2005年03月25日

ライブドアになったら出ません

続々と著名人が「ライブドアになったら出ないよーん!」と言ってるわけなんだけど、それを見てオレはなんとなく メモライズ事件 を思い出していたわけだ。
いきなりどこの馬の骨ともわからんやつに買収され「お前の店は今日からここだ」と言われた。その場所を見てみると、とてもじゃないが落ち着いて店出せるようなところじゃない。しかも欠陥、不具合だらけの店で、その対処に日々追われ散々な目にもあった。新しい大家に何度掛け合っても返事ももらえなかった。「勘弁してくれよ」とオレはそこに脱糞し去ってきた。
そういうオレからすると、それがプロとしての発言なのかどうかは置いといて、気持ちは痛いほどわかるんだな。確かに だよ笑。

前回書いた記事で「ニッポン放送はライブドアにナメられてたんだろう」と書いた。そういう意味で言うと、メモライズ管理人さんには申し訳ないけど、メモライズも激しくナメられていたってコトに尽きるでしょうな。あの扱いを見ると、はっきり言ってユーザはどうでも良かったとしか思えない。5万人の顧客をただ物として貰っただけなのだ。他の例えば「したらば」とかそんなのと違い、メモライズってのはユーザ同士の絶妙な繋がりがあった。濃くもなく薄くもなく。その辺の微妙さが実にありがたかった。なんとなく落ち着くなーという場所だったなとしみじみ思う。
メモライズ譲渡条件はどうだったのか、知る由もない。だが、後の元管理人さんのコメントやライブドア側の対応を見ると、丸投げだったんだろうなという気はする。ドナドナじゃないが、オレ等は子牛のようにただ売られてしまったのだ。会社なんてそんなもんだよな。だからこそ自分の足で立てねば、と今思うのであって、稀有な経験をさせてくれたメモライズとライブドアには感謝せねばなるまい(半分皮肉)。

さてと。話は長くなったがオレ等はインターネットでただ日記を書いていた素人だよな。同じような次元で「ライブドアになったらラジオに出ないよーん」なんてプロの人が言ってもいいのか。この意見はネット上でも実に多いですね。前回も書いたことだけど、その気持ちはわかるけどその訴え方ってどうなのよ?とは思うよ。とりあえず堀江氏的には、こういうのは最も嫌いだろうと思うし、世間的にもあまり有効だとは思えない。

しかしたとえばアーティストには、来たオファーを断る権利も当然あって、昔の羽賀研二じゃあるまいし、来た仕事をすべてなんでも請ける義務はない。自分のイメージやポリシーにそぐわない場所で無理にやる必要などないのだ。そういう意味から言うと「ワシはあの会社の映画には出んぞ」というのも全然ありでしょう。
のちのち堀江氏が大化けして超メディア王にでもなり「しまったー。あの時請けときゃよかった…」と後悔することもあるかもしれないけど、それは彼等個人個人のアーティストとしての責任ってだけで、別に第三者がどうこういう問題じゃない気がする。擁護する側は「お世話になった人が大変だ。むかし受けた恩は返さなきゃ。」って気持ちなだけで他意はそれほどないと思うな。
タモリ氏にしても今後の人生がそれほど残っているわけでもないし(失礼)、無理に嫌な仕事やる必要などないだろ、という判断でしょう。みんなただ個人のアーティストポリシーを述べているに過ぎないわけですな。

ただ、当事者である社員の発言もそのレベルってのは、やっぱり「どうなの?」だし、そんなことをみんなに言われてしまう会社ってどうなのよ?とも思う。なんだか「情けなー」な気分になります。しっかり亀渕さん!

…ってやっぱりつい言いたくなってしまうな。これ。笑

2005年03月24日

ニッポン放送はライブドア堀江氏にどう見られているか

高裁の新たな結果を受け、インタビューに答えたりサイトで声明を発表したりという形でニッポン放送関係者の方々のコメントが出ていましたが、一言で言うと「う〜ん…」。

まず堀江氏には、ニッポン放送に対するリスペクトがない、と言っている方が多いんですが。そら、そうでしょうよ。あったら最初にあんなことしてないでしょうし。ニッポン放送の番組を堀江さんは少しでも聴いてくれたのか?とか。うーん。多分興味ないと思うけど。
つまりバカにしてたんですよね。逆に言うとニッポン放送がなめられてたんでしょう。ただ、働いている方々がみんな居なくなる、という動きは堀江氏も想定してなかったかもしれない。ただのハコ買ってどうする?大変ですよースタジオは。なんならオレが手伝いましょうか?(笑)

今までいろいろ堀江貴文氏理論について書いてきました(オレの考えは ここここ でまとめてあります)。こういう考え方の人の特徴のひとつに、年上の人を年上であるという理由だけではリスペクトしない、というのがあります。当たり前だと思うんだけど、なかなか理解してもらえない考え方ですね。
たとえばオレなんか、音楽はほとんど洋楽ばかり聴いて育ってきました。テレビも洋物。映画もそうですね。だからやはり国内のそういうもの全般は、洋物の二番煎じでつまらない、とバカにしていました。そう思って長年生きてきたのに、急にその世界と関わりを持ったからといって、手のひらを返したようにリスペクトなんかできません。なので、なるべくその辺は触れないように、上手く避けながら生きていくしかないんですな。そのうち世代も入れ替わって自分たちの時代が来るし。

ところがこれ、実際に現場の人たちと触れ合うとそんなこと言えなくなってしまうのです。なぜなら、そこに居る人個人個人はみんな良い方々ばかりだからです。メディア、というと何か得体の知れない怪物みたいでウザイ感じがするけれども、開けてみればみんな人ですからね。例えば普段、警察はウザイとか思っていても、実際に警官の親友が自分に居たらどうでしょうか。警察ウザイ、とか気軽に言えなくなるんじゃないかと思います。選挙でもそうですね。普段自民党ウザイ、とか思っていたが大学時代の親友が立候補したので応援することになってしまった、とか。ネットでもそうですね。それまで緊張感のある議論が続いてきたのに、オフラインで逢ってしまって、以降馴れ合いになってしまった、とか。

今回、あちこちから出てきたニッポン放送関連の方々のコメントは、その辺の感情を上手く刺激するようにできてるんですな。だからオレは見てすごく姑息に感じましたよ。普段はそういう面を出していないくせに、こういうときだけ使うのか、と。あなたたちは 空腹のときだけ甘えて寄って来るネコ なのか、と。亀渕さんからしてそうですね。あの訴える姿はどこか胸を打ちますよ。実際あの方が上司だったとしたらオレだって応援してしまうかもしれません。そういうことからして既にメディアによるフェイクなのですよ。自身がメディアとして有利な情報をフェイクして流している。
こういうものが最も堀江氏の嫌うものでしょうね。こんなことをする放送局だ、リスペクトなどできるわけがない、って感じでしょうね。

ところで、興味が無く聞いてもいないのにバカにしたりなめたりできるのか。

テレビ等でも報じられていたのでご存知の方も居るでしょうが、実は以前の株主総会でこんなことがあったようですホンゴー侍さんより)。
オレは株のことなど素人以下の人間ですが、それでもこの議事の進行はひどいだろ、と思いますね。大人が問答無用で子供を追い払うようなやり方そのものです。ニッポン放送(亀渕氏)からすると、文句があるならウチの株買うなよ、ってとこでしょうかね。どこかの掲示板の管理人も「文句があるなら書くな」と言ったという噂がありますが、まあそれに近いのかもしれません。ともかく、これで相手を怒らせてしまったというか、その気にさせてしまったんでしょうね。

そうでなくても、ニッポン放送の電波は都内でさえ届きにくい、とか目に見える形での情けなさもあります。確かにおもしろい番組は多かった。しかし地方はネットしてないとか、都内でも聞きづらいとか、リスナーのことを本当に考えているんだろうか?と思うことも無いとは言えなかった。実際オレなんか地方に居てニッポン放送を聴けない時期が長かったし(他のラジオ局はネットされてた)、東京に来てもニッポン放送だけ入りは悪いし、弱小ラジオ局だと本当に思ってましたよ。
それでも、優秀なスタッフの方々やニッポン放送を愛してくれる人々に支えられてなんとか続けてこれたのだな、と今ならわかります。しかし現状を見ると、それに甘えるあまり努力を怠ったのでは?と訝るのも、ある意味当然じゃないかとも思えるのです。

みんな言ってますけど、結果はどうであれ、いろいろ考え直す良い機会にしてもらいたいな、と。心から思いますよ。


-追記-
心の所有者はみなさんです。by 堀江貴文

…と(この応答の意訳)。
なかなかいいフレーズを考えましたね。誰かの入れ知恵があったのか。いずれにせよ堀江氏理論が一般にも理解しやすくなったでしょう。後出しっていうのもなかなか知能的。その気持ち、オレはよくわかりますよ。


-追記2-
更に後出しな人登場。ソフトバンクかー。
堀江氏みたいな行動をしている人の場合、どこにも拠り所がないから、自身がよほどしっかり完璧を期してなきゃいけない。じゃないと今回みたいにいきなり持ってかれちゃうこともある。その辺がオレがここ10年で勉強した部分。その辺はこの一連の話をまとめるときにでも改めて書きたい。
まぁ今回の場合はまだ何かウラワザがあるのかもしれないが。ともかく堀江氏にもがんばって欲しいですな。

2005年03月20日

メディアを刺激するネット

以前ご紹介した、レッド・ツェッペリン・ライブツアー研究サイト Led Zeppelin / Burn That Cadle 管理人の友人が「おもしろい本があるぞ」と、また こんなもの を教えてくれました。早速立ち読みしてきたんですが、レビューはそこそこでしたけど、写真など資料系の掲載が多く、総合的にはまあまあボリュームのある内容でしたね。ネットでは Burn That Cadle のパクリじゃないか、なんて言ってる人も居ましたが、そのような感じも確かに散見されましたけども、こういう動きが出てきたこと自体は良いことなんじゃないかと思います。友人も特に怒ってはいないようでした。

その前回の記事でも書いたことですが、このようにネット上で濃い情報を流す人が増え、リスナーや消費者のレベルを上げてゆき、結果的にメディア自体のレベルを上げてゆく、という理想が、ある程度現実になってきているな、という実感です。前回「パクリ?本」第一弾として例に出した S氏の書籍は自費出版でしたし、影響度もそれほどではなかったように思いますが、メジャー出版社が出すとなるとまた重みも変わってきますね。今回紹介する本ではライターさんも複数いらっしゃるようです。多少なりともネット上のサイトが刺激となって、ライターさんや出版社を奮起させたのなら、存在した意味もあったということではないでしょうか。
友人のサイトと今回の書籍との間で、考察が異なっている点もいくつかありました(というより全体的に対抗する意見に多くの字数を費やしているように見えるのは気のせい?笑)。たくさんの見方があってそれぞれの見解がある。消費者はたくさんの情報の中から自分が正しいと思ったものを選べば良いわけです。情報のオープンソース化っていうか。とっても健全なことだと思うんですね。ですので今後もどんどん、いろんな人がいろんなことを言うべきだろう、と。

ただ、これも前回書いたことですが、書籍化によって情報が有料になり受け手を限定してしまう、という問題も現実化しました。例えば今回の書籍。3,150円ですよ。しかもたった2年分の考察で、です。サイトのほうは9年分で無償ですね。これはけっこう厳しいんじゃないかなあ。
それ以外にも、前回ご紹介したバイブル「コンサート・ファイル」もありますし、その世界では有名な竹本氏の超分析本Boot Poisoning」など強力なライバル誌の存在もあります。これらを超えるのは非常に難しいといえるでしょう。今回の本も今後 2、3…と続編が出るんだろうけど、そこまでして揃えていく人が果たしているかどうか…。その価値がある、と判断した人だけ買うことになるでしょうね。少なくとも万人に薦められるものではないような気がする。
あとはそれに関連してですが、商業誌ということで営業上のしがらみもやはり多少は発生すると思うのですよ。フェアでフラットな分析を最後まで続けていけるのか。その辺も生温く見守って行きたいところです。
しかし、まずは突破ですよ。これからがんばっていただければそれで良いんだと思う。良い形になっていくことを願っていますが、さて。

関連記事


-追記-
また2chスレッド本が出版されるようです(電車男の時刻表さんより)。いい意味での刺激は活性化にも良いと思いますが、安易なコピペで、しかも企画も二番煎じっていうのはなあ。そう考えると、まだ音楽関連出版界のほうがクリエイティヴィティがあるだけマシ、ってことなんでしょうかね。

2005年03月19日

ブックオフ・スタイルと堀江貴文氏理論

巷ではライブドアとO報道を結びつけたりして大変な目にあっている(笑)人がいるようなので、オレの意見はあくまで個人的感想だから、と一応断って(逃げて)おきます。

オレの考え方と堀江氏のメディア理論に似ている部分が多いと書きました(こことかここ)。前回はちょっとわかりにくい「作曲家と歌手」との関連で語り、全員を引かせてしまいましたが(笑)、今回は「古本屋」で挑戦してみましょう。

実はオレは、むかし古本屋でバイトしていたことがあります。ほぼ1年間やったのですが、今振り返っても本当にひどい仕事だった、とつくづく思います。店主は典型的な頑固オヤジで店内を仕切っていました。頑固なことは別に構わないのですが(オレも頑固だと思うし)、頑固で居る為に不可欠な、確固たる信念とか尊敬できるような人間性とかがそういったものが感じられなかったんですね。偉そうに文学論や古書論を語っていながら、売れ線の悪劣本を値を吊り上げて売ってたり、学生をバカにしていたり、特定のバイト店員を優遇したり。特定のジャンルの相場をどんどん吊り上げた時の自慢話をしていたこともあります。個人経営だから良いっちゃあ良いんですけど、ずいぶん言動不一致な人だなあと感心してみてましたね。

これだけならオレ個人の感想に過ぎないのですが、店にかかってくる電話が、それはそれはひどかったのですよ。第三者の、その人に対する対応を見ればおのずとその人本人がどういう人であるか見えてきますよね。
オレは本当にいろんなバイトで、たくさんの電話応対をしてきましたが、あとにも先にも、こんな態度の電話ばかりかかってくる店は他にありませんでした。かけてくる人かけてくる人、ほぼ全員がとてつもなく横柄で傲慢で、オレは一日中むかついてましたね。古書業界というのはそもそもそういう業界なのかもしれませんが、正直、社会人としてどうかと思いましたよ。

また話が長くなってしまいました。

学生の方々なら、貧窮時代に古本屋にお世話になった経験が多少なりともあると思います。お金に窮して部屋中の本をかき集め古本屋に売りに行き、僅かな生活の足しにする。かつての古本屋はたいへんでした。店主の顔色を伺い、なるべく好印象を心がけ、なんとか1円でも高い査定をしてもらう。なんとか取り入って媚を売ったり。社会の縮図だったんですね。
まぁそれはそれで味があったものですが、こいつ(オヤジ)が果たしてまともな査定とかできるのか?足元見てんじゃねえのか?あとから高額で転売するんじゃねえか??なんて場合も多かったです。

そこでブクオフの登場ですね。今までオレの記事を読んでいただいた方ならお分かりだと思います。すべてをフラットな価値観で提供する。しかも選択肢も膨大。素晴らしいシステムだな、と思ったわけです。

ここでもオレは言ってみたい。価値があるのは古本そのものではなく書かれている情報である、と。もちろん有名作家による歴史的初版とか、そういった史料的なものはちょっと違いますが、それでもそれに価値を与えているのは、作家の書いたコンテンツですね。

オレはアナログ時代を経験した人間ですから、例えばレコードのジャケットとか、本の装丁とか、そういったものの価値はじゅうぶん知っています。しかし、内容あってこそのジャケットであるし装丁である、と。少なくとも内容が(買う側にとって)そのレベルでない限り、外見だけ荘厳な価値があってもしょうがないだろう、とも思う。

ご存知のように現在はデジタルコンテンツが増えてきて、そういった「外見」の意味合いはだんだん薄れてきてると思います。もちろんあっても良いとおもいますし、美しいアートとしても存在意味はありますが、昔のように装丁のみに異常な付加価値をつけることは、今や時代にそぐわなくなっているだろう、というのが最近思うことです。
DLして曲だけ聞きたい、動画だけみたい、箱は要らんという人はたくさん居るでしょうね。

サイトにアップしてあるテキストに比較して、本の文章や文字は読みやすいという特徴があります。ですから、書籍そのものはなくなることはないとオレも思いますが、装丁の不必要な重みとか、無用な付加価値みたいなものはだんだん意味がなくなってくるんだろうなあ、と思います。
と同時に、そこに不要な価値を付加するようなメディア、つまり古本屋とかお宝中古レコード屋みたいな商売も淘汰されていくだろう、と。むしろそうなって欲しいと。

まぁ言ってみたりするわけですね。ていうか、既にもうなっているけどね。


参考カテゴリー
メディア〜ネット・書籍化関連

2005年03月09日

右往左往

最近ネット上でウヨサヨが盛り上がっていて、オレも個人的にいろいろ考える機会を得ました。ちょうど My ラヴリィの R30 さんが取り上げてらっしゃるので、ちょっと書いてみます。

オレが生徒として学校で過ごしてきた期間は、だいたい70年代。当時小中学生として学校にいた人なら、どんな教育が現場でされてきたか、受けた当事者として感覚は判ってもらえると思います。あんまり決めつけとかはしたくないのですが、一言で表すと「サヨ寄り」だったと言えるでしょうね。もちろん教師一人一人によって教え方も考えも違うし、物事の捉え方も変わってくるとは思うけど、全体的に流れていたのは(今振り返ると、だけど)「サヨ風」だったと思いますね(具体的に書けないヘタレでスマソ)。もちろん、購読を推奨されていたのもあの新聞です。

社会に出て世の中の実際を知るにつけ、自分の受けたサヨ風味教育が、実は的外れな教育だったのではないか、と疑問を持つようになりました。80年代後半になって世の中が変わってくると、その意識はますます強くなってきましたね。

2chをはじめて見たとき、あまりにもウヨ的な発言が多いことにかなり驚きました。オレの周りではこのような発言をする人があまりいなかったので、その比率としての多さに驚いたのです。
ですが嫌悪感は抱きませんでした。そうなのだ、これが長年のサヨ風味教育に対するバランスなのだ、と、ある意味感動したんですね。と同時に、とてつもなく救われた気がしたのです。

今思うと、イイ子ちゃんでいることがとっても負担だったんだと思います。当時のサヨ風味教育では間違ったことは許されない、みたいな空気がありました。もちろん良い世の中にはしたいですけど、だからと言って良くない物を全て否定してしまうような考えは重すぎるのです。

堀江氏理論的な考えになったのも、80年代にこの違和感に気づくようになって以降だったと思います。メディアとかバイアスがかかったものを通して物を見るとろくなことにはならん、と強く思ったんですね。
結果的にサヨ的な考えに落ち着いたとしても良い、と。ただ、それを決めるのはオレである。どっかの誰かの斜め記事による扇動じゃないぞ、と。そんなことを思ったんですね。

そういった両極端を経て、今はずいぶん冷静に物事を考えられるようになった気がする。今でも必ず一旦、ウヨ的考えを経由してから結論に持ってくることが多いですね。それは、教育の成果(笑)で、自分の思想が若干サヨ風味であることを自分自身で知っているからです。

そういう意味では当ブログの存在なども、Dirtyなことで自分自身としてのバランスを保っていると言えると思います。
裏と表、陰と陽、美と汚とか。物事には全て両面があって。それでこそ健全なのだ、と。まぁ思ったりしているわけですね。


追記。
以前もこんなこと書いてましたね。

2005年03月07日

悪あが記さん続報と書籍化について

3者連名のコメントが出てます(こちらも)。

この話については前回も書いたように、彼女達がやっていることには特に何もありません。ただ、ログやネットの書き込みの書籍化問題に関連して、連絡なしとかそういうことは気をつけて欲しいよ、ということですね。

書籍化する、という事は、ネット上でただログを読むのとは違って ある種のオーラを発する、みたいな意見があったようです(hitoyoni142さん 経由「創」より)。それはそれで同意なんですが、だからありがたく思え、という考えがもしメディア側にあったとしたら勘弁して欲しいな、と思っているわけです。もちろんメディアの方々全員がそんなことを思ってるとは考えていません。しかし、そういう空気を感じる事例も実際あるわけですから。杞憂であることを願いますけれども。

また、ここでよく取り上げる音楽関連情報について言えば、そんな付加価値とかオーラは不要です。オーラはアーティスト本人や作品にあるのであって、それについて書いた情報には無いでしょ。ここ辺がはからずも堀江氏理論に近くなってしまうのですが。アーティストの情報や分析に関しては、お宝からゴミ記事から、すべてをひっくるめて流して欲しい。それをどう見るのかはリスナーです。そのアーティストや音楽が好きだからこそ情報を知りたいわけですから、誰かのバイアスがかかったイメージは不要だと思います。

一応断っておきますけども、これは現役アーティストについてはまた別ですね。基本的には一緒なんですが、現役アーティストの場合、そのプレスリリースやプロモーション、イメージ戦略等、全て含めて商品となっています。そういったリリース情報の整理は当たり前の仕事ですし、これなしではアーティスト活動などありえないでしょう。
オレが言っているのは、あくまで現在コントロールが難しくなっている、ヴィンテージアーティストとか、既に存在していないグループや海外アーティストのことなのだ、と。そういうことです。

ということで。補足を含め、ご理解いただければ。

2005年03月02日

中川早紀さんが大変なことになっていたらしい

最近、堀江氏とLivedoorの話ばかり書いてたので、ちょっと息抜き。

全然知らなかったんだけど、さきっちょさんの周りでいろいろあったんですね(ダメ東大女子の備忘録さんビタミンXさん。とっても詳しいです)。オレももちろんブログの企画の事は知っていましたが、「おもしろいことやってるなー」と微笑ましく見ていただけなので、最近の動きを知らなかった。なんかいろいろあったみたいですけど、でも、さきっちょさんテレビでてる人じゃん!企画も何もないと思うんだけど。こっちもある程度判った上で、みんな楽しんでたんじゃないんでしょうか。よくわかりません。

さきっちょさんのレポートっておもしろいんですよね。ウチは静岡のテレビは見られないのですが、ある人の関係で彼女や千里さんの出演する番組は時々見させてもらってるんです。あのブログの企画見て、彼氏がいないって?嘘じゃない?とか一瞬思いますけど、テレビでの弾けっぷりレポート見ているとありえるかも?と思えて、なかなか楽しめたです。

で、あいかわらずの書籍化問題。なんと連絡なしプレスリリースだった、と。
追記そうではなかった!という訂正がご本人様から入りました。でも、どっちにしろさきっちょさんは知らなかったのでは?
それにしても fko116212さん からのTBが 10個というスパム状態。だからライブドア・ブログなんか辞めろと(略

追記の追記
3者連名のコメントが出てます。




こういうのって、相手を信じよう信じよう、と思っても、次から良くなるだろう、きっと次から…、と思っても、ことごとく裏切られるんですよね。

オレも本当にいろいろありましたよ。全てに共通しているのは「本人には悪気が無い」ってコトでした。自分がやっていることがマズイことかも?という意識そのものがまったく無いのですよ。まあ今回は「大学生のバイトの子」みたいな感じだから、なんとか許す気持ちにもなれたのでしょうけど、ちゃんと業界でしっかり生きてきた人たちも、同じようなことを平気ですることがありますからね。アンタわざと?と思うことも。

このときに得た教訓は、まず自分がしっかりしてなきゃ絶対にダメ!でした。相手がその業界のプロだと思っても、絶対に任せたりせず目を離さないこと。人間は間違ったり勘違いしたりする生き物なのですね。ハイエナみたいに相手がコケるのを待っているのではなく、こっちも積極的にどんどんモノを言うことが重要なんですね。

誰も信用できない、という絶望的な話ではなく、自分のコトは自分にしか判らないのだから、誰かを当てにして生きていてはいけない、っちゅう話です。


ログの書籍化の話もあいかわらずのようです。ヒトヨニさん頑張ってほしいですけど、出版社側は「あいつ等メンドくせえなー」と思ってるだけなんだろうなあ。反「既製社会」派の人々が堀江氏を応援したくなる気持ちもわかるよな。


追記
さきっちょさんの情報はおなじみR30::マーケティング社会時評さんからのものです。いつも感謝いたしております。それにしてもこの方は守備範囲が広い、というか、たまたまオレと趣味が被っている、というか。目が離せないですね。これからも是非頑張ってほしいです。
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