2004年12月30日

「冬のソナタ」に地震情報テロップ!

この記事には続きがあります)



遂にやったな。NHK。なんといっても今回は「冬のソナタ」。反響が大きそうだし、良い機会なので今回はこれについて書いてみたい。

地震に遭った方々に対しては心よりお見舞い申し上げます。
しかし、それとテロップは別。これは本当に以前から苦々しく思っていた。多分、大勢の方々も同じように思って居ることだろうと思うが、いったい何のために、テロップをしつこく流さなければならないのだろうか?誰かちゃんと説明して欲しい。

オレは別に「冬のソナタ」だから怒っているのではない。過去どれだけの映像作品が、ニュース速報や地震速報、震度情報等のテロップによって冒涜されたことだろう。オレがビデオに録っていた映画などだけでも、ゆうに2桁に上るのではないだろうか。そういった放送を録画するときは、毎回祈るような気持ちで見守っている。しかし、相手は容赦なくテロップを入れてくるのだ。中にはソフト化されていない貴重なものもあった。マジ泣きしたこともある。文化に貢献している、と表面では言っていながら、実は本音では、映像作品というものを、まったく娯楽やひまつぶし以上のものとは捉えていないのである。大衆文化軽視の考えは、態度に如実に表れてるのだ。
オレは大げさなことを言っているのだろうか?しかし、例えば自分が一生懸命描いた絵画などに、他人が勝手に名前とか記号とか書き加えたらどう思うだろう?こうしないと判りづらかったからしょうがないんだ、とか言うのだろうか?

もうひとつ強く言いたいのは、これはBSである、ということ。衛星受信料というものが発生している、平たく言えば有料放送みたいなものなんである。どんなドラマやバラエティでも速報テロップはウザイ。だが地上波だと思って我慢している部分が大きい(それでも納得はできないが)。しかしBS放送にそれをやる意味は、いったいどこにあるのか?それならば、いっそ完全スクランブル化して放送して欲しい。もちろん上乗せ料金は払う。その代わり完全ノーカット、テロップ一切なしにしてほしい。

何度も言っているように、メディアというものは義務を負うのだ。最良の状態で常に提供すること。これが放送ではなく普通の商品ならば、リコールに相当するものだと思うね。ちゃんと提供していないのだから。洋楽CDの歌詞、訳詞のミスも同じである。欠陥みたいなもん。しかし、提供する側はそう思っていないのだ。放送したんだから義務は果たした、CDはちゃんと聴けるんだからOK、と思っているに違いないと思うのだ。嫌なものは使わない、嫌な場所からは去る、という選択もできる。しかしメディアに関しては選択肢がないのだ。むかしの民放版「ゆく年くる年」じゃあるまいし、「自分はNHKの冬のソナタではなく、MXテレビの冬のソナタ見るよ」とかできないのだ。典型的な大名商売。神南方面にある安楽椅子にふんぞり返って「完全版放送してやってんだ。ブツクサ言うなや!」とでも思っているのだろう。


テロップの必要性や存在の意義、文句などありましたらどうぞ。
受信料に関してはこちらこちらを。大変参考になります。
こちらもどうぞ。



- 宣伝(笑) -
ライブドアから「冬のソナタPlus」発売。
marcomusi at 13:04 | 東京 ☀ | Comment(2) | TrackBack(1) | メディア〜テレビ関連

2004年12月23日

Seesaaのテンプレート

ふざけてトップをクリスマス仕様にしてみました(終了)。ほかのページは以前のままです。

Memorize → Livedoor blog → JUGEM → cocolog(使用中)fc2(使用中)、と渡り歩いてきた流浪の民なオレとしては、Seesaaは安定しているし、お蔭様でぐーぐる検索のトップ10にいつも居られるし、なかなか居心地の良い場所ではあるのだが、唯一「もうちっと良いのがあればなぁ…」と少し思う部分がテンプレートなんである。これはオレだけじゃなくてみんな感じているようだよね。一生懸命CSSもいじってみたのだが、どうしてもこの「絵本みたいな感じ」が抜けないのよ。遠近法の問題だと思うのね。安定感としては最低のブログだったジュゲムだけど、あのテンプレというか各パーツの配置の方法というか、アレはなかなか真似できないと思うねえ。ブラウザの画面を小さくしていても、すっきり全部見渡せる(ように見える)デザイン、ってなかなか無いと思う。もちろん好き嫌いはあると思うけど。読んでみたい!っていう気にさせられるのは確かかな。
まー安定性なし、企業としての信用度なしっていう時点で既に本末転倒な訳だから、JUGEM=ダメダメブログという地位は当分揺るがないとは思うけどね。デザインとしては他社もぜひ参考に、というか、パクって欲しいところ。ココログもテンプレ増やしたことだし。Seesaa様もぜひ頑張って欲しいと思う。

しかしアレだな。天は二物を与えないっていうけど、本当なんだな。
marcomusi at 13:04 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2004年12月22日

ペヤング超大盛やきそばの謎

カップめんマニアの心を捕らえて離さない永遠の逸品ペヤングソースやきそば。この製品の超大盛が出たと聞いて、いてもたってもいられなかった人は多数いたことだろう。かくいうオレもその一人。噂を聞いたその瞬間から、絶対食わねばならない!と思い込み、実際に手に取るまでの数日はまったく落ち着けなかった。コンビニではじめて見たときのインパクトは凄かったね。大きさが倍!どどーんと広く陳列棚の場所を占有している。これを食わずにカップめんマニアとは言わせないよ?ってな感じで、強烈な存在感をアピールしているのである。

さて、このペヤング超大盛やきそばでおもしろい経験をしたので書いておきたい。

コンビニで見かけて即購入。早速お湯を沸かし、ドボドボ注ぎ、3分間待ち、お湯を捨て、ソースをかけ、よく混ぜて食った。以上、まったく通常通りいつもどおり食った。ところがこのペヤング超大盛やきそば、恐ろしく激ウマだったのである。本当に声を出したほどだ。「すっげえウメエ!」。通常の2倍の麺の量だというのに、あまりの美味さで瞬く間に平らげてしまった。そして思ったのは「そうか。超大盛り化と共に味も工夫したんだな。さすがペヤングだぜ」ということ。この感動をみんなに伝えねば、と思ったオレはあちこちで「超大盛り美味いよ」と言い回った。

ところがである。超大盛りを食ったオレの知人の一人が「別に普通のペヤングと変わらない気がする」と言ったのである。「え…?」。

「そうか。そういえばしばらくペヤングを食ってなかったな。久々だったから美味く感じたのかもしれんな」と思いなおしたオレは、もう一度冷静な気分で食ってみることにした。
こないだ食ったばかりだというのに再び購入。早速お湯を沸かし、ドボドボ注ぎ、3分間待ち、お湯を捨て、ソースをかけ、よく混ぜて食った。以上、まったく通常通りいつもどおり食った。やっぱり美味いのである。怒涛のように食いまくり一気に平らげてしまった。どういうことだろうか。オレの勘違いなのだろうか。
そのとき気付いたことがあった。いつものペヤングの麺と違って、超大盛りの麺はシコシコしておりソース馴染みもよく実に食感が良かったのだ。一言で言うなら「できたて」。並でも超大盛りでも出来てすぐ食えば「できたて」な筈であるが、超大盛りは本当に「できたて!」という感じがしたのだ。

ここでオレは、昔やった麺を茹でる実験を思い出したのだった。沸騰状態をうまく維持できれば麺質は劇的に改善する、というやつ。つまりこういうことだ。超大盛りは、注ぐお湯の量も超大盛り。お湯の量がとてつもなく多かったので、沸騰に限りなく近い状態のまま持続、なかなか冷めなかった、と。結果、麺が良い状態になったのではないだろうか、と。そう考えたのだった。
ネット上で様々な人々の意見を読んで見ると「ソースが足りない、味が薄い」というのが多い。しかし、オレはこれもまったく感じなかった。麺の具合が良かったのでよく混ざったのかもしれない。
ペヤング超大盛やきそばにはひとつだけ欠点がある。フタに付いているお湯を捨てるアナが小さすぎるのである。超大盛りな湯を捨てるには貧弱すぎるのである。おまけに麺が重いため、フタが外れてしまう危険性もある。これは実際にオレも初回に経験した。フタが麺の重さに堪えられず、お湯を捨てている最中にバコンと外れてしまった。
ということで味が薄いと言っている人々の中には、お湯を全部捨てきれずソースが薄まってしまったりとか、念入りにお湯を捨て続けるうちに冷めてしまったりとか、そういうパターンもあるのではないかと思った。UFOばりのターボ排水アナ付なら、もっと美味くなるだろう。まるか食品の方には、ぜひこの辺を改良していただきたい、と。そう思うしだいである。

2004年12月19日

電車男の書籍化に関して

電車男を「書籍化」するという事に関して、いくつか興味深い記事を発見したので紹介しておきましょう。いずれも物創りに携わる人なら、大変参考になるものだと思います。

まず書籍化する場合の編集に関する話。
読者を突き放す書籍『電車男』には「編集」がない
なかなかおもしろい見解です。出版社もただの仲介業者みたいになってきてるって感じかな。概してアーティストというのは「編集」を嫌います。映画監督もそうですね。ミュージシャンもそうです。どの音もどのシーンも自分にとっては大事で、ひとつたりとも削ることなどできん!という気持ちを持っているものです。誰も彼もアーティスト、という現状を物語っている様で考えさせられますね。逆に言うと、プロがプロらしくない世の中になってきている、ということでしょうか。

実際の本創りに関する話。
読まない本に神の技あり
これは『電車男』書籍化への経緯での編集者が実際に経験したエピソードに関連して書かれたものですね。題材が電車男であろうとなかろうと、こうしたものを書籍の原稿にするというのは大変であっただろう、ということはよくわかります。未知の領域に入り込むには、誰かのとてつもない熱意が必要なのです。現場の人々は、毎日が何事もなく滞りなく無事に過ぎてゆくことを願っている反面、新たな実験や未経験な作業など、アーティスティックでわくわくするような出来事を望んでいるようなところもあります。これは無理だろう?というようなことであればあるほど、プロ意識を刺激されるというか職人魂に火を点けられるというか、実際燃えると思いますね。音楽界、映画界、テレビ界、これはどこでもそうでしょう。誰も何もしなければ現状は何も変わりません。硬化した現状を打破できるのは、門外漢的で常識破りな「素人」の発想であったりする事もあります。今回の場合、郡司氏は編集者として素人ではありませんが、ある意味常識外れであったことがこうした流れに繋がっているのですから、問題提起という意味でも良かったかも知れません。現場の人も大変だったと思いますが、無事出来上がったときの充実感もあったのでは?と思います。

電車男というのは業界に蒔かれた種みたいなものなんでしょうね。これが良い意味でのきっかけになっていけば、存在理由もあるというものです。

2004年12月18日

カップめんを茹でて食べる? 〜 麺の謎

あらかじめ言っておくが、これから書くことはメーカー非推奨の調理法であるし、あくまで実験であるので、試す方はそのつもりで自己責任で行って欲しい。何が起こっても責任は取りませんのでヨロシクで御座います。


前回、カップめんの麺について書いた。ほんの10数年前までカップめんの麺は、もくもくした独特の食感で、本当にまずかった。最近は大食いの人も増え、カップめんを一度に二個以上食う人も珍しくなくなったが、昔の麺ならば不味くてそんなことはできなかっただろう。一応カネボウ社の有名なノンフライなどもあったが、基本はほとんどが、今でもスーパーカップ等でおなじみのあの麺質だったのだ。

その10数年前当時の段階で、既にスープに関してはどのメーカーも一定水準以上になっていた。問題は麺の質だけ。無類のインスタント袋麺好きだったオレは、カップめん(カップラーメン)の麺も茹でてしまえば幾分食いやすくなるのではないか?と考えた。ということで早速実験開始したわけだが、驚くべき結果が待っていたのだ。

カップめん(カップラーメン)も、そもそもはチキンラーメンから発生したインスタントラーメンの進化系であると想像していたオレは、茹でると当然インスタント袋めんのようになるのだと思っていた。ところが実際はまったく違っていたのだ。3分ほど茹でて出来上がったものを見て驚いたね。「これってラーメンじゃん!?」そこにあったのはインスタント袋めんではなく、ふにゃふにゃの「ラーメン」の麺だった!カップめんの麺は、インスタント袋めんを進化させたのではなく、実際のラーメンの麺を改良したものだったのだ。

これで一気に興味の沸いたオレは、カップめん茹で作戦にすっかりはまってしまった。どんなカップめんでもそうなのか、何分茹でるとより本物に近くなるのか、謎は深まるばかり。疑問を解決するには実際に試すしかない。何種類ものカップめんを購入しては茹でて食う実験を毎日のように繰り返した。
実験に使用したのはスーパーカップでかまるが多かった。でかまるを選んだのは、マルちゃんの味付けが昔から好みだったので是非とも麺を美味くして食ってみたかったという理由。スーパーカップを選んだ理由は、これの麺がいちばん食いにくかった(笑)から。この、もっとも食いにくいスーパーカップの麺、これを攻略して陥落させれば最強だと思ったのだ。

さて実験によって判明した事実。茹で時間は、そのカップめんに記載されている待ち時間(3分〜5分)の半分くらいで良いこと。かやくも茹でると本物の具みたいになること。結果、胃モタレ等がなくなり実にスムーズな食感になること。…と、こんな感じかな。驚いたのはスーパーカップの劇的変化。お湯を注ぐだけの調理法で最も不味かったスーパーカップの麺が、茹でる調理法で最も美味くなったのである。ネタみたいだがホントの話(笑)。実は良い麺を使っていたのだね。マズイものは茹でても不味かった。この辺は品質の良し悪しを物語る部分だろう。

さて、これで食いやすくはなったものの、残念ながら本物に近いコシのある麺というわけではなかった。柔らかめの麺が好きな人ならこれで良いが、アルデンテの好きな人にはちょっとオススメできない出来なのだ。そこで登場するのが、そう、ご想像のとおり電子レンジなのである。
電子レンジでカップめんの容器をそのまま使うと容器が解けてしまうので危険だし、スープに毒素が溶け込んでしまうかもしれないし、と思って最初は鍋で茹でていたわけだが、実験でちょっと見るくらいなら良いだろう、と遂にやってみることにしたのだ。
しかし、これも大変だったよ。水からレンジして大失敗したり、途中でお湯があふれてレンジ内がスープだらけになったり。欲が出て、ついいろいろ試してしまったのだね。そうした試行錯誤を経て遂にベストな方法を編み出した。

ここで再び書いておくが、電子レンジでの調理法は危険ですので、くれぐれも自己責任で。何があっても私は責任を取れませんのでヨロシクで御座います。容器が溶けてしまうのでレンジ用の器等にカップめんの中身を移して調理することを推奨します。


というわけで方法。まずお湯を沸かして沸騰させる。容器に沸騰したお湯を入れ40秒から1分間くらいレンジでチン(固さの好みで)。容器を取り出しスープを入れつつ数10秒放置。できあがり。ってな感じだ。アルデンテ状態は短いので早いうちに食べることをオススメ。柔らかくても良いなら急ぐ必要はないが、せっかくならコシのあるうちに、ね。

ここでのポイントはチンしたあと放置することだ。始めのチンでは麺はまだ固いのだが、その後の放置で徐々に本物に近くなってくるのである。これは実に興味深い事実だったね。つまり、ここでカップめんの基本「お湯を入れて放置」に立ち返っているのだ。

多くのカップめんには注意書きとして「沸騰したお湯を使用するように」と書いてある。数々の実験の結果オレが辿り着いた結論もこれだった。入れるお湯の状態で麺の出来が決まるのだった。前回の記事で言いたかった事もここにある。沸騰したお湯を入れて、その沸騰状態を数10秒でも維持できれば、マトモな麺が出来上がるということ。だが実際には不可能だ。日清はそこを劇的に改良したのだろう、と。こういうことなのである。

長々と書いてきた。お付き合いありがとう御座います。
次回は、これに関連して特大の「ペヤングソースやきそば超大盛」について実に興味深い話を。
乞うご期待!

2004年12月17日

電車男に関連した西村氏のコメント

先日、西村博之氏(2ch)のコメントをソースなし意訳でご紹介しましたが、電車男の時刻表さんで紹介されていたまとめサイト 2ch-Library-電車男 に、その西村氏のコメントのソースが載っていました。かなりいろいろ話されてたんですね。やはり「嘘だと言うのならそう主張する側が証拠を提出すべき」という一貫した態度のようです。自分は疑っていないので調査しない、というようなことも述べています。

全然関係ないんだけど、このひろゆき氏と他の人々とのやり取りを読んで、なんとなく懐かしい気分になりましたね。自分も10年位前はこんな感じでした。頭や口の回転も今よりはるかに速く(当社比)、ディベートみたいなことをするのが楽しくてしょうがなかったです。確固たる信念もあったので何を言われても揺るがなかったし。今思うと思春期特有の熱病みたいなもんでしょう。
ここで展開されてるのは世間話とかじゃないんですよね。彼は管理人である、という忘れがちな事実を改めて突きつけられたようで新鮮な気分でした。

2004年12月16日

日清のカップめん最強

先日新しいカップめんが出ていたので食べてみた。まるトク叉焼麺というやつだ。どこのシリーズにも属しておらず、なぜか単体。それでも日清ならほぼ安心できる。予想したとおり期待度に対する満足度100パーセントだった。

ことあるごとにいろんな場所で力説しているのだが、カップめんを極めるなら、まず NISSIN から始めよ!と言うのがオレの一貫した見解である。日清のカップめんは、どれも一定以上の水準にあるものばかりで、実際これまで日清のカップめんを食って不味かったということは、まず無いと言っても良い。だが味付けや具だけなら、人それぞれ好みもあるし、最高だと言うには説得力に欠けるだろう。ならば、他社のカップめんとの決定的な違いはどこにあるのか。それは「」。麺の出来が他社とは比較にならないほど素晴らしいのである。ラーメンなんだから、まず麺だろ?なのだ。

日清はご存知のとおりカップヌードルを発明した会社だ。独自のノウハウを持ち長年にわたって素晴らしい製品を送り出し続けている(と思う)。独壇場でしょ。ほかのメーカーは、おそらくパテント関連などあってそのノウハウをそのまま使えないのだろうと思うが、それにしても不甲斐ないことこの上ない。アイディアや趣向を凝らしたりする前に、まず麺の改良をすること。これが必須課題。話はそれからだ。

麺が多少ダメでも例えばスープや具、企画力とかが優れていれば行けるんじゃないの?と思われるかもしれない。しかしここでオレは強く言いたい。麺は主食である!と。スープや具も大切であるが主食ではない。主食である麺がまずくて何がラーメンであろうか?ここのところは一般的なラーメン屋にも通じる部分だ。君達、スープに力を注ぐあまりをおろそかにしてないかい?これが言いたいことである。

たかがカップめんを、本物のラーメンと比較するように論じることには、はたして意味があるのか?と思うかもしれない。例えば、カップヌードルというのは「カップヌードル」という食い物なのであってラーメンではない。なのでこれを本物のラーメンと比べるのはナンセンスなのだが、「カップラーメン」に関しては、当のカップめん側が本物との比較を望んでいると思う。ほとんど既成のラーメンに準じた製品ばかりだし。そこまでスープや具など本物らしさに拘るのなら、その前にまず麺の改良をしろ、なのだ。

今や単独王者の感さえある日清カップめんであるが、実は以前からそうだったのではない。10年位前までは他社との違いもそれほどなかった様に思う。それ以降急激に改良が進み一気に他社を引き離したのだ。日清の素晴らしいところは、新製品だけでなく焼そば U.F.O.どん兵衛など既成人気製品における改良の努力も怠らなかったことだろうな。微々たる変化なこともあったが、オレは密かに感じ取っては感動していたものだ。麺の種類は違うものの「ラーメン屋さん」シリーズとか「ラ王」とか、独自路線でも他者を寄せ付けなかったよね。一瞬の実験発売に終わった感があるが、電子レンジ用カップめんも実に美味かった。まず麺ありき。そしてスープも手抜きなし。満足は常に保障されている。まさに NISSIN Good Job!だ。

さて一方的に日清を褒め称えてきたわけであるが、オレは日清様に人生を捧げるつもりは無い。たった一者のみが抜きん出ている状態は業界的には不健康であると思う。必要なものは競争。ここは是非とも他社にこそ頑張って欲しい!これがこの記事の主旨である。


- 次回予告 -
同じようなことはコンビニにもいえる。次回はその辺を。

2004年12月12日

電車男の書評など 2

またでていますね。おなじみ電車男の時刻表さんから。今回は大槻ケンヂ氏書評です。

ぞくぞく的確な書評がでてきています。皆さん素晴らしいです。オレも胡散臭いと思った一人であるし、機会があったり仕事であれば分析してみたい気もしたけど、これの場合は早晩優秀な方々が分析され、いろいろ暴露されてゆくだろうと予測していた、むしろそれを強く望んでいましたので、オレみたいな半端者がクチを出す必要は無いだろうと思って、ここでの論評は控え、他者を紹介するに留めていました。ビートルズに関しては誰も書かないのでオレが書いているわけですが、この問題に関しては他の論客たちのほうがはるかに素晴らしいですし、オレの意見は ネットが胡散臭い で述べているもので十分です。

反動も出てきていますよね。むやみに「やらせダメ」と騒いでいる人たちもいます。これは最近の韓流盗作紅白出演阻止運動(笑)と同じでただのお祭りですが、信じていたものに裏切られたー、みたいな純粋な方々も混ざっているでしょう。みんな必死すぎる気がするけどどうなんだろうか。
あと西村博之氏(2ch)のコメントも出ていたようですね。今ソースが探せないので断言は避けますが、どこかの関連スレッドで「電車男が自演であるという証拠が無いのでIPログは出さない(意訳)」と述べているのをチラッと見かけました。これも西村氏本人の書き込みかは断言できませんが、さもありなんという感じはします。

こうした流れを経て、とっとと膿を全部出してみるのも良いかも知れない。

2004年12月06日

ビートルズ I Feel Fine の Drums は影武者のプレイなのか?という考察

第2弾。

これもネット上でしばしば見かける意見だ。具体的には、この曲を含めて数曲がバーナードパーディ氏によるプレイなのではないか、と噂されている。以前のオレはこの手の話題は一笑に付してきた。リンゴスターは左利きなせいでオカズに幾分クセがあるものの、それを除くとじゅうぶんテクニック的にも上手いドラマーである。特に初期から中期にかけてのビートルズのドライブ感やグルーヴは、彼がいなければ絶対に生まれなかったものだろう。特に8ビートでの疾走感はリンゴスターの独壇場だ。ポールマッカートニーもリンゴスターがドラマーでなければ、あそこまで上達しなかったのではと思われるほどだ。実際はポール自身もかなりのリズム感の持ち主なので、リンゴ〜ポールの相乗作用が大きかったと思われるが、いずれにせよ両者はビートルズにとって不可欠である。
というわけで、リンゴスターでじゅうぶんなのに何故影武者を使う必要があるのか?その根拠がないというのがオレの考えだった。
影武者説については、別のことが発端ではないかと思われる出来事がある。それはジョンレノンのローリングストーン誌インタビューだ。これは本として出版されているので今でも読むことが可能だが、ここでジョンレノンはホワイトアルバムレコーディング時のメンバー間の軋轢に付いて触れ、あの時点からグループの崩壊が始まったこと、バラバラでまとまりがなく個人個人で好きなことを始めたこと、レコーディングもグループのものというよりはソロ作品の寄せ集めだったこと、その結果グループというよりは各メンバーのバックバンド的な気分で演奏したことなど、赤裸々に語っている。この最後の「メンバーそれぞれのバックバンド」の部分だが、ここは是非実際に本を読んで欲しい。原文がジョン特有のレトリックで難しいのか片岡氏の訳が微妙なのか判断しがたいところだが、読みようによっては「ホワイトアルバムのレコーディングはメンバーそれぞれがバックバンドとともに行った」と読めないこともない。
ビートルズ現役当時、その人気ゆえビートルズに関する陰口は後を絶たず、日々ゴシップネタで盛り上がっていた。ほとんどはスポーツ紙レベルのデマだが、彼等の特異なキャラもあり、半分バカにしたような感じで取り上げられていたようだ。ビートルズは実際には楽器を何もプレイできない、とか平気で言われていたりもした。実際に楽器をプレイする人間なら、そんなことはありえないとすぐにわかるが、She Loves Youの項でも書いたとおりビートルズのマニアは音楽を聴かない人が多く、100%信じないまでも「本当かもしれない」などと疑うことはあったようで、そういったデマが居酒屋レベルのネタに繋がってくる。
そのようなゴシップが深層心理的な部分に染み付いている人が、無意識な先入観で先のジョンレノンのインタビューを読むとどうなるか。ホワイトアルバムのくだりも勝手に「メンバーそれぞれが勝手にバックバンドとともにレコーディングした」と読み替えてしまうのである。
これはオレの空想ではないのだ。このインタビューの後、かなり多くの評論や音楽雑誌等で、実際にそのような記述が見られたのだ。こうして70年代以降、影武者説は真実味を帯びていった。
こうした状況のなか、確か80年代の終わり頃ではないかと思うが、某音楽雑誌によるリンゴスターへのインタビューが行われた。そこでインタビュアーは勇敢にも、リンゴ本人に対して「ホワイトアルバムではメンバーはプレイしていないといわれていますが、実際はどうですか」と質問した。もちろんリンゴの答えはNO。「メンバー全員でプレイした(クラプトン等いくつかの楽器を除く)」と。それ以外の部分でもこのインタビューはかなり画期的なものだった。当時リアルでその雑誌を読んだオレは感動したね。これで状況も変わるだろう、とホッと胸をなでおろしたもんだ。
しかし状況は変わらなかった!よほど負の情報が好きなのか、そう思い込みたいのか、他に語るべきものがないのか、ともかく世の中はあいかわらずなのだ。

前の記事でアップルやEMIが大本営発表で落とし前をつけろ、みたいに書いたが、その後よく考えてみると、いちばん曖昧なのは他ならぬ彼等だった。彼等はいまだに宣伝のため平気で嘘をついている。今は21世紀だというのにアップルやEMIは、実に稚拙でバレバレな嘘をつく。Let It Be...Naked の宣伝文でも明らかだよね。電気的にスペクターのオーケストラを除去???ハァ???あきれてものが言えない。そのちょっと前には、有名なナグラテープ(ゲットバックセッションの記録テープ)の話もあった。あれもただの記録テープなのだが、大本営やメディアは「あれを盗賊団から取り戻したので Let It Beをやり直せる」などと吹聴していた。今は70年代ではないのだ。リミックスが常識な昨今、マルチトラックレコーディングの仕組みなど、今や中学生でもなんとなく知っているだろう。そんな時代にあって、アップルの宣伝方法は祭りの出店レベルである。本当に情けない。
だがこの話は笑えないのだ。リミックスやDJによるプレイをごく普通に聴いている中学生にはネタでも、70年代の知識のままのオヤジどもは、そんなアップルの出店レベルな宣伝文にあっさりと騙されてしまうのだ。おそらくアップルのターゲットもそこにあるんだろうね。オヤジ金持ちだし。アップルはビートルズをネタにして援交してるんである。やれやれ。

この話はまた続きます。
marcomusi at 08:41 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | メディア〜音楽関連

2004年12月05日

日曜プログラマと称して妙なスクリプトを配布する連中

君らは優秀で将来の日本のためになる人材だと知ってるぞ。だからしっかりしろといいたいのだ。OSやブラウザごとに全然仕様が異なっていたり、環境もユーザによって百人百様、創る側も大変だということはよくわかる。だからといって確認作業を怠ることは自滅に繋がると思うぞ。
以前も書いたが、オレはスクリプトでごちゃごちゃ飾り立てたサイトが大嫌いだ。でもまぁ、それは個人の趣味だから良い。問題は、そのスクリプトの動作がブラウザによって異なり、場合によっては閲覧さえ不可能になってしまうことがあることだ。作者自慢の多機能スクリプトが、ブラウザによってはデザインが崩れグチャグチャ、文字を読むこともままならない、なんてシャレにならないぞ?
有料にしろ無料にしろ、これらのプログラムはサイトで配布しているものだ。自己責任、ということはもちろんあるが、創る側が動作確認等をせずに配ってどうする?たとえば Mac OS 未対応ならそれで良い。未対応だよ、と明記しておけ。いちいちマイナーユーザのことばかり考えてはおれん、というかもしれないが、メーカー責任じゃないのか?これではまるで CCCD ではないか。
ネットユーザはどんどん増えてている。この世界に飛び込んだばかりの、例えばオレのような素人が配布されているスクリプトを安易に使い、思い通りの動作をせず泣き寝入りする、なんてパターンは数多く生まれると思われる。創った者、配布した者はその責任があるのだ。前に書いた勝手なビートルズ論の話ではないが、創ったら創りっぱなしにするな。
あとは、製作者に投げかけられた初心者の質問をないがしろにするな。初心者はマヌケだが、ユーザの中の最低レベル代表者と思えば良い。そう、バリアフリーだよ。彼等に懇切丁寧に答えることで、新たな角度での見方ができるようになるかもしれないじゃないか。
ネットでデータや情報を公開している以上、それは世間に開いた窓なのだ。自分だけが窓から勝手に叫び続けるだけではなく、その窓に向かって話しかけられたり、やかましいと怒鳴られたり、そういうことを疎ましがらず、ちゃんと対話しようよ。文句言われてムカツク気持ちはわかるけど、相手は間違ったことなぞ言っていないぜ?

そういうことだ。急いで書いたから突っ込みどころ満載の文だろうが、気持ちはわかるよな?じゃあな。


-丁寧な追記(笑)-

ちょっと乱暴に書きなぐったので、真意を説明しようかな、と。
今年になっていろいろPC周りの環境が変わった。今までは一昔前のヘタレ・ノーパソにWindows98、IE6というどうでも良い環境だったが、XPやMacOSを使用したり、ブラウザもFireFoxやMozillaなどを使用する機会が増えた。それによって今まで見えなかったものがたくさん見えてきたのだ。簡単に言うと少数派の叫びなんだよね。ネット上の世の中が、いかにMS基本で考えられてきたかということだよ。愕然とした。ほとんどの人は買ったときのパソコンをそのまま使うだけだろう。そしてネット上で様々な人々によって配布されているスクリプトやツール類は、その人たちを基本に考えられていたのだ。ちょっとでも違う生き方をしようと思ったら、そのハードルは思ったよりも全然高かったのだ。しかも世の中はそんな人たちに対して親切にできてなかった。そりゃあ苦労して覚えたりすれば進歩もするし、自分にとっても勉強になって良いだろうけど、こりゃあ大変だなあ、と思ったね。
それで思ったのは、オレ達みたいな使う側は「大変だなー」で済むけども、創る側がそれではいかんのではないか?Macでは動作確認してないけど良いや、NNでは見られないみたいだけど少ないから無視、っていうのは作る人間としてどうなんだろう?ということだった。全対応で完璧に頼む、と言っているのではない。少なくとも自分等の提供しているものが、どの範囲まで有効なのか本人達も見極めたうえで配布して欲しいと言っているのだ。

というわけなのです。判っていただければ嬉しいのです。

2004年12月04日

イグザンプラー来てます!

http://colortelevision.net/exampler/

しかしメガネ、あいかわらずのカミカミ具合。
これも味であるが。

まだ本放送じゃないようだが、これからみんな出て来るのかな?
marcomusi at 22:14 | 東京 ☔ | Comment(0) | TrackBack(2) | 雑記

2004年12月02日

波田陽区。残念!

ネタがつまらないですから。残念。

って感じなんだよなマジで。スタイルは良いと思うよ。いくつかのキメ文句と流れと。なかなかオリジナリティある。ただネタそのものがつまらないんだよ。今までに散々既出のものか、誰でも感じてることばっかり。つまり見方そのものにオリジナリティがない。優秀な作家とかブレーンがネタを作ってあげるべきじゃない?

ただ、毒舌系の芸人さんのほとんどがそうであるように、テレビとそうじゃない場所で内容を変えている場合がある。あんまり過激だと放送できないからね。波田陽区のネタもそうであるというなら、この人気も判るのだが。でもオレの好きなくりーむしちゅ〜(海砂利水魚)とか長井秀和君とかはテレビでもおもしろいですから。あ、もちろん太田君もです。

なので、今回の流行語大賞関連については、多分に政治力がモノを言ったのかな、と。そう思ってる。裏がありそうな話ってのはフタを開けるとだいたいそんな感じでしょうね。

でも、これはこれだからさ。これをきっかけに来年以降も頑張れば良いわけで。これで波田陽区氏が来年消えてたら、メディアの信用度がますます落ちるだけ。果たしてどうなるか、楽しみにウォッチングしていましょう。

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marcomusi at 07:51 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(1) | メディア〜テレビ関連
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