2005年01月28日

サイトの書籍化の話

解析データを見ると"Bootleg"で検索して来訪される方が時々居らっしゃいます。サイトのほうはまんざら無関係でもありませんが、ブログのほうでその話題を出すことが今までなかったので、わざわざ検索していらっしゃった方に対しては、申し訳ないなぁと日頃思っていました。
というわけで本日ついに取り上げることにします。

まずはこのサイトをご覧ください。→ Led Zeppelin / Burn That Candle
このサイトはオレの友人が運営しているサイトで(注釈下)、そこそこアクセス数もあるようです。一応判らない方のために解説をしておきますが、Bootlegとは一般的には海賊盤(ブート)と呼ばれてるもので、アーティストのライブを会場で隠し録りしたものや、関係者から流れた未発売のデモテープなどを違法にCDとして発売しているものです。語源は禁酒法時代のアメリカの密造酒から来ています。
上記のサイトで取り上げられている「レッド・ツェッペリン」はブート業界でも1〜2を争うドル箱市場で、発売されているアイテム数も半端ではありません。当然、素人の消費者はどれを買っていいのか、聴いていいのか皆目判らない。そこで、その内容を解説してやろうじゃないか、というのがサイト開設の発端だったようです。
Zeppelinのブートは数も多いが、そのコレクター、マニアの数も半端ではありません。当然ブート解説サイトもネット上に多数あります。友人はそれらのサイトと差別化を図るため、CDごとの解説ではなく、ライブの日程どおりコンサートの内容解説にすることにしたんですね。
どのブートがオススメなのか迷う人にとっては、これはあまり役立ちませんが、どの日の演奏が良いの?という視点でブートを選ぶ人には助かるでしょう。ストーンズやZepは、音はいいけど演奏がひどいのとかザラですからね。

さて、やっと本題なんですが(笑)、友人がこのサイトを作ってから2年後の2004年、このサイトのアイディアをパクったと思われる書籍が発売されたのです。S氏著「Led Zeppelin Bootleg File」で、友人のサイトと同様、ブートをライブ日程順に並べコンサートの内容や感想を書いているものでした。
Zeppelinのライブ解説本というと、マニアにとっての超有名バイブル「コンサートファイル」があります。S氏の本は、その「コンサートファイル」と友人のサイトを折衷したような内容ということでした。
友人から話を聞き、オレも早速立ち読みしてみたのですが、書籍のタイトルこそ「コンサートファイル」→「Bootleg File」と折衷っぽかったものの、内容は友人のサイトのアイディアそのものって感じでしたね。もちろん記事の内容はS氏本人の言葉、目線で書かれていますが、全体から受ける印象は非常に似ていました。
笑ったのは、友人のサイトで使われている語句まで流用されていたことです。サイトを立ち上げる際に友人といろいろ話したので覚えているのですが、出来るだけ一般的に使われている言葉ではなくオリジナルな言葉を使用しようとか、マニア受けやウチワ受けでも構わないから、ニュアンスが伝わる表現を心がけようとか、ポリシーを語っていましたね。そうして誕生した友人独特な言い回しが、S氏の著作でもそのまま流用されていたのです。オレは立ち読みしながら笑いをこらえるのに必死でした。

さて、ネットに文章を公開する以上、その言葉が全世界に拡散してしまうのは覚悟のうえだし、むしろそうして広がってゆくことを望んでいる部分もある、と先日書いたわけですが(しつこい)、この場合は何に当たるのだろうか、と思いましたね。無関係の第三者による書籍化ですが、前述したように、文章や内容がまんまパクられたわけではないんですね。アイディアを「参考にされた」のです。今回は出来上がったものの完成度が一笑に付すようなレベルだったので看過できたように思いますが、もしそうでなかったら問題は深刻だったかもしれません。また今回のように、対象が具体的な文章などではなく「アイディア」だった場合どうなのか、ということも問題になると思います。


長くなりますが、もうひとつ書いておきます。この件で友人に確認したところ「ネット上に広く公開したのだから流用されても構わない、ただしネット上ならば」という答えが返ってきました。
ここで、昨日紹介した西村博之氏の見解を取り上げたいと思います。

情報は制限なく発信できて、受け取れるべきだと思ってます。
だから、そういう制限を加える気はまったくありません。

メディアにラインを引くことに意味があるとは思えないです。

という部分ですね。これはオレも大筋同意な感じですし、こと2ちゃんねるの場合はひろゆき氏が自分の考えるとおりそうすればいいと思いますが、個人レベルでは考えはいろいろあると思いますね。例えば友人のサイトの件だと、流用はネット上に限って欲しい、と述べていますね。これはオレも理解できる話なのですが、つまりネット上で無償で読めるものが、書籍化されると有料となってしまうってことです。
Zeppelinに限らずビートルズにせよなんにせよ、外国アーティストの研究本というのは概して非常に高価なのです。そのくせ内容が充実しているかといえば、必ずしもそうともいえないものも多々あります。
研究本が高価な価格設定のおかげで多くの人に読まれているとはいえない状況である、と。その結果、ほとんどの素人リスナーはその情報を受け取ることが出来ず、そこに壁が立ち塞がっている状況である、と。その情報が、ネット上で無償で受け取ることが出来るようになれば、多くの若年リスナー、素人リスナーの元にも濃い情報が届くようになり、結果的にリスナーの底辺が広がる、と。こう考えられると思います。
これはあくまで特殊な考えかもしれませんが、オレが自分のサイトでやっていることも同様なんですね。リスナーの基本レベルを上げて結果的にメディアのレベル向上を促す、というのがサイトをやっている理由のひとつなのです。

そういう意味では、ネットの立場から見ると書籍化によってメディアが広がるともいえますが、書籍化が情報を限定しているとも言えるような気がします。前述のひろゆき氏の見解も、毒男板に限って言えば当てはまるかもしれないですが、ネットのログの書籍化に反対する人の意見のなかには、書籍化による情報の限定、或いは有料化によって生まれる付加価値を嫌うものもある、と改めて言っておきたいと思います。


この辺は Blogの著作権問題 なども含めて、いろいろ意見があるかもしれませんが、とりあえず本日はこういうことにしておきます。


この記事の 続編 はこちらです。


- 追記 -
2chログの書籍化について がおもしろい展開になって来ています(Part2 になりました)。法的な問題でも踏み込まれてきていますね。
オレの個人的意見は先に記したとおりですが、あくまで「気分」の問題で強制力はありません。しかし法律的にも意味を持つとなるとまた変わってきます。みんなで声を出せば状況は動いてくるかもしれません。

さて。続きを読む

2005年01月27日

ログの書籍化の話

時間が出来たのでじっくり読んでみました。ログの書籍化に関する西村博之氏の見解です。
ネットに文章を公開する以上、その言葉が全世界に拡散してしまうのは覚悟のうえだし、むしろそうして広がってゆくことを望んでいる部分もある、と先日書いたわけですが、ひろゆき氏もほとんど同様のことを言っていますね。

現在2ちゃんねるでは書き込みの際に以下のような確認の文章が出ることになっています。

投稿確認
・投稿者は、投稿に関して発生する責任が全て投稿者に帰すことを承諾します。
・投稿者は、話題と無関係な広告の投稿に関して、相応の費用を支払うことを承諾します
・投稿者は、投稿された内容について、掲示板運営者がコピー、保存、引用、転載等の利用することを許諾します。また、掲示板運営者に対して、著作者人格権を一切行使しないことを承諾します。
・投稿者は、掲示板運営者が指定する第三者に対して、著作物の利用許諾を一切しないことを承諾します。


著作者人格権に関しては 絵文録ことのは さんのブログ記事が、判りやすく非常に参考になりますので是非読んでみてください。

以上を踏まえますと、西村博之氏もアスキーさんもまったく無問題ってことになりますね。彼等の主張どおりです。


さて投稿する側の気分はどうか、ってことで自分のことを例にとって考えてみました。
かつてオレも、引きこもり時代(笑)に 2ch にスレッドを立てたことがあります。

たとえば、これ→ ファンタ・ゴールデンアップルの存在

このスレッドの1が実はオレなわけなんですが(シリーズ化したPart2以降の事は忘れた)。
おもしろかったなーこれは。結果的に真相がほぼ解明され、幻といわれたファンタ・ゴールデングレープ復刻までされました。いろんな方が情報収集に奔走し、新たな事実も判明したし、同世代と思われる連中の興味深い体験談も多数読めたし、満足度はほぼ100%だったといっても良いでしょう。

もし仮に(ま、ありえないけど)このスレッドが書籍化されると決まったらどうだろうか、考えてみました。う〜ん。悩むところですねー。嬉しいようなそうでもないような。やっぱり、勝手にされたらあんまり良い気分はしないかもしれないけど、正直わからない。
今回「このスレッドの1は自分である」とカミングアウトしてしまっていますが、そうでなければ、書籍化に当たっては西村博之氏に話が行くわけで、その結果オレに無断で書籍化されようとも、なんら問題はないのですね。そして、出版されてしまった後にでも「あれの1は(1に限らず)オレだよ〜ん」とか言えばいいだけの話、って気もします。スレッドを立てた目的は既に達せられているわけですしね。
しかし、名乗り出ることで権利や利益が発生してしまうのなら、名乗り出たもの勝ちになってしまうわけで、毒男板のように名乗り出られないと思われる人が多数な場合、また新たな問題を生んでしまうような気がしますね。

では、自分が「まとめサイト」を作り、それが出版されたらどうか。これは自分だったら罪の意識を感じるでしょうね。スレッドは自分(1)の所有物ではないし、やっぱりオレ自身の気分としても、編集したってだけで自分の著作物呼ばわりするのはオコガマシイというのが根底にあります。編集者としての報酬が発生するのなら構いませんがね。
この辺は、音楽家とディレクター、作家と編集者とか、それぞれの立場で見解は異なるでしょう。オレ個人の考えはそうである、ということです。

結局、結論は(今回は)出ないですね。
いずれにせよ、2ちゃんねるは西村博之氏のものであり、書き込む人々(住人)は利用させてもらっている側だという、当たり前だが普段あまり意識していない事実に改めて気付かされた、というところでしょうか。
メディア側も、つまんない事で突っ込まれないよう、準備段階の手間や努力を惜まずに賢く立ち回って欲しいものです。


最後にひとつ。
ログを読ませてもらって感じたのですが、西村氏にしろ彼に賛成する人々にしろ、正論を言い過ぎているという点が非常に気になりましたね。もちろん先に書いたように、彼等は正しいのです。以前も書きましたが、彼等はまるで10年前の自分のようでもあります。だからこそ判ってしまうというか、見えてしまうというか、正論に頼りすぎているとやがて痛い目を見るときが来る、ということですね。若いときはああいうこと言うの楽しいですから、気付かないでしょうけどね。もちろん痛い目を見ないで済む人も居ます。そうなることを祈りますが。静かに見守っていましょう(笑)。


もし余力があれば、次回はネットからのパクリについて書いてみたいと思います。これは身近に被害者(?)が居たので。書けたら突っ込んで書きたいと思います。

2005年01月16日

注目ブログ

トラックバックさせて頂いたりしていながらも、こちらからは未リンク状態だったブログを紹介させていただくコーナー。

まずはカップラーメン関連

めんぞーさんの「かっぷめんblog」。
毎日一食カップめんを食し、その評価や採点を行っているブログです。まるトク叉焼麺の記事を書いた後、当カップめんの世評を知りたくて検索した際に発見したもの。
毎日カップめんを食べてその感想を書く、というアイディアは今までも見たことがあります。しかし、めんぞーさんのブログは現在進行形だという点で目を惹きました。あとは、述べている感想や評価が、アツクもなく冷めてもなく適度な温度で客観的だというのがオレ的に良い感じです。皆さん既に言っておられますが、身体を壊さぬ程度に今後も是非頑張って欲しいと思います。
個人的こだわりとしては「お湯の温度を知りたいぞ」笑。


さて次はお笑い系

ナンシー関追悼ブログ 『i−テレビ』休止中
この方のブログをお笑い系と分類するのは申し訳ない話で、たまたまトラックバックさせて頂いた記事が「波田陽区」関連だっただけなのですが、お笑い全般に関する見解がなかなかおもしろかったので興味を惹きました。このようなウォッチャー的エッセイの執筆者は、メディア上では年齢の行った人が多くて、どうしても説教的視点になりがちなんですね。隠居が近い老人の愚痴。ですが、このcilenさんの場合はリアルタイムな視点で書かれています。自分自身も参加している、というスタンスが見える。その辺が威勢よく見える部分であり、楽しめる理由であるのじゃないかな、と思います。

オレはお笑い好きです。鈴本演芸場や新宿末広亭には時々足を運びます。しかし日々新しい笑いを追いかけたり、逐一新ネタをチェックしたり、というような新しい笑いのマメなウォッチングはできないですね。下手すれば、お笑い全般をチェックするのは正月の寄席中継のみ、なんていう年さえあります。最近はブームのおかげで番組も増えたからチェックしやすくはなったが、それでも新お笑いマニアの人に比べると、そのチェック度は素人以下でしょうね(そんな俯瞰で眺めているオレでも、一時期の海砂利と初期の長井秀和は本当におもしろかった)。
cilenさんのブログは、その辺のオレの不得意分野も綺麗にまとめられていて、参考になったりするわけです。


というわけで。
ブロガー的論客の新星(?)という感じのお二方をご紹介させていただきました。
marcomusi at 13:30 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | ネット関連

2005年01月14日

カテゴリに関して

ちょっとゴチャゴチャしてきたのでメディア系カテゴリを整理しました。

ネット・電車男関連
ビートルズ等の音楽関連
テレビなど放送関連

以上です。
いろいろボヤキになっていますが基本的には全てエールのつもりです。

時代をより良く生まれ変わらせるため、頑張って欲しい、と。
旧時代の終わりが来たときにうろたえることのないよう、しっかりして欲しい、と。

そういうことですので。みんな頑張りましょう。
marcomusi at 08:35 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | お知らせ

2005年01月13日

「毒男」出版に関してのコメント

株式会社アスキーさんからコメントが出たようです。
単行本『毒男』についての番組報道について

この情報は海岸通りのアイスクリン屋台さんのブログからです。

これで祭りが収束するのかどうかわからないけど、とりあえず動きがあったというのは良いことではある。
しかし、最近はみんな、やってしまって後から謝るのな。後から謝ってなんでもコトが済むのなら、やってしまった者勝ちだろうよ。謝ったところで、謝る前に出た情報は消えることはない。EZTVは既に放送され、数え切れないほどの人間が見てしまっている。

ここで提案だが、各メディアはネットウォッチ部門を新設したらどうか。これまでの様々な事例を見ると、一番の問題はメディアがズレてることにあると思うのだ。ネット上のスタンダードな考えを知るために、引きこもりの方やニートさんに依頼して一日中ネットをチェックしてもらう。そして常にネットスタンダード(笑)を把握しておくというわけだ。新たに人を雇えないのだったら、バブル時代に雇った余ってる人たちでも使えば良い。

…ってな。書いててバカバカしくなってきたので、とりあえず今日はおしまい。

2005年01月12日

「毒男」出版に関しての補足

おなじみ電車男の時刻表さんで書かれていた別記事を読ませていただいて感じたことがあったので書いておく。

ネットに文章を公開する以上、その言葉が全世界に拡散してしまうのは覚悟のうえだし、むしろそうして広がってゆくことを望んでいる部分もある、と昨日書いた
しかし許されているからといって、創る側の人がそれをおおっぴらに行って良いというのも少し違うだろう。明らかに気分を害するような、不義理で非礼な行為には、こちらも声を上げていかなければならない。法律で取り締まれないようなコトなら尚更である。この現状を変えられるのは民意だけなのだ。
出版社にしても西村博之氏にしても別に神ではない。彼等が「何の問題もない」と開き直っていたからといって、オレ達が「そうか」と納得する必要などないのだ。「法律上何の問題もないかもしらんが、はなはだ不快だ!」ということをどんどん言うべきだと思う。黙っていては何も変わらないどころか、どんどんエスカレートしていくだけだ。

街中を歩いていると、たまにお店の店先なんかで、古いポスターとかティッシュとか、何かのカレンダーとか大量に置いてあって「ご自由にお持ちください」なんて書いてあることがある。作ってはみたものの、不要になってしまったとか、思いのほか需要が無くて余ってしまったとか、宣伝期間が過ぎてしまったので無料で配らざるをえなかったとか、そんな理由だろう。
「ご自由にお持ちください」と書いてあるからといって、それを一人の人が根こそぎ持ち帰り、他所で商売に使うなんてことは普通やらない(関西の人ならやりかねないが)。もちろん禁止されているわけではないが、そんなことで金を儲けるのもどうかと思う、というような理性が働くからだ。
だが昨日も書いたとおり、商売は法律を犯さない限り何をやってもいいのだ。そんな場合唯一の抑制となるのが消費者の声とか民意なんである。「あんたらえげつないわ!」とみんなが声を出せば状況は変わってゆく。なんか青春ドラマみたいだが、ともかく言い続けることが大事なんだろうね。
物事の流れというのは声がでかくて、よく喋る人のほうへ動くのだ。それを止めるにはオレ等も声を出すしかないのだ。

これって野球と一緒なんだな。「声を出せ!」笑。

2005年01月11日

「毒男」出版関連

既にメディア等でご存知の方も多いでしょうが、凄いことになってきました。掲示板のレスをそのまま本にする企画第二弾。当たり前ですが大反響となっているようです(おなじみ電車男の時刻表さんから)。

多くの人は、自分が書いたレスが勝手に書籍化されることについて文句を言っているようです。オレも書き込みを何度も行っていますので(別板)、それについては他人事ではないですが、果たしてその自分の書き込みが勝手に使われたらオレ自身不快に思うだろうか、と考えてみたところ、どうもそうでもないような気がする、と意外な結論が出ました。オレの書き込みがどうなったらいちばん嬉しいだろうか。それは人に読まれることです。何らかの反応なり波紋なりが発生すること。ネット上に書いているという時点で、それはもう公のものですね。本になろうとなるまいと大勢の人の目に触れることになる。いろんな人々に伝聞として伝わってゆく。それで満足ですね、オレは。ネット上の文章はそういうものだと予め知った上で、覚悟して書き込んでいます。オレの文がどこかの馬の骨氏に勝手に使われようとも構わない、と。

さて、このように書くと今回のこの事件について肯定であるかのように思われるかもしれませんね。

ここで逆を考えてみましょう。オレは音楽を作っている人間です。それを売ってお金も発生している。物を創るのは大変ですよ。何もないところから生み出すのです。無い頭をフル回転させて、必死に生み出し、なんとか形にします。もしこれが、例えばメロディやコード進行、リズム、歌詞などの素材がネット上に無数に転がっていて、それらを拾って組み立てるだけでいいのなら、負担はとてつもなく軽くなります。
もちろん、組み立て方にもセンスがあります。組み立てるにも労力を使います。これも立派な仕事です。しかしまったくのゼロから生み出すのと比べると、はたしてどうでしょうね?
はたしてどうでしょうね?
はたしてどうでしょうね?
はたしてどうでしょうね?

雑誌ならともかく、ネットからかき集めた発言まとめてにしようって言うんですからね。リミックスの一種かなんかのつもりなのでしょうか??

ひろゆき氏も出版社(株式会社アスキー)もまったく問題がないと言っているようです。そうでしょう。問題はないでしょう。ただ倫理としてどうなのかって話です。禁止されてないなら何をやってもいいのか?
…残念ながら商売の世界は「なにをやってもいい」のです。なにをやってもいいのですが、その辺の寸止め加減に、如実に人間性育ちの違いが現れるのだ、とだけは言っておきたい。
かつて欧米に散々揶揄された倫理観。いまだ健在。


追記。
この情報が放送されたのは 情報ライブEZ!TV で、オレが見たのもそれです。他のメディアでもとっくに紹介済なのかと思っていましたが、そうでもないらしい(1月11日現在)。しかも肝心の本の内容については、当の西村博之氏も知らない部分で出版社側が勝手にコトを進めている模様(!)。
以上、「青い空は大嫌いだ水色の空は大好きだ」さんからの情報でした。

2005年01月09日

「冬のソナタ」に地震情報テロップ 〜 その2

前回書いたことだが補足しておきたい。

多くの人々にとっては、くだらん映画やクソドラマよりもニュースや地震速報のほうが大切だろう。それが一般常識というものだ。オレもそれを否定しているのではない。地震や自然災害の情報、ニュース速報は大切である。不要とは言っていない。それをBSで作品に載せて流す意味について問うているのだ。

BS放送のそもそもの意義というのは、遠隔地や受信状態の悪い地域でも綺麗に見られるというのものであった。つまり地域によっては、地上波に替わるものという位置づけなのである。そういうことならば扱いも地上波と一緒、これは理解できる。
BS放送の特徴はそれだけではなかった。画質が良く、映画や音楽番組、ドラマといった娯楽作品の放送にも適している、という面があり、NHK側もそういった側面を強調し宣伝していた部分もあったと思う。
ご存知のように、メディア放送する映画やドラマは、そのメディア側、例えばこの場合はNHKが放送する権利を所持している(筈です)。その権利を抑えられている以上、視聴者側は選択肢がない。全て相手の言いなりで言い値。つまりすべてNHK側の都合のみで決められるのである。
前回も書いたように、NHKは文化に貢献しているというような態度を日頃示していながら、その供給方法は全く文化的ではないどころか、激しく製作者や視聴者を見下したものとなっているのである。
BS放送というものが先に書いたような位置づけの放送である以上、この問題の解決は無理だと思う。だから前回の記事で書いたように、別チャンネルの開設、或いは別な供給方法を早急に考えるべきなのだ。恐らく膨大な費用がかかるだろうが、昨今話題の不正流用資金でも使えば一挙解決するだろう。
ケーブルやCS、デジタル放送などを見ている人は「そんなものは当に実現されている」ということだろう。もちろんそのとおりで、オレ自身もそれらを楽しんでいる。問題なのはNHKが放送する権利を持っている作品なのだ。あんたらが抑えている限りは、使用は自由にならない。「冬のソナタ」もしかり。以前書いた「東芝EMIに於けるビートルズ」しかり。だからこそしっかりして欲しいのだ。

紅白歌合戦の視聴率低下でもわかるように、全員が同じ趣味で同じものを見るというような時代は終わった。これから必要なのはジャンルを細分化したチャンネル設定だよ。
…ってさ…。書いてて恥ずかしくなるような、10年以上も前から散々言われていることなのだが。いったいこの間、何やってたの?>NHKさま。
marcomusi at 18:20 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | メディア〜テレビ関連

2005年01月02日

メディアを見破る洞察力

新年でございます。

今まで書いてきましたけど、皆さんに、そして自分自身にも言いたいのは洞察力、読解力をつけろってコトです。ネット上、特に2ch界隈ではウヨサヨとか、偏った意見はとかく話題になりますが、最終的に自分自身を守るのは洞察力ですね。

今、某サンデーモーニングで戦争特集みたいなことをやっていますが、こういうものもとかく叩かれる対象になりがちです。これ以外にも例えばA新聞系列のテレビ局とか、とかくサヨ系なんじゃないかと言われ叩きの対象になっています。僕が言いたのは、つまりメディアに載る以上、誰かのバイアスがかかっていることは確実ってことです。客観的な報道などありえない、全てに平等な報道など有り得ない、ってことです。メディアにそれを求めても、それは無理です。

何かの情報がメディアに載る場合、その製作者やディレクター、編集者といった第三者の力が必要です。彼等の熱意や使命感といったものが大きく作用します。その熱意や熱さが上司や局といったものを動かすのですから。その時点で彼等の偏見が加わった形で公開されると思っていいと思います。

けっこう年を召した方が言う言葉に「話半分で聞け」というのがあります。当事者から直接聞くのではなく、第三者が介入している時点で何がしかの意図が加わっていると思って間違いないと思います。それを予め判った上で、織り込み済みな部分として聞く。これが重要です。

そんな偏見が加わった形で公開される情報、果たして意味があるのだろうか。しかし、誰かのただならぬ熱意がなければ、そもそも公開される事のなかった情報なのです。我々に必要なのは、それを読み取る力です。編集者やディレクターの恣意的操作に惑わされない。というか、逆にディレクターはこの視点で編集したのねー、的な見方が必要だということです。

メディア側の偏見や恣意的編集など、突っ込む余地はいくらでもあります。しかし、そのVTR出演者やリアル出演者の話やインタビューの一字一句、映像で見られる情報など、そこで得られる有益な情報はたくさんあります。「目に映るものは全てメッセージ」。荒井由実がかつて言ったこの価値観は、どの場面でも通用する価値観です。

表面上の形に惑わされない、本質を見極める、これが一番重要なことなのです。戦前や戦時中の公報を見ると明らかです。メディアは真実そのものを伝えることはありません。赤の他人を信用などできません。情報を聞いて判断し行動するのは我々自身なんです。

その目を養って欲しい、これが言いたいことです。
ということで「あけおめ」だぜ。>all
marcomusi at 11:50 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | メディア〜総合
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