 記事 でオレは「そこにゴキブリがいるならば、どこかに巣もあるはずだ」と書きました。表面上に映る部分で人を叩くのは簡単なんですけど、必ずどこかに原因がある筈なんです。そこを見なければ意味がない。まあ、普通の人ならそれでもいいでしょうけど、評論家とか文筆家とか自認してる人ならば、そんな通り一遍の批評なんて意味がないでしょう。洞察力ない人だなあ、と思われるのがオチですよね。その辺皆さんも頑張って欲しいな、とね。

ももしろうさぎのPCの本棚 さんのところで少し 書かせていただいた んですけど(ありがとう)、自分に似た気質を持っていたり、同じようなニオイを感じる人に対して、オレは非常に興味が湧きます。それが若い人なら、これからどう解決していくのか見守りたいし、年長者なら、どうクリアしてきたのか(或いは出来なかったか笑)、自分ならどうしたか、そんなことをいろいろ思います。また、現在の相手の状況を見て「ああオレもかつては通った道だなあ」とか思いを馳せるのも、なんとも言えない感慨があるものです。

具体的に解決方法などをここで書かないのは、かつて実際にそのようなことをやって失敗したことがあったからです。この手のタイプの人は(オレも含め)無駄にプライドが高い人が多いんです。だから(たとえそれが正論でも)他人に言われるのは激しくムカつくんですね。だから逆効果になってしまうこともある。関係をこじらせてしまうこともある。

結局、自分を変えることが出来るのは「自分自身」だけなのですよ。だから自分が気付くしかないんです。オレみたいな他人が出来るのは、何かのヒントとかきっかけを与えるくらい。それでも傲慢な考えだと思うけどね。

先日 トラックバックのこと について書きましたけど、オレはまったく無関係だと思われるような方にはTBしないです。メモライズのスパムも、社長日記とか?人気どころだけど少しでも関連性のあるところを探して打った。
受け取ったほうが、これが自分にどう関係あるのか?と思われたら、それはしょうがないんですけど、まあその場合も「投げた球は採ってもらえなかったな…」と思うだけでね。何かの強制力とかは全然ないわけだから、華麗にスルーしてもらえればいいわけです。読み取れなかった人は、そもそもオレの記事も理解できないだろうし、ということですね。

と、まあ一般論ではそんな感じだけど、かたや堀江氏は一般人ではないし、実際彼が行動を起こすことで波紋とか迷惑とか、いろんな結果が起こるわけですね。だから彼の場合は皆が放って置くというわけにもいかんのだろう、と。しかし説得するとして、いったい誰の意見になら彼は耳を傾けるのか。これは非常に難しいと思う。だから、ムカつく相手かもしれないが、ここはあえて私情を殺し、彼の言葉すべてに真摯に耳を傾け、ひとつひとつ応えて解決してあげるしかないと思う。つまりカウンセリングですよね。彼に対峙するにはそんな視点が必要だと思うのですけど、みなさまいかがでしょう?(笑)
「大人の解決だ」っつーなら、それくらいの度量があっても良いんじゃないかな、と思いますよ。


これでしばらく堀江氏の記事を書くことはないかな。

そうあってくれれば嬉しいけどな。

2005年04月25日

トラックバックの意味を改めて考えてみた

こんな出来事があったようです(その後の展開は後半の 追記コメント欄 をどうぞ)。


詳細はこちら→ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘(小島愛一郎さん)
発端の 記事 はこちらですね。
この件で小島さんと関わっていたecotakaさんの関連記事

いろいろ考えさせられるものがありましたね。せっかくの機会ですので、各所コメント欄に書かせていただいた内容をリミックスし(笑)、ここで再編成してアップしておきたいと思います。

オレのインターネット歴はだいたい5年くらい。その5年間、所謂インターネット日記というものも書いていました。それがかの有名なメモライズというわけです(参照→メモライズ事件)。

今振り返ると、日記のときはコメントがあったら返事もしたし、挨拶もしたし、それこそごく普通の「ネチケット」で楽しんでました。譲渡の1年程前からメモライズにもTBやRDFが搭載され、ブログ風のシステムとなります。その後メモライズ譲渡を経て、媒体は完全にブログに移行。そうした過程でいつのまにか「濃いようで薄い」ブログというシステムにすっかり慣れていた自分がいました。

個人の掲示板や日記では、コメントがあるとレスの義務が生じます。もちろん放っぽらかしでも良いのですが普通はそんなことしないし、それこそ放置するとネチケット違反だ、とか言われてしまいます。コメントを貰うというのは嬉しいことであると同時に、見えざる義務感に常にさいなまれるという状況になるわけですね。簡単に言うと重荷だってことですかね。

ブログのTBというのは、その辺が濃くも薄くもなく、実に良く出来てるシステムだな、と。つまり、無視したきゃすればいい。嬉しければTB返しすればいい。反応したければこっちも記事を書いてTBすればいい。ちらっと意見したければコメントすればいい、と。すべてこちら側に対応を一任されているわけです。
これが良いか悪いかは別にして、オレらはすっかりこの気楽さに慣れてしまったのだなあ、と今つくづく思いますね。
TBの形態は人によって様々だと思います。ほとんどの場合は送って送り返されて、で終わりでしょうね。お互いに、相手は読んでくれただろう、という想像をするだけですが、オレはそれでも仕方がないだろうと思ってます。
人の心は移ろいやすい。その瞬間にレスしたくとも出来ない。上手く書けない。でも共感したよ!という延髄反射に適したシステムがTBではないかな、と。そう感じたりもしています。

先日書いた記事を各所にTBしたことで、いろいろな反応がありました(皆様ありがとうございます。感謝いたします)。コメント欄等でも書いているので判って頂けると思いますが、このような記事の場合、書くだけでエネルギーを使い、既に言いたいことも言い切っている場合が多いと思います。それを更にコメントで畳み掛けることに、個人的にはあまり意味を感じません。当該記事コメント欄でも書いているように、読めない方にまで分かってもらおうとは思わない、というのが正直な気持ちなのです。


当ブログはグーグル検索でのランクが非常に高いです。何かの話題を取り上げると、必ずその語句の検索トップ20あたりに食い込むのですよ(これはありがたいとも言えるけど、ある意味負担でもある。必ず有意義な話題を提供しなければいけない、という無意識の義務感のようなものが常に自分の中に存在しているわけでね)。

で、その常にランクが高いという理由はなんなのか。これは完全にオレの想像なのですが、おそらく メモライズ事件 の折にところ構わずTBを送りまくったことにあるのではないだろうか、と思っています。ある意味スパムとも取れる行為ですが(;一応、無差別ではなく関連した話題の方を選んだ)、おかげで メモライズ事件 を広く知らしめるのに多少なりとも役立っただろうと思っていますし、関連事項である、ライブドアブログの削除や脱会について も知ってもらえる状況を作ったと思っています。実際困っていた方は多いようで、今でも拙宅のID削除記事を見て無事削除できた、という方から連絡を頂きます。本当にありがたいことですし、オレ個人としても実に嬉しく、ブログ冥利に尽きる(笑)と思っています。

とりあえずオレとしては、そんな状況にある当ブログの利点を生かして、今後もTBをどんどん好きにしてくださっていただいて結構ですよ、と。せっかくなんで皆で利用してくれればと思いますよ。それで困ったら自分が削除なりなんなりすればいいので。そういった管理の面では SeeSaaというブログは比較的よく出来たもので、これも非常に助かっていますね。

何度も書いているとおり、オレはここ以外にもブログを3個持っています。ここでの話題は比較的「裏」の話、つまり直接自分の仕事や私生活とは関係のないものを扱っています。だからここには普通の方のように、今日食べたものとか今日観た映画とか(笑)の話題がないわけですよ。

現在は無料のブログも山のようにあり、利用者は選び放題ですよね。オレの場合はライブドアとのトラブルから、緊急避難的処置でブログが複数になってしまったわけですが、結果的に機能別に分けたりしたのは良い手だったかもしれないな、と思ったりしています。


まだまだ発展途上のシステムで、今後もいろんな形に変わってゆくのでしょうね。
今後の展開を静かに見守っていたいですな(あんまり棒読みではない)。

参考
Blog論2005年バージョン
はてなダイアリーのTBシステム

NEW!
絵文録ことのはさんのトラックバック・ポリシー



- 追記 -
その後いろいろ動きがあったので報告です。
まずTBしていただいた Scott's scribble さんのエントリーでいろいろコメントさせていただきました。大変有意義で考える部分もありました。読んでいただければと思います。

次に、当記事で紹介した小島さんとecotakaさんのお話に関連して at most countable さんが記事を書かれていますのでご紹介です。

トラックバックについて、色々と考えてみた
トラックバックを打つよりコメントを書こう

いろいろな方々の意見を読むのは参考になりますね。

オレの気分としては、どこの誰であれスパム(笑)であれ、TBしようとしてくれた気持ちは嬉しいし否定したくない、ってことなんですよね。なぜそこまで寛容かというと、こちら側でその扱いを自由にできるからです。これが、一度TBされたが最後、一生それを消せない、っていうのなら大変困りますよ(笑)。でもそうではないのですから。
しかし、それはあくまでマイルールであって他人にまで強制はしない。だから自分と似たルールだろうと思われる人を選んでTBしているつもりだった、と。しかし、ちょっと今回は見誤ったかもしれぬ、という感じですかね。

おもしろいことに、コメントはめんどくさいから自分で記事を書いてTBしてくれ、と言っているブログ主の方をオレは数人知っています。両者は永遠に分かり合うことがないでしょうね。でもそれでいいのではないでしょうか。


- 後記 -
それにしても、皆さん ブログ界の浄化 という使命に燃えておられるのは凄いと思いますね。しかし個人的には「ブログ界」というもの自体が「幻想」のような気がしています。それは過去にネットバブルを経験したものの共通認識なのかもしれません。思い違いでしょうかね。ただ、オレは全てをまったく諦めているわけではないのです。それは当ブログの様々な記事を読むと判って頂けると思います。

堀江社長の記事 でも書きましたが「あくまで個人の問題」ということ。誰もその人を変えたりとかは出来ないし、そんな権利はない。叩いても糾弾しても非難しても諭しても説得しても。本人がその気にならなければ変わらない。
その気にさせるのは、大きな運動ではなく、ひとつひとつの小さな気持ちなんじゃないのかな。そしてそれは、各々が自分のジャンルで地道に行う作業でのみ可能になるのではなかろうか、と。そんなことを思うのです。


本当は他にもいろいろ書きたいことがあるのですが、事情により自重している部分もあります。ですので分かりにくい部分もあると思うのですが、その辺はどうか行間を読み取ってください、と。

そう心から願っています。


ちょっと続きっぽい記事
marcomusi at 09:00 | 東京 ☀ | Comment(9) | TrackBack(3) | ネット関連

2005年04月24日

報道は「フィクション」であるという話

自分で散々取り上げておきながら、超有名どころで出ていたのを見逃すとは。迂闊であったぞ。

放送による報道とは、実は編集者という作者が「ノンフィクション」という素材を「コラージュ」して作った「フィクション」であるといったら言い過ぎであろうか?

404 Blog Not Found さんより


これは 週刊!木村剛 さんでも取り上げられてます。


オレが書いた関連記事としては、

堀江貴文社長の理論はオレの考えと近くてよくわかった、でもアンタじゃ嫌だ!という話

DJリミックスはおもしろいけど、灰色だという事実を置き去りにして無責任に持ち上げるな!という話

ネット上のログを集めて書籍にするオマエらはリミックスでもしてるつもりか?という話

メディアの報道に客観なんかありえんのだから初めから話半分で聞け!という話。


こう振り返るといろいろ書いてるね。これって、誰かに訴えてると言うよりは、自分自身が忘れないために言っておく、というのに近い。まあ一般的に言えば「備忘録」ということになるんだろうけど、オレとしてはあまりそういうつもりでもないんだな。
なんかの縁でもし読んでくれた人がいたとして、その人の心のほんの小さなシミにでもなってくれたなら、嬉しいぞということなんだよな。

こう書くと、自ら 前記事 を華麗に否定しとるやないけ?と言われるかもしれないわけだが。まぁそこは文章だから文体ってのもあるわけで。
いかにも天声人語風に書いて素人を騙そうとするのはアカンよ、君ら。ってことかな。

ということで。文章として綺麗でも必ずしも正しいことを述べているとは限らない、ということでもあった。気をつけたい。


- 追記 -
おー。今リアルで、報道2001が「不本意な使われ方をした」って抗議が来たっつんでスマソって詫びてたぞ。そうだよね。やっぱりメディアに出たら素材扱い。自分で気をつけなきゃならんね。


おなじみ、電車男の時刻表 さんでも書かれてるけど、製作側は初めから「結論をこうしよう」と決めていると思う。すべてその為の素材だから。ホントにこれリミックスなんだと思うね。みんながそれに気づいてしまったとき、報道メディアは果たして生き残れるのだろうか。そのときオレ達は、お祭りの夜店みたいに「インチキだと知っていて楽しむ」ことができるだろうか。

10年後が楽しみだなあ。


一応こちらもご紹介。
電車男情報局
marcomusi at 08:59 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年04月23日

おまえは人生幸朗かよっ!?

恐ろしく古いネタでスマヌが、オレはツービートの漫才が大好きであった。
世間的にはほとんどビートたけししか注目されていなかったが、ピン状態のたけしがそれほどおもしろくないことに気づいたオレは、以降、密かにビートきよしに注目するようになった。
きよしの役割ってのは、笑うきっかけを作ることだったと思うね。箸休めの煮豆とかオシンコだな。たけしだけだとおもしろいことはおもしろいのだが飽きてくる。そこに当意即妙のきよしのツッコミが入る。多分、言葉はどうでもいいんだな。二人ともほとんどアドリブだったと思うし、ツッコミしましたよ、という事実であれば何でも良かったんである。

で、数あるきよしのツッコミで、ツボにハマり大爆笑したのがこれなのだ。

「おまえは人生幸朗かよっ!?」

これは 人生幸朗 師匠を知らなければ面白みが分かりにくいんだが、実はオレも詳しいわけではないのだ。ほんの数回、TVの寄席や懐かしのVTRとかで観ただけである。しかし師匠のキャラは強烈で記憶に深く残っており、それゆえ、きよしの言わんとするところも理解してしまったのだ。

ぼやき漫才というと分からない方もいるかと思うが、今の芸風で言うと爆笑問題の太田が一番近いのではないだろうか。つまり世相や事件、芸能の話題などをともかく毒舌で切りまくるのだ。ビートたけしもそのスタイルだな。カンニング竹山も微妙に違うがある意味近い。そして太田、と。

今の北野たけし氏を思うと、このきよしのツッコミ「おまえは人生幸朗かよっ!?」というのはかなり重い意味を持っていることが分かる。このきよしの発言は漫才師であるたけし否定しているようにも取れる。つまり、アンタ(たけし)は他の漫才師や世相評論家みたいにボヤいてるだけでいいの?と言ってるのだ。

その後のたけし氏の活躍はみなご存知のとおり。彼は自分自身で、ただの「ボヤキ」や「茶化し屋」ではないことを証明した。
そして今、彼にツッコめるのは彼自身しかいなくなった。実際、たけし氏は自分自身を茶化すことでバランスをとっているように見える。これは絶頂時のビートルズがよく使った手である。自らを客観的に俯瞰で見て「自分等だって実際はくだらんのだ」という手法。これはある意味「保険」でもある。自分のやっていることが正しいのか?人に受け入れられるのか?そんな評価が怖いので、人に言われる前に自分で言っておく、と。

さて。話が長くなった。
昨今はブロガー(しかし、なんだよブロガーって?)流行りで、オレに限らず、誰でも彼でもボヤキまくれるようになった。どんな意見でも言うことは大切である。旧来のメディア側も、それら市井の意見とも言うべきボヤキにも聴く耳を持つべきだ、と思っていた。

しかし先日のDJサンプリング事件によって、自分は気づいてしまったのだ。そこでオレは、初めてボヤく立場からボヤかれる立場になった。
…これが 素人による独自見解 の現実であった。第三者の目には、なんと情けなく映るものであったか。

つまり、ひっくり返せばオレらも、まったく門外漢なジャンルに対して、彼のような著しく的外れである論評をしていないとは言い切れないんである。まさに反面教師。

実際、恥ずかしくてね。

今までオレはここで散々書き散らしてきたけど、こいつみたいに、他所の連中からは嘲笑されていたんだろうな、とか、所詮野次馬で何も出来んくせに偉そうによく言うよな、とか言われてたんだろうな、とか、自分でやらずにボヤくだけなら誰でもできるやないか、とかさ。もう、その姿が目に浮かぶように想像できてしまったのだった。

今後も何も言わないということはないだろう。言わずにはおれない性格だからさオレ。しかし、ただのボヤキとか、素人が首突っ込むような恥ずかしい論評みたいのは自重しようか、と激しく思ったのだね。

オレは物を創る人間だから。あくまで創ってナンボだろ、と。
ボヤキは他の奴に任せておけ、と。

そういうことなのであった。

うむ。
marcomusi at 07:20 | 東京 ☀ | Comment(7) | TrackBack(5) | メディア〜総合

2005年04月17日

堀江氏理論と反日デモ

…って(笑)。何でも結びつけんじゃねえよ!と言われそうだけど。まあ聞いてくださいな。

オレは子供時代にイジメっ子とイジメられっ子の両方を経験した。今思うとどっちも酷かったね。当時を振り返り、加害者のときと被害者のときとどっちが心の傷となっているか考えてみると、やっぱりイジメた側に回ったときのことだろうな。本当にひどい人間だった、と我ながら思う。

前にも書いたが、オレのオヤジは家庭内では絶対的専制君主として君臨していた。だからオレは堀江氏の生い立ちを知ったとき、自分と似たような境遇だった彼にある種のシンパシーを覚えたのだ。狭いエリアで迫害され、その対象に逆らうことが許されない場合、反逆エネルギー発散の対象は自分より弱いものか、安易に攻撃しやすいものに向く。それが自虐である場合もあるし、動物とかに向くこともある。堀江氏も幼少時に動物虐待をしてたらしいという情報があったが、さもありなんであるね。

誰もが言っていることだから今さら新鮮味もないけど、かの国々でも国内政治や経済の不満を直接政府に向けられないので、矛先が日本に向いてきたんだろう、と。それはそのとおりでしょうね。個人個人を責めるのは簡単だが、彼等はああいう風に教わっているんだから何を言ってもしょうがない。日本は感情的にならず粛々と対応すればいいだけだと思うけど。直接危害がないかぎり放置プレイするとか、器物損壊されたら問答無用でただ訴えるとか。相手に構うと自分もそのレベルになってしまうからな(…って 自分もやってしまったが 苦笑)。

つまり目に見えている事例だけで判断するのではなく、その奥に潜むものを浮かび上がらせてこそ解決に繋がると思うのだ。そこにゴキブリがいるからには巣がある筈だ、ってことだな。

堀江氏は自分が生かせるジャンルを発見、その道を独自の理論で進んだ。実際見たわけではないけど、その姿はなんとなく想像できるなあ。具体的に書くと生々しいから止めとくけど(実際書いたんだけど消した)。一例は「玄倉川の岸辺」さんのコメント欄に書かせていただいた(mrcms名義)。けっこうネタ風に書いたけど、異性に対する感情も人間の重要な要素のひとつだからね。軽視できないでしょう。
異性感情とか堀江氏だったらそれプラス食欲とか。野望とか。ともかくモチベーションの元がある人は逆境にも強いのだ。虐待されててイジメまでされてたら歪んだ人生になってもおかしくないとは思うけど、彼はそれに反逆したのだね。

堀江氏は自分自身の人生に喧嘩を売って生きているのである。

2005年04月11日

DJリミックスと著作権(改悪版)

こちらの話題からの続きです。今回取り上げたいのは DJリミックス関連。


…という記事だったんだけど、ちょっと考えが変わったので内容を大幅に変更。
追記あり New!)。


オレにとって音楽製作に関する話は ファンタジーじゃなくリアル な話。
だから、言いたいことは 音で言う、と。


でもかなりムカついたのは事実なので、対象のブログリンクは残しておく。
ついでに捨てゼリフも置いときます。

まずは ∞最前線通信 の記事。
作者・芸術家の死

だいたい「伝統的で価値のある」アーティストの主張ってなんだよ?
んなもんあるかっつの。それこそ妄想。作ってる音が良ければクール(笑)だってだけだ。

>並列に並べられ、使われるのが嫌なのでしょう

…って?誰かそう言ったか?アホらしい。仮に言ったとしたらそいつも言葉足らずだが。

音ってさ。良い音かそうでないかしかないんだよ。これは主観じゃなくて事実としてあるだけ。DJだって良い音だから使ってるんじゃん。
そしてそれは創ったやつがいるわけ。道端に落っこちてる石じゃねえんだからさ。だから一応そう思ってろよって事。
遊びでやってる学生や現場のDJとか、アーティストが言うならまだ良いが。アンタなんかに言われる筋合いねえよ。新聞と一緒にしてんじゃねえよ。

この方は ここでもゴチャゴチャ言ってますが。

>重要なのは、ユーザーが楽しむことですから。

そのとおりだが、そうするためにはどうすればいいか考えてみるといい。少なくとも、自ら生み出した妄想上の権威に噛み付くことではないだろうな。


もうひとつのこちらは悪気はなさそうだけど、ちょっと不用意な内容で残念に思ったんだな。ああ、普通の人にはそう思われてるのかー、とちょっとがっかりしただけ。


でも、いまだにこんな前時代的な考え方をする大人がいるのかと思うと、悲しみ通り越して情けなくなる。自分達は新しい文化に理解があって進歩的、とか思ってるかもしれないが、その論理を展開してる本人達がアナクロ甚だしいわけで。
日本に一番足りなかったものは教育だったんだね。ホントこれに尽きる。


- 追記 -

しかしあれだな。オレも日頃 メディアがどうしたこうした 好き勝手言ってるが、いざ自分が言われるとハラワタ煮えくり返るもんだな。
これは実はオレも悩んだよ。ダブルスタンダードじゃん?ってさ。
しかし落ち着いて考えると、新聞記事や報道とかCDのライナーみたいなものと、録音された音は違うものだよな。やっぱり。レトリックに危うく騙されるところだった。

オレの言いたいことを素晴らしく的確に言ってくれた 記事(マジサンクス!!! maetatsu さん)


あとさ。
ログを勝手に書籍化する連中の話も是非読んで欲しい。
オレがすべてに否定的ではないことがわかってもらえると思う。


まあでもさ。明日はわが身だし。

気をつけたい。

自戒を込めて。



New!
- 新・追記 -
住友生命はCIサウンドロゴを著作物と考えていない。
Good Times Bad Times さんより)

これもすごい話やなぁ…。
一流会社がこれじゃ普通の人の考えだって推して知るべしってとこかもな。




訂正前の、リミックスとかDJ MIXに関する記事は下にこっそり残しておくので、興味がある方はどうぞ。

続きを読む
marcomusi at 23:31 | 東京 ☔ | Comment(5) | TrackBack(6) | メディア〜総合

2005年04月10日

著作権について

著作権について知りたいならこれ!

ブログ著作権ガイド [Blog Copyright Guide]
著作権って?



…ってな感じで、ちょっとバイアスな紹介をしてみました(笑)。最近始められたブログのようで項目がどんどん増えています。今までここで取り上げた、ネット上の文章の転載や構成のパクリ、ネット配信などについての項目もあり、参考にさせていただきました。

今までの記事を読んで頂いた方はオレの好みの傾向が分かると思うのですが、こうして情報だけを淡々と書いて頂けるのは、個人的には非常にありがたいです。ごちゃごちゃ見解が付けられていても、時には邪魔なだけだったりしますし。そういう意味では、こちらはスッキリして実に良いです。是非とも頑張っていただきたいです。
marcomusi at 07:59 | 東京 ☁ | Comment(5) | TrackBack(1) | メディア〜総合

2005年04月09日

ひらがな自治体4倍増

いつもネットの話題ばかりなのでたまには新聞で見つけた話題でも。とはいっても、これは4月2日でちょっと古い話題。それに新聞で発見してもスキャンするのもメンドいし、結局同じ記事と思われる 配信バージョン を探して貼るしかないのよね。うーむ。

さて本題だけど、これに関してはオレ等は反省しなくちゃいけないだろな、と常々思ってる。この手のニュースを聞くたびチクリと胸の奥が痛むね。

何故かというと、若者は知らないだろうけど80年代前後っていう時代がかつて日本にありまして。軽いことが良い事だ、みたいな風潮が世の中に蔓延したことがあったのよ。でさ、オレ等も誰かさんの尻馬に乗って「お役所は固い」だの「もっと日常にユーモアを」だの「ひらがなってかわいい」だの言ってたわけよ。その結果がこれかよ、って感じでさ。ものすごく罪悪感が今あるわけさ。

今振り返ると、だけどね。何でもっと日本の文化とか伝統とか考えなかったのだろう、と少し思うね。あと、硬軟の区別が付かない大人になってしまったことへの反省。儀式というものを軽んじてしまったことへの反省とかもある。

たとえば、これって自治体の名前だよ?別に固くていいでしょう。ってこと。あと、卒業式、開会式、結婚式とか、世の中にはいろんな式や儀式がある。それって気持ち上のけじめなんだよな。ちゃんとそこを通過しないから、いつまでもだらだら生きてしまうわけだよ。葬式なんかもそうだけど、式や儀式ってものは堅苦しくてしきたりや決まりもたくさんあって、しっかりやりとおすのは大変でしょ?その大変な作業をあえて行うことで、前後の気分を明確に分けてしまうという意味があるんだよな。その行事より前のことを忘れてしまう、というような効能だ。例えば葬式なら、式の大変さで悲しみを一時忘れさせるとか。

その80年代当時「軽チャー」とか言ってた人は、そもそもは古い時代を経験した人たちだからそういった伝統的なものも身体に染み込んだ上で、あえてそう言っていたと思う。しかし、それを受け売りしたオレ等は伝統なんてないからさ、そのまますっぽりただの軽い人間になってしまったんだと思う。若いときなんて馬鹿だからさ。まんま真に受けちゃったんだよね。

オヤジギャグが笑えないように、こういう受けを狙ったというか、少しでも軽い人に見られたい、みたいな発想ってのは、見ていて悲しくなると同時に「ああ、これはオレ等の世代が固くて重苦しいのは嫌だとか散々駄々をこねた結果なのだなあ…」とすごく反省したい気分になってしまうわけだね。

頭の良い人が馬鹿のフリをすることほど痛いことはない。これいつかメディア論で書こうと思ってたんだけど、頭の良い人は普通に頭が良い事やってて欲しいね。メインがしっかりしてこそサブの立つ瀬もあるわけで。
よろしくです>頭の良い人。

ということで、いま時代は昭和的なものが見直されたり、廃墟ブームだったりでディスカバリーな感じになってるけども、それすごく分かるわけです。元はオレ等やオレ等の上の世代が「くだらん」と捨ててきたものだもんな。ホント申し訳ないよ。


おまけ。
自治体もそうだけど、駅ビルの名前も何とかして欲しいぞ。
marcomusi at 11:22 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2005年04月07日

特集:私的複製はどこへいく?

まず興味深い記事をいくつか紹介しておきます。

http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0411/05/news055.html
http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0411/09/news007.html


実は先日おもしろい出来事があったのだ。

まずは以下のスレッドを見ていただきたい。
http://smoking186n2.hp.infoseek.co.jp/log2/1034218222.html
これは2ch系列の有名なスレッドのひとつで検索中に偶然発見したものだが、注目はここの47番。これは、他ならぬこのオレが作ってアップしたファイルなのである。ここで晒されているキース・エマーソンのアルバムは、長らく廃盤になっており入手不可能となっていたもの。是非聴きたい!というエマーソンファンの方の熱い思いに絆されて、CDを所持していたオレがMP3化しサーバーにアップ、その方の掲示板にリンクを貼ってあげたのだ。
日時を見ると、オレが作ってリンクを貼ってから1日半後に当該スレッドに貼られた模様。ブラウザクラッシャとかウィルスかもしらん、と怪しまれたのだね。誰だよ?貼ったの。なんか後味悪い。もちろん「聴きたい」といった本人がやったものではないだろうけどね。

というわけで、上の特集記事でも触れられてるけど、現在著作権問題ってのは転換期になってる。デジタル複製化が可能になったからだけど、それ以外にも例えば多数の出演者がいるドラマで権利関係が複雑でソフト化出来ないものとか、問題は「たっくさん」あるのだ。こういう非ソフト化の作品たちは一般じゃ見られないけど、裏ではp2pのファイル交換とかごく普通に行われていて、ちょっと苦労すれば見ることが可能な状況になっている。つまりコンテンツ提供側は、需要があるのにみすみすユーザを逃がしているともいえるのだ。

オレの作ってあげたエマーソンのアルバムも、そんな関係で廃盤になっていたもののひとつ。聞きたいのに聞けない、見たいのに見られない。これはユーザーだけの問題ではない。アーティスト側も一緒で、聞いてもらいたいのに聞かせられない、見てもらいたいのに見せられない、という問題を同様に抱えている。レコーディングしたものの、原版権等の問題で発売不可となっている音源も少なくない。著作物というのは一人で製作出来るものじゃなくて、リリースに至るまでに多数のスタッフの苦労や手間もかかっている。それをすべて無にするというのも、ちょっと悲しい事態ではある。

いずれにせよ、現在のところ膨大なコンテンツを握っているのはメディア側。こういうアンバランスな状況も、今後はネットが解決していくのか。過渡期の真っ只中にいる私達。ってことになるのか。

別な関連記事
http://www.asahi.com/tech/apc/040729.html


4月7日付けの新しい記事

http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0504/07/news046.html

ネットとテレビの融合――著作権問題、暫定解決の先にあるもの

徐々に状況は動きつつあるようですが、さて。


続きの記事があります。

DJリミックスと著作権
marcomusi at 22:43 | 東京 ☔ | Comment(4) | TrackBack(5) | メディア〜総合

2005年04月03日

ロキノンと2chと堀江氏と

…と、またゴチャゴチャしそうな題材を持ち出したものだ。恐らく支離滅裂になるだろうから最初に謝っておきましょう。

ライブドア堀江氏のメディア論を知ったとき、実はオレは「これって Rockin'On(ロキノン/ロッキング・オン)なのかもしれないな」とぼんやり考えていたのだ。ロック音楽を70年代から聴いていた人なら分かると思うが、ロキノンや渋谷陽一氏の登場というのは当時の洋楽界においてはなかなか衝撃的だった。偉そうな御託ばかり並べる音楽評論家業界(?)に、いきなり学生みたいなあんちゃんが登場し洋楽評論界をかき回し始めたのだ。
渋谷陽一氏のロック評論は、評論というよりはただの感想だった。洋楽評論には欠かせないデータ的な情報も専門的音楽分析もほとんどなかった。また彼自身、日頃「ジミーペイジは神」と公言していることからも分かるとおり、まったく公平さにも欠けていた。
しかし彼の評論は、他のどんな評論よりも共感できたのだ。「なるほどな、わかるわかる」という具合に。もちろん時には「違うよ。こいつはわかってねえな」と思うこともあった。しかしそれも今思うと広い意味での共感だったね。
ロキノンには渋谷氏だけでなく、ほかの様々な読者やリスナーの評論(感想)が掲載されていた。もちろんそれらは編集者によって取捨選択されて掲載されてはいたが、基本的には何でもありという印象だった。ロックというものを自分自身の言葉で好きに語っても良いんだ、とオレは目から鱗が落ちる気分だった。

当時のオレは自分が天才だと思っていた大ばか者だった、と以前書いた。この感情は、こと音楽に対して顕著で、特に洋楽のレコードに付属する日本語ライナーの類をオレはバカにしていた。しかしロキノン関係者や渋谷氏の評論の登場は、そんなオレの感情を刺激した。「こいつらはなかなかやるな…」と(当時)思わせたのだ。前述したように彼等の評論はデータ的にも音楽的にも十分ではなかった。ではどこが優れていたのかというと、リアルな鋭さじゃないかな、と今思う。鋭い人間が直感でリアルな個人的感想を語る。それが共感を呼んだのだろうなと。同時に、天才である筈の自分の考えは実は全然特別ではない、という現実も知ったのだ。
ご存知のとおりロキノンは、70年代ロックと運命を共にし滅亡して行った他の雑誌とは異なり、80年代も90年代も逞しく生き残った。その方法論はロック初心者に対して有効であり続けた、ということだろう。

月日は経ち20世紀最後の年。ロキノン時代に一度現実を知ったはずのオレであったが、経年加齢というのは残酷なものだな。すっかり「自分は大天才であると誤認識した大バカ」に戻っていたのだ。そんな時オレは2chという掲示板を知る。
そこで展開されている、どこの誰だか判らない無数の名無しどもの「鋭い感想」にオレはあっけに取られたのだ。一般人であるはずの奴らの、鋭さ洞察力は半端じゃなかった。しかもちゃんとデータ、音楽的分析も伴い、各アーティストスレッド等は無敵の評論と化していた。これもある意味、リアルタイムで進行していた「情報のオープンソース化」だったんだろうと思う。
この出来事で「生半可な情報では太刀打ちできない、半端な人間はプロとは言えない」と心底危機感を感じた。そうして、自分自身を見直しもう一度ゼロから再出発しよう、とオレは心掛けを新たにできたのだ。

さてライブドア(笑)。あいかわらず堀江氏のメディア論は理解されず、PJのヘタレ具合に失笑すら起きている昨今だが、笑ってる場合じゃないよ。今笑っているその相手はかつての自分の姿と言えるだろう。ライブドアを笑う人々(自分含む)は、かつての痛い自分の姿がダブリ、静観できないから笑うしかないのかもしれない。気をつけたい。

「渋谷陽一 vs 中村とうよう 誌上バトル」を今懐かしく思い出す。
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